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懺悔ではないけど

 「懺悔」と言うのは違うかもしれないけど、どこかに吐き出したいことってある。悪かったと思っていて、でも誰かに話すには少しためらいが残るようなこと。話しても仕方ないのだけど、心にたまっていること。
 
 生後まもない頃の赤ちゃんが、ずっと泣いていたときがあった。あぎゃーあぎゃーと声を張り上げていて、何もしても泣き止まない。抱っこしても、オムツを替えても、ミルクをあげようとしても無理。
 
 いま思えば、眠いのに上手に寝られなくて泣いていたのかもしれない。いま同じ状況になったら、とりあえず寝かしつけると思う。でもそのときは何も思いつかなくて、ずっとぎゃーぎゃー言う赤ちゃんを前に、することがなくなった。
 
 「安全なところに仰向けにした状態なら、10分程度なら離れても大丈夫」。いろんなところでそう書かれていたので、少し離れることにした。ただこの注意書きには「目の届くところで」というフレーズも入っていたのに、自分は見落とした。
 
 部屋のなにもない床に毛布を敷き、赤ちゃんを仰向けに置いて出た。まだ寝返りもできない月齢だから、うつぶせになってしまうこともないだろう。そう考えて、泣き声が小さくなるところまで離れた。そのまま少しのあいだ、休んでいた。
 
 「少しのあいだ」が何分だったかは知らない。気を取り直して部屋の前に戻り、ドアを開ける。毛布に寝転び、手足をバタつかせた赤ちゃんがこっちを見ている。
 
 手足をバタバタさせている最中にオムツが外れ、そのまま移動してしまったらしい。毛布にウンチを垂れ流し、下半身裸のまま、あぎゃーあぎゃーと何かを必死に訴えていた。目が合った瞬間「悪いことしたな」と思った。
 
 すぐにお尻を洗って新しいオムツをつけ、着替えもした。試しにおっぱいを吸わせてみると、吸いながら泣き止んで寝た。なにも大事に至らなくてよかったけど、このときのことはずっと頭にある。
 
 悪いことしたな。そう思った。「私はなんてことをしてしまったのだろう」ではなく「やっぱり赤ちゃんから離れちゃダメだったんだ」でもなく、ただ「悪いことをした」。罪悪感と呼ぶにはずいぶんサラッとしていて、でも記憶には残る感情。
 
 あれ以来、赤ちゃんの泣きにはできるだけ付き合うようにしている。人によっては泣き止むまで放っておくらしい。異常がなければ、それでもいいと思う。赤ちゃんはよくわからない理由で泣くから、見守るしかないときもある。
 
 昨日は、めずらしく夜中にずっとぐずっているので、抱っこしたり揺らしたりしながら一緒にいた。どこかに降ろしてそっと離れてもいいのだろうけど、なんとなくあの一件以来、それはできないでいる。
 
 たぶん、あのとき赤ちゃんと目が合った影響が大きいのだ。「なんで自分がこんな目に遭わないといけないんだ」「どうしてあなたは助けてくれないのか」、なんだかそう言われているような気がした。
 
 だからどうという話でもない。深刻なネグレクトや虐待でもない。児童相談所に電話して「こんなことをしてしまいました」と懺悔しても、誰も動きはしないだろう。そうですか、次から気をつけてくださいね、でおしまいだ。暴力を振るったわけではないから。
 
 誰にも裁かれない程度の悪いこと。誰にも裁かれないで密室で処理されるから、澱のようにたまっている。外に晒さないと腐臭を発しそうだから、こうして書いてみる。
 
 人によっては「悪い母親だ」と言うかもしれない。あるいは「子育てをしていると、そういうこともある」と言うかもしれない。自分はただ「悪いことしたな」と思う。
 
 自分を裁ける人間がいるとしたら、それは当の赤ちゃんだけで、あのときの視線ひとつで私はもう裁かれてる。懺悔に似た長いつぶやき。

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メルシーベビー いつもありがとうございます。最近、買ったのは田原開起『死と生の民俗』です。