ギフトのお礼 & オカルト雑談その他の回
読者様よりガルシア・マルケスの『百年の孤独』を贈っていただきました😊 どうもありがとうございます! 秋の夜長に、じっくり楽しませていただきますね。

20代の半ば、とある病気によって勤めていた会社を休職させてもらい、実家で10ヶ月ほど籠もっていたことがあって、そのことは前にもちょっと書きましたけどその期間中、わたしは文章家として身を立てることを考えてそのための修行を自分に課していました。まああれこれやりましたけど、いろいろな文学作品を読みまくるというのはなかでも当然のことであったわけです。ただ、翻訳作品はその作家の文体とは別のものを読むことになってしまうゆえ文章修行の観点からは敬遠していて、基本的には日本の作家の作品ばかりを読んでいました。
そんななかで、それでもどうしても読みたくて読んで、なおかつ読んでよかったといまでも思っているのがこのガルシア・マルケス『百年の孤独』と、アゴタ・クリストフの悪童日記三部作(『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』)でした。それから、その後の人生でもいろんな小説を読みましたけど、とにかく『百年の孤独』のような作品は他に読んだことがないです。この作品というか、ガルシア・マルケスの作風をしてマジックリアリズムと評されますが、読みはじめて最初のうちはわけが分からないです。でも読み終えたあと、ああこれはすごいなと深く感動させられるとともに、自分にはこんな作品は絶対に書けないと悟って、それで作家になるのは諦めました。こんなことを言うと自惚れていると思われるかもしれませんが、作家になるだけであればきっとなれたと思います。でも、ガルシア・マルケスは超えられないので、潔く諦めたのです。
『百年の孤独』についてはいただいた本をじっくり味わって読ませていただいたあとで別途、また感想を書きたいと思います。ちなみにアゴタ・クリストフのこの三部作もめちゃくちゃ面白いですよ。アガサ・クリスティではありません。アゴタ・クリストフです。
『悪童日記』は双子である「ぼくら」によってシンプルな文体で綴られた衝撃的な日記です。この作品だけでもすごく面白いんですが、二作目の『ふたりの証拠』を読むとさらに種類の異なる別の衝撃に心を揺さぶられることになります。三作目『第三の嘘』では前二作の種明かし、かと思いきやさらなる謎が深まり「どういうことなんや」ともう一度一作目から読み直す羽目になる、かもしれません。
オカルト雑談「地球は本当に監獄惑星なのか?」
note からつぶやき機能がなくなったため、いままでのように簡潔にギフトのお礼だけお伝えするということができなくなりました。なんでなくなったんでしょうね。
まあ、なくなったものはしょうがないので、今後はこうして記事の冒頭でお礼をお伝えして、せっかくなので加えてそのときどきの思いつきで雑談的なものを書かせてもらおうと思います。ちなみにギフトについては贈り主様のほうでは配達完了したことは確認できると思いますが、実際にわたしが受け取ったかどうかはわからないので、こうしてお礼を書かせてもらっています。チップについては直接お礼をメッセージでお伝えできるので、いただいてもこちらに取り上げることは差し控えています。
さて表題の「地球は本当に監獄惑星なのか?」ですが、地球が監獄惑星だというのは以前に紹介した『エイリアン・インタビュー』に書かれていた話です。
本についての詳しいことは省略しますが、そこで言われているのは、銀河系の一隅を支配していた旧帝国と称される勢力が反体制派の魂を閉じ込めて、そこで延々と輪廻転生を繰り返させるための監獄惑星として用意したのがこの地球であるというストーリーです。ちょっとうろ覚えですが、魂を閉じ込めるためのトラップ装置がどこかにあるはずだがそれはまだ(語り手であるエイリアン・エアルの属するドメインという勢力によっても)見つけられていないということです。ドメインのエアルの仲間たちの魂もこのトラップに捕まってしまっているらしく、そのためドメインもこのトラップについてなんとかしようとは考えているものの、優先順位的にはそう高いタスクではない(魂は永遠に死ぬことがないので)ため、ドメインがすぐに助けに来てくれるというような希望はもてないようです。たしかそんな話。
