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質問箱への回答㊹『カルマと運命と自由意志』

ここしばらく、またちょっと体調を崩していました。以前のように熱は上がらなくなっているのですが、体を動かすとものすごく消耗します。横になって安静にしていると多幸感とともに意識が拡がっていくような感じがあるので、これはあれかなあという心当たりもなくはないのですが、いずれにせよ仕事には支障をきたしています。

さて、今回は質問箱への回答なのですが、その前に一つお知らせです。

質問箱については、これまでは完全匿名でどなたからの質問も受け付けておりましたが今後はすこし敷居を上げて、 note のアカウントでわたしをフォローされている方からの質問に限定させていただきます。質問文のどこにもアカウント名が書かれていない質問には回答いたしません。※フォロー必須なのは、最低限の記事は読まれていることを担保するためです。

こうする理由は最近、質問箱を荒らす人が現れたことが一つ。もう一つには、わたしの記事をいくつか読んでいれば聞くまでもない質問や、意識レベルについての質問なのにホーキンズ博士の著作をまったく読んでもいないことが明らかな質問が寄せられることがあったからです。

フォロワー数がこの1年で急激に増えたこともあり、このような措置は致し方ないのかもしれませんが、これにはよい面もあります。というのは、質問される方がもしご自身でもなにか記事を投稿されていたり、あるいはプロフィールになにか書いておられたりすれば、その人がどんな人なのか、多少なりとも知ることができます。それによって回答の内容をその人に寄せたものにすることが可能になるからです。

これまでも質問者が誰なのかが分かっている場合にはそのようにしていましたが、わたしとしては AI のようにただ答えるだけではなく、なるべく質問者さんとの対話に近づけたいというのが本望です。なので、名前と質問だけ書いてあるよりも、その人の状況であったり、探求の進み具合であったり、なぜその質問がしたいのかであったりと、色々と情報がある方がうれしいです。

以上、よろしくお願いします😉✨️✨️


今回のご質問

さて、今回のご質問はこちらです。

先ほど書きましたが、今回のご質問についても本当はもうすこし情報が欲しいところです。というのも、カルマというものがあるか? ないか? というだけであったなら、わたしの記事をいくつか読んでもらっていれば、それは聞くまでもないはずです。ですから、回答としては「はい、ありますよ😊」でおしまいになります。

そのようなやり取りにはなんの意味もありませんよね。なので、今後は質問の仕方をもうすこし考えてみてください。あんまり自分で言いたいことではありませんが、過去の記事を読んでもらえば、どんなシンプルな質問に対しても相当なボリュームの文章で回答を書いていることが分かっていただけると思います。これはわたしが天から与えられた仕事ですから、それについて値打ちをつけるつもりはまったくありません。ですが単純な話として、わたしがもし他の人にそれだけの文章を書いてもらうことを期待してなにか聞くのであれば、もっと丁寧に質問するでしょう。

とはいえ、この人間の世界においてカルマはおそらく最重要といってもよいテーマです。それゆえ in SPIRE でも note でも様々な文脈において言及してきてはいますが、カルマそのものを主題にした記事があってもよいと思います。そこで今回はこのご質問をお借りして、カルマと運命と自由意志について書いてみようと思います。


先に読んでおいていただきたい記事

それではさて、と言いたいところなのですが質問者さんが前提としてどんな理解をお持ちなのか、わたしには分かりません。ですので、以下に挙げるいくつかの記事をお読みいただいてから、その先をご覧いただくことをおすすめします。


この記事ではまず、エゴ(自我)は幻想であり、独立した行為の主体ではないということを書いています。

こちらでは「自由意志はない」ということを書いています。エゴが行為の主体ではないというのなら、エゴには自由意志はないということです。

この記事では、思考は勝手に現れるものだということを書いています。人は自分の頭で自由にモノを考えていると思い込んでいますが、そうではありません。思考が自由にならないものなら、当たり前ですが自由意志などというものはありません。

輪廻転生というシステムについて書いています。ポイントは、エゴが転生しているように見えるけれども、実際には(エゴは幻想なので)カルマが引き継がれているだけであるということです。この記事の内容が理解できれば、カルマについての疑問はなくなるでしょう。


カルマと運命と自由意志

これから書くことは、先に挙げた4つの記事の内容を踏まえつつ、カルマについて簡潔に述べるものになります。

形のある世界には必ず物事に因果関係があります。ある人間が生まれてくるには、それに先立って両親の出会いがあり、それぞれの親が生まれてくるのにもさらにそれぞれの両親の出会いがあり……、と生物学的な因果関係だけでも短く見積もって数万年は遡ることができますが、そうした膨大な因果の果てにあるのがいま生きている一人ひとりの人間ですね。そして、人間は一人ひとり異なった肉体と環境をもって生まれてきます。一卵性双生児においては肉体はほぼ同一と言ってよいですが、双方にとってそれぞれの片割れが存在しているという意味で、環境はほんのすこし異なっています。(双子ABにおいて、AにはBという片割れがいて、BにはAという片割れがいる、という点でまったく同じ環境ではない、という意味です)

まず言えることとしては、一人の人間が生まれ持った肉体と生まれた環境(場所、時間、家庭環境など)は、その人が生まれた時点における過去のカルマの果実(結果)です。そしてこの結果であるところのカルマは、この人がこれから人生を歩んでいく上での根本的な種子(原因)でもあります。つまり、人間にとって肉体と生まれはカルマです。

