80年代洋楽を愉しむ雑談編~ランキングの話
記事も増えてマガジンらしくなってきました。いろいろな切り口で今後も洋楽を楽しくご紹介していきます!
さて、今回は思考を変えて80年代洋楽のランキングについてお話ししましょう!
『ベストヒットUSA』は、日本のテレビおよびラジオの音楽番組。アメリカ合衆国のラジオ&レコーズおよびビルボードのデータを元にした独自のヒットチャートを紹介している。1981年から1989年にテレビ朝日ほかで放送されたのち、1993年のラジオでの再開、CS局などでの別タイトルでの事実上のテレビ版再開などを経て、2003年にBS朝日ほかでテレビ版の放送を再開した。司会(VJ)は第1回から一貫して小林克也が務めている。
日本において、洋楽のランキングものといえば、小林克也さんの「ベストヒットUSA」ですね。筆者もこの番組を欠かさず見ていました。
この番組で使用していたのはラジオ&レコーズでかつてのアメリカ4大チャート(ビルボード、キャッシュボックス、レコード・ワールド、ラジオ&レコーズ)の中では最後発となる1973年に創刊されています。
日本でいうオリコンになりますが、おそらくもっとも権威があったのはビルボードであり、現在でもビルボードという言葉は、Billboard Live TOKYOなど、なじみがあると思います。
4大チャートはそれぞれラジオのエアプレイ、レコード・CDのセールス(現在はストリーミングやダウンロードを含む)を総合的に集計するチャート方式を確立し、それを雑誌として販売していました。
その集計の違いが様々なドラマを生むことになります。
全米1位狂騒曲
映画のキャッチコピーではないですが、この時代、全米一位というのは伊達ではなかったのです。
今でも映画年間興行成績は話題になりますが、このころの洋楽も年間1位を取ること、そのために週間1位をなんど連続でとれるかが話題になっていましたし、それこそがビッグアーチストの証でもありました。
しかし中には不運なケースもあり、それはそれで語り継がれます。
Foreigner - Waiting for a Girl Like You
「ガール・ライク・ユー」 (Waiting for a Girl like You) は、1981年のイギリス人・アメリカ人のロックバンド、フォリナーによるパワーバラードである。特有のシンセサイザーは、当時あまり知られていなかったトーマス・ドルビーによって演奏された。この曲は、アルバム『4』 (1981年) から2番目にリリースされたシングルであり、ルー・グラムとミック・ジョーンズの共作。Billboard Hot 100の1位には到達しなかったが、同チャートで10週連続2位となり、記録を塗り替え、珍しいチャートの成績を残した(現在でも1位未到達曲での最長連続2位記録タイとなっている)。最初にチャート入りしたのは1981年10月で、11月28日に2位に到達した。このとき9週連続で1位を保持していたのは、オリビア・ニュートン=ジョンのシングル「フィジカル」で、その後、1982年1月30日の10週目は、ダリル・ホール&ジョン・オーツの「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」が1位となった。しかし、1982年のトップ100シングルでは19位まで到達した。キャッシュボックスでも最高2位に終わったが、ラジオ&レコーズ(CHRチャート)では、1981年11月6日付〜12月11日付まで6週連続1位を記録した。
このころ、今週こそ一位を獲得するだろうとチャートの発表を愉しみにしていたものです。なんせ大好きな曲だったし、このバンドも素晴らしかった。
前回の記事で紹介したオリビア・ニュートン・ジョンのフィジカル、そして同じく80年代を代表するヒットナンバー、ダリル・ホール&ジョン・オーツのI Can't Go For That (No Can Do)に1位を阻まれ、特異な記録を残した名曲となったわけです。
しかも年末をまたいだヒットだったため、どちらの年のランキングでもヒットした規模よりは低いランキングになってしまいました。
しかし各社の集計方法の違いによってランキングが微妙にかわってしまうこともあり、ランキングシステムの矛盾が垣間見えます。
しかし、彼らは次の5枚目のアルバムでその雪辱を見事に晴らすことになります。
Foreigner - I Want To Know What Love Is
「アイ・ウォナ・ノウ」 (I Want to Know What Love Is) は、イギリス人・アメリカ人のロックバンド、フォリナーが1984年に収録したパワーバラード。イギリスとアメリカの両国で1位を獲得し、フォリナーの最も大きなヒット曲となった。現在でもバンドで最も有名な曲の1つで、2000年、2001年、2002年に、ビルボードのホット・アダルト・コンテンポラリー・リカレントチャートで、最も永続的に流されているラジオヒットの25位となった。
筆者の実感で行くと、フィリピンパブで受けのいいのはこちらの曲です(笑)。
80年代においてヒットチャートは今とは比べ物にならないくらいに重要であり、ファンも毎週チャートの発表を愉しみにしながら、ラジオやテレビにかじりついていたのは、筆者だけではないはずです。
推しのあの曲が今日は何位にランキングされているのか? それを阻むのはどの曲か? 今ではちょっと想像がつかないかもしれませんね。
筆者は当時ラジオ日本(当時ラジオ関東)で(土曜日の深夜?)に放送していたケイシー・ケイサムのAmerican Top 40を聞いていました。
これだけ注目されていたヒットチャートです。スーパースターたちはもっとすごい記録を残しています。ヒットチャートの特徴として普通は一気に一位になり、圏外に落ちるのはもっと早いです。
まれにじわじわとヒットして、じわじわと落ちていく息の長い曲もあります。前述のフォリナーの楽曲はまさに息の長いヒット曲となったわけですが、マイケル・ジャクソンの大ヒットアルバム「スリラー」はまさにこのランキング・エピソードにおいてとんでもない化け物でした。
まさに怪物レコード『スリラー』
スリラーはか発売から現在に至るまでの売上は約7000万枚〜1億枚程度販売されたとされ、ギネス記録に認定されています。このアルバムには9曲収録されていたのですが、シングルカットされてTOP10入りした曲はなんと7曲。
さらに驚くことに1983年3月19日付のBillboard Hot 