わたしはこの『エイリアン・インタビュー』は基本的にはフィクションだと思っていますが、内容には真実味があると感じたのも事実です。
また、ウイングメーカー(これもフィクションですが)という作品の中では、人類というかこの地球という世界はアヌンナキによって造られた次元バブル(泡のような小さい人工的な世界のことです)の内側にあって、ここでもまた人類の魂はそこに閉じ込められているという話が語られています。
アヌンナキはシュメールで見つかった石板に書かれていた伝承の中に登場する神々ですが、これを宇宙人であるとして、人類はアヌンナキによる遺伝子操作によって(彼らが必要としていた金を採掘するための奴隷として)創造されたのだと主張しているのがゼカリア・シッチンで、このウイングメーカーの話もゼカリア・シッチン説の派生版と言ってよいでしょう。ゼカリア・シッチンは地球は魂の監獄だということは言ってないと思います(たぶん)が、デーヴィッド・アイクはレプティリアン種族が月と土星に仕掛けたトラップによって人類の魂は地球に閉じ込められているということをエイリアン・インタビューが出版されるよりもずっと前から言っているので、すくなくともエイリアン・インタビューやウイングメーカーの地球=監獄惑星という部分に関してはデーヴィッド・アイクが元ネタである可能性があると思います。
で、じゃあデーヴィッド・アイクはどこからその話を仕入れてきたのかというと、これは一概には言えないんですが、その源流にあると言えるのがナグ・ハマディ文書に書かれているグノーシスの神話です。
これについては以前にも紹介したジョン・ラム・ラッシュの『偽の神との決別』に詳しく書かれているのですが、要約すると銀河中心にあるプレローマという神々の世界から女神ソフィアが逸脱した(好奇心に駆られて飛び出した)際に、その衝撃によって起こった宇宙的なエラーによってアルコンという無機的な意識体が生まれ、太陽系周辺はこのアルコンとその王である偽りの神デミウルゴスによって造られ支配される無機質の仮想世界となったが、それに気づいたソフィアが自ら地球と融合(一体化)することによって人類とほかの生物環境が生まれ、育まれたというストーリーになっています。
アルコンは基本的には物質的な形を持たないのですが、ヘビのような姿をとって物質化することもできるようです。これがおそらくアイクがいうレプティリアンの正体なのだと思われますし、この『偽の神との決別』のなかでジョン・ラム・ラッシュはアルコン=アヌンナキだと考えていると述べています。また、デミウルゴスとは旧約聖書のヤハウェのことですが、アルコンがアヌンナキならば、デミウルゴスはアヌンナキの王であるエアか、あるいはその子であるエンリルのこととも考えられ、そうするとヤハウェ=エンリル(もしくはエア)ということにもなりそうです。
アルコンは模造(コピー)は得意ですが、なにかを一から生み出すことはできないそうです。そもそもアルコン自体が神の模造品のようなものであり、それゆえアルコンは自分たちの得意な仮想化技術によって自らを神だと思わせて人類を支配しようとするわけです。
これでだいたい見えてきたんじゃないでしょうか? もちろん今回は雑談ですし、なにかを断定するつもりはありません。ただ、楽しんでもらえればと思って想像力を働かせているだけです。そのうえで話を進めましょう。
さてさらに、これはちょっと付箋とか貼ってなくてどのページに書かれていたか覚えていないのですけど、ホーキンズ博士の『 I わたし』の中に低次アストラル界のエンティティ(サタン的エネルギーやルシファー的エネルギーの正体)は " 人類が地球上に現れるよりも前から地球にいた " という記述がありました。
博士はそのようには言っていませんが、わたしはこのアストラルのエンティティこそがアルコンだと思っています。人類より先に地球にいたという点でグノーシス神話とも符合しますしね。わたしは、人類全体の意識レベルがつい最近まで 200 以下のネガティブな領域にとどまっていたのは、このアストラルのエンティティの影響によるものだと思っているのですが、それはつまり、アルコンが人類をなるべく解脱(輪廻転生から卒業)させないように人々を誘惑し、ときには憑依して非統合的な領域に人類の意識を閉じ込めてきたということです。なぜなら、そのような領域における人間のネガティブな感情のエネルギーこそが、彼らの好物だからです。