生まれてきた人間にはやがて、その肉体の個性と育てられた環境(主に親の関与)に応じた自我が生じますが、「エゴは幻想? わたしはいない?」の記事にあるように、自我は縁起によって生じるものです。つまり、簡単にいうと自我もそれに先立つカルマ(肉体と生まれ)による果実であり、それ自体がカルマです。すなわち、人間の肉体と自我(心=精神)はいずれもカルマであるということです。あなたが「これが自分だ」と思っているものこそがカルマそのものなのです。

カルマであるということは、原因と結果の連鎖のなかにあるということです。思考もこの原因と結果(因果)の流れに沿ってコーザル体(因果体)からメンタル体を経て、脳を介して心に現れます。人生における選択はカルマの現れである思考によってなされますから、人生はカルマに沿って流れていきます。これが "運命" です。

実際のところ、カルマも運命もおなじことを指しています。カルマがその人の人生にどのように現れるかを運命と呼び、運命に直面したときになぜそうなるのかを説明するのがカルマです。ですからこの二つは同じですが、カルマという言葉を用いるほうが色々なことを考える上では便利でしょう。

ところで運命を信じる人に「では、あなたは自由意志はないと知っているんですね?」と聞いてみましょう。おそらくその人は「いいえ、自由意志はあります!自由意志があるからこそ、運命を切り拓くことができるんです!」と答えることでしょう。しかしこれは大いに矛盾していますね。運命があるということは、自由意志はないということです。逆に言えば、自由意志がもしもあるのなら、運命などというものはありえないはずです。

カルマ(運命)と自由意志のなさは、同じことを別の面から論じているだけであって、これらは本質的には同じ話であって、かつ、ワンセットの観念です。同じこととはつまり、「すべては一つである」ということであり、「分離はない」ということです。

すべては一つであって、どこにも分離はないので、独立した行為の主体はなく、行為の主体がいないのなら自由意志は存在せず、あるのは全体性(宇宙)がそれ自体のなかで起こす変化だけであり、この変化は因果(カルマ)に沿って起こります。


カルマからの開放(解脱)

さて、カルマについて大体のことは書けました。最後に、ではどうすればこのカルマの連鎖(=輪廻転生)から開放されるのかについて簡単に触れておきます。

カルマ(因果律)は形のある世界の根本的な法則といえますね。そして、形のある世界にはもう一つ法則があって、それは「変化しないものはない(諸行無常)」というものです。別の言い方をすると、「はじまりのあるものは必ず終わりを迎える」ということでもあります。人は必ず死にますし、永遠に続く幸せは物質世界にはありません。

人間が苦しむのは、この諸行無常なる形のある世界に一体化しているからです。具体的には主に肉体と心(肉体精神機構)との一体化ですが、この一体化が続く限り、人間は形のあるこの世界において輪廻転生をやめることができません。

上の表には人間の死後の行き先が示されていますが、これから分かるのは、意識レベル 599 までは死後にも形のある世界に行くことになるということです。500 から 599 までは有形の天界に、それより低いレベルではアストラル界ですが、アストラルも物質的ではないものの形のある世界です。

一方、意識レベル 600 以上の死後の行き先は "無形の天界(高次天界)" となっていますが、ここではもう、人間の意識は形のあるものと一体化しないということを意味しています。意識レベル 600 は覚醒のレベルですが、このレベルが仏教でいうところの "解脱" に相当します。解脱とは輪廻転生から解脱するということですから、この領域の人はもう地上に生まれてくることが基本的にはありません。基本的には、というのは時としてこのレベルの意識が人々を援助するためにあえて受肉してくることがあるからです。

意識レベル 600 を超えて解脱した人物も、肉体精神機構そのものはカルマの法則のもとにあります。なぜなら肉体精神機構はカルマそのものだからですが、この領域の人物はすでに肉体精神機構と一体化していませんから、そのカルマによって苦しむことはありません。しかしながら、解脱(覚醒)したからといってその人物には自由意志がある、というようなことは決してありません。もしもそのようなことを言う人がいたなら、生暖かい目で見守ってあげましょうね。

さて、今回はここまでにします。今後もよい質問をお待ちしております。最後までお読みくださってありがとうございました。また次の記事でお会いしましょう😉✨️✨️


おまけ

Audible でちょっとよかったものを共有します。こないだは山川の高校用の世界史の教科書の朗読も聴きましたが、「百済、新羅」を「ひゃくさい、しんら」と発音していて、機械翻訳だから間違っちゃってるのかなあと思いつつ気になって調べたら、昔(つまりわたしが高校生だった頃)は「くだら、しらぎ」が標準の読み方でしたが、これは日本独特のもので、現地語の発音により近いのは「ひゃくさい、しんら」なので現代ではそっちが標準になっているそうでした。

それにしても、まあ当たり前ですが機械翻訳よりもちゃんとした朗読のほうがやはり聴きやすいですね。ただ、朗読の場合でも「この声は苦手だなあ」ということもあり、それだったら機械翻訳のほうがマシだったりしますね。

インネパという言葉は実は知らなかったんですが、わたしは大のインネパ好きです。大阪発祥でもあってスパイスカレーももちろん好きですが、インネパの「どこで食べても同じ味」は安心感があってありがたいです。値段も基本的に安いですしね。この Audible はそんなインネパの秘密と裏事情をかなり詳しく教えてくれます。楽しい話ばかりではなく、なかなか考えさせられる話も多いですが、聴いてよかったです。

こちらはやや重たい内容ですが、とてもよかったです。意識レベルもそうですし、IQにも似たようなことが言えると思いますが、人間は自分自身(のレベル)を基準にして世界を理解しようとするものなので、分かっているつもりでもぜんぜん分かってないことが結構あるものです。統合的で親切で、他者の役に立てる人間でありたいと願う人は、まずその前に他者をよりよく理解することができなくてはなりません。そういう意味で、これはぜひ聴いてみて欲しいです。

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