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大人だって、褒められたいのだ。

子どもは、立っただけで褒められる。

一歩歩けば拍手。
ご飯を食べれば拍手。
寝れば「よく寝たね」と言われる。

すごい世界である。

生きているだけで、周囲が成長を見つけてくれる。

どうも
基本的には褒められて伸びるタイプのナオです。
親としての基本スタンスも褒めて伸ばす派です。


大人になると、褒められる回数が激減する。

朝起きる。
仕事をする。
ご飯を用意する。
農作業をする。
洗濯物を干す。
支払いをする。
保険料を払う。
年金を払う。
税金を払う。

それでも、基本的には通常運転である。

誰も拍手してくれない。

「今日もよく住民税を払えましたね」

とは言われない。

「洗濯物を干せてえらいですね」

とも言われない。

言われたい。

かなり言われたい。
褒められたい。


子どもを見ていると、褒められることの大切さを思い出す。

できなかったことが、できるようになる。
その成長に目を見張り、潤ませる。

昨日より少し前に進む。
それを誰かが見つけてくれる。
そして、すごいねと言ってくれる。
たぶん人間は、それだけで少し前に進める。

でも大人になると、できて当たり前のことが増える。

働いて当たり前。
払って当たり前。
片付けて当たり前。
我慢して当たり前。
間に合って当たり前。

当たり前が増えるほど、人は褒められなくなる。

でも、本当は当たり前ではない。

朝起きることも。
働くことも。
家族のことを考えることも。
暮らしを回すことも。

全部、けっこう大変である。


特に40代になると、いろいろなものを同時に抱える。

仕事。
家計。
子育て。
親のこと。
地域のこと。
自分の体の微妙な不調。
そして、なぜか増え続ける名もなき用事。

探し物もする。
すぐ疲れる。
関節が痛けりゃ普通に機嫌も悪い。

でも、それでも毎日をなんとか回している。

これは、もう少しくらい褒められてもいいのではないか。


大人になると、誰かに褒めてもらうのを待っているだけでは足りないのかもしれない。

だから、自分で自分を少し褒める。

今日も起きた。
今日も働いた。
今日も暮らしを回した。
今日も家族をなんとか守った。

派手な成果はなくてもいい。
目に見える成長がなくてもいい。
大人の毎日は、拍手されない小さな達成でできている。


子どもを褒めながら、ふと思う。
本当は大人も、もう少し褒められていい。

だから今日も一日の終わりに、誰にも言われなかった分だけ、自分で小さく言うつもりだ。

よくやった、自分。

朝、その一言を言えるように、今日をなんとか生きていく。

大人だって、褒められたいのだ。

そして、この記事を書き終わりに42にもなって朝から何を書いているのかと少し恥ずかしくなる。

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