そのように考えると、ディティールはともかくとして、地球がアルコン(アヌンナキ)によって支配された人類の魂の監獄であるという見立ては、あながち的外れではないように思えます。もっとも、エイリアン・インタビューやウイングメーカーで語られるほど絶望的に脱出不可能なものでは全然ありませんし、そもそも魂をこの次元にある物理的な装置(それがどれほど超絶的なテクノロジーで造られていようと)で閉じ込めるなんてことはできません。ですから、地球で転生を経験している魂たちは、このハードモードな地球という環境をあえて選んでいるのであって、アルコンの悪巧みはそのための仕掛けとして利用されているに過ぎないと思います。
とはいえ、言うまでもありませんがアルコンはしたたかで手強い存在です。比較的意識レベルの高い人でも、心のスキを突かれてしまうとあっという間に転落してしまいます。ですので、日頃からネガティブな事物や人物からは距離をとっていることが大切です。
ちなみに余談ですが、ウイングメーカー(ここからネタバレ注意)は、最初のほうの話(おもにウイングメーカーⅡ エンシェントアロー・プロジェクト)ではまもなく地球に向けて邪悪な機械生命体がやって来るという予言的な内容だったんですが、この機械生命体というのが無機的生命体としてのアルコンがモチーフだったように思えます。その後、現実世界においてはもちろんそのような生命体の襲来はなかったので、途中でそれまでの話が「なかったことに」なって、突然アヌンナキが出てくるんですよね。正直なんじゃこりゃ!? ってなりましたが、それはそれとしてアヌンナキの話も面白かったので個人的にはウイングメーカーは評価しています。ただ、あくまでフィクションとしてですけどね。
おまけ 苫米地英人特集
苫米地先生の本は、霊的な目覚めが起きはじめた時期に結構読んで、とても勉強になりました。わたしが霊的な話をするうえで可能な限り合理的な説明をするのも、先生から認知について学んだことが基盤にあると思います。
Audible のサブスクで聴ける本がたくさんあったので全部ライブラリに入れましたが、とりあえず以下の2冊を聴き終えたので紹介します。
よく人間は脳のポテンシャルの95%だったり90%だったりが使えていないという話を見聞きしますね。この本では97%とタイトルにありますが、冒頭で「実際にはそういうことではないが、でもある意味では正しいともいえる」と苫米地博士は述べ、そこから、脳をもっとよく使う方法と考え方についての話がはじまります。
苫米地博士の本も、このあいだ紹介した橘玲さんの本と同じで、おなじネタがわりと多いです。とくにこの本のような能力開発系の本はだいたいどれもよく似た内容という印象ですが、苫米地博士の文章はとにかく明晰で読みやすく、それでいて当たり前ですが内容は高度なものが多いので、何冊読んでもよいものです。とはいえ、それとは別に、次に紹介する「スピリチュアリズム」と、「洗脳原論または洗脳護身術」と「認知科学への招待」は(これらの本は Audible にはありませんが)ぜひ読んでおくべきです。
この本については、とくに後半ででてくる「スコトーマ(心理的盲点)」についての説明のところを注意深く聴いて(読んで)ください。わたしの記事をずっと読まれている人ならすぐに気づくと思いますが、スコトーマとは「コンテクストに意識が向いていないために見落とされる情報」のことです。それでなにが言えるかというと、スコトーマを克服するためのメソッド(コンフォートゾーンを広げる)は、意識レベルを向上させることにも使えるということです。まあ、スコトーマという観点に着目しているとコンテントを拡大するばかりで意識が無限のコンテクストへと向かいにくいという面もあると思いますが、それはそれと心得ておけば問題はありません。使えるものはなんでも採り入れるべき、というのがわたしのスタイルです。
この本で苫米地先生がいう「スピリチュアリズム」を一言でいえば『人をだまくらかすための抽象度の低い霊とか魂とかいった話』という感じになるでしょうか。つまり、彼がスピリチュアリズムという場合はそれは基本的にすべて批判の対象です。ですので、この本のなかでは色々な人達や団体が手加減なしのケチョンケチョンに批判されています。それは、こうした人や団体によって搾取されたり支配されたり、最悪の場合人間性を破壊されたりしてしまうことのないように、という博士からの警鐘であるわけです。
わたしが見る限り、note 上にもスピリチュアルと看板に書いて人を騙そうとしている人や、自分自身も騙されてしまっている人が大勢います。この本を聴いて(読んで)おけば、そういった邪な人物に騙されるリスクは一定程度回避できるようになると思います。そして、かなり面白いです。
騙す騙されると書いていますが、例えばデタラメの書かれた有料記事を買わされてお金を損した、という程度ならまあそれも人生経験だよねとわたしは思います。よくないのは、間違った教えを正しいと信じ込まされて、その結果として霊的成長が行き詰まってしまうことです。
苫米地博士がよく用いる言葉で重要なのが " 抽象度 " です。考えや話の内容、あるいは扱っている概念について、それがどんな抽象度のレベルで語られているかということを問題にしているわけですが、わたしの理解では簡単にいうと苫米地博士は「最高の抽象度=空=悟り」と考えているようです。空を一なる意識(=無限のコンテクスト)と考えてよいのであれば、これはラメッシやわたしが言っていることと同じだと思われます。
それで考えていくと、具体的な話(抽象度の低い話)というのはすべからくコンテントですから、それは真理からは遠いということになります。この本のなかで苫米地博士はオウム真理教の教義である輪廻転生について批判していますが、それは「人間の魂には生まれ持ったステージがあり、このステージは階層をなしている」というものです。そしてもちろん教祖である麻原彰晃の魂は最高位のステージにあるというわけなのですが、このような輪廻転生の考えを苫米地博士は「絶対差別」だと厳しく批判しています。絶対差別というのは生まれつきどうにもならない差(優劣)を正当化しているという意味で、これは優生学などにも見られる考えです。
苫米地博士に直接聞いたわけではないのですが、博士が問題にしているのは輪廻転生の是非というより、低い抽象度(魂のステージやら階層やらがあるという、漫画の設定のような話)で輪廻転生を語り、それによって教祖や教団幹部を権威づけ、信者に絶対服従を強制するそのやり方なのだと思います。
わたしも輪廻転生については以下の記事にて詳細に書いています。
記事のタイトルに注目していただきたいのですが、わたしが言っているのは「輪廻転生はある、と考えるとして、ならばそれをどのようなものであると理解すべきなのか?」ということです。わたしは輪廻転生はあると考えていますし、実際にそれはあるはずです。ただ、その実際のところはおそらくわたしたちが考えているようなものとはまったく違う実相をもった事象なのだろうと思ってもいます。単純に、肉体を持って生きている人間に、あの世のことなど知り得ないわけです。なので、それについては死んでからのお楽しみということにして、すでに過去の賢者たちが明らかにしてきた知識や、わたし自身が知覚している現実を踏まえて、「こう考えればいんじゃね?」というものをまとめたのがこの記事になります。
この記事では、輪廻転生の主体はエゴであり、そのエゴの正体はカルマの束であると表現しています。しかしながら、エゴは幻想ですから、エゴを主体とする輪廻転生は、これも壮大な幻想であり、つまるところそれは観念に過ぎないということです。この記事の説明においては、魂は転生体である人間を利用してただただ経験を収集しているだけという立場を取っていますが、この理解は現在においても変わっていません。また、魂の次元では時間や空間というものはないので、魂が時間軸において一回一回転生体と一体化して経験をし、成長していくというストーリーはこれも幻想です。つまり、魂は魂であり、この人の魂はあの人の魂よりも進化している、というようなことはありません。すなわち魂のステージなどという概念が入り込む余地はどこにも用意していません、というのがこの記事の真意です。
とはいえ、この本を聴いていると(読んでいると)苫米地博士は輪廻転生を否定しているかのように感じるかもしれません。それについては、この本の中でも出てくる言葉ですが、「顕教(けんぎょう)」と「密教(みっきょう)」がキーワードになるでしょう。この本は一般向けの内容ですから、このなかで抽象度の高い輪廻転生の話をしても、誰も理解できないどころか、変に誤解してしまう人が多く出てしまうでしょう。ですからこの本ではあくまで抽象度が低い輪廻転生の話を悪用していたオウム真理教を批判するにとどめているわけです。これが苫米地博士の顕教の部分の教えです。
それに対して、これも苫米地博士に聞いたわけじゃありませんが、博士の門弟と呼べるような人たちに対しては抽象度の高い、つまり本当の輪廻転生について話していると思います。つまり、それが苫米地博士における密教の部分ですね。
追記:『スピリチュアリズム』、ぜんぶ聴いたと思っていたら最後に「補稿」という項目が残っていて聴いてみたところ、なんと上に載せたわたしの記事とまったく同じ見解の輪廻転生論を苫米地博士も言っておられました。
ちなみに抽象度の話でいうと、たとえば師の臨在とそれがもたらす恩寵について、わたしはいくつかの記事で書いています。実際に、意識レベルの非常に高い教師のエネルギーフィールドに生徒が触発されて、意識レベルが飛躍的に上昇するということは起こり得ます。ただ、「触発」と書いたように、それは教師の力だけによるわけではなく、生徒のコミットメントの強さと教師への全幅の明け渡しがあるときに、その場で「起こること」として起きるのです。わたしがもう一つのブログを in SPIRE と名付けているのは、一つにはこの "触発" が起こることを願ってのものです。わたしには触発を起こす力などありません。それは起こることなのです。要するに、臨在や恩寵は、たしかに教師のエネルギーフィールドによるものですが、教師本人にもそれを自らの「能力」として行使することなどできません。そもそもエネルギーフィールドといってもそれはこの次元ではないより抽象度の高い次元のエネルギーのことなので、それを見たり感じたりすることもできません。
ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジが「わたしの力であなたを目覚めさせてあげよう」とか「あなたに恩寵を与えよう」などと言うと思いますか? 言うわけありません。サイババじゃあるまいし。
しかしながら、note には自分と一緒に瞑想すれば恩寵を受けられるとほのめかし、それどころか他者のカルマを引き受けられると言っている人がいるんですよね。これって、「わたしが作った壷には霊的なパワーが込められている」と言っているのと同じレベルなんですが、本人は分かっていなさそうです。なんで分からないかというと、理解の抽象度が低いからです。ちなみに、カルマは本人にしか解決できないものです。仮に師から恩寵を受けたとしても、師の臨在に " 触発され " た生徒が自分の力でなんとかしない限り、なにも起こりません。実際、何千、何万人もの人がラマナ・マハルシやマハラジの元を訪れたと思いますが、その中のごく一握りの人たちだけが恩寵をものにできたはずです。
話を戻しますが、この本に限らず抽象度の話は苫米地博士の本のいたるところで登場しますから、何冊も読まれて、この概念に馴染まれることをおすすめします。これが分かるようになってくれば、怪しい人物にひっかかって騙されることはなくなることでしょう。
おまけその②
今年はまだ金木犀の香りは嗅いでないですが、時期的にはそろそろですかね。この曲はザ・名曲 オブ ザ・名曲だと思います。すなわちめちゃくちゃ名曲です。きのこ帝国は、残念ながらわたし、解散したあとで知りました。でもボーカルの佐藤千亜妃さんはいまでも活動されています。
そういえば香りで思い出したんですが、最近 Uber Eats の仕事で夜明け前の心斎橋を走ることが多いんですが、そこかしこで大麻の匂いがしていますね。飲み屋とかバーが入ったビルのエレベーターや、普通に道端でもあります。知っている人なら分かると思いますが、大麻の匂いは一回でも嗅いだら一生忘れないというか、かすかに嗅いだだけでもそれと必ず分かるような印象的な香りです。わたし的には「ああ、懐かしいな」と思いました。
それでは今回はこれで以上です。最後までお読みくださってありがとうございました。また次の記事でお会いしましょう😉✨️✨️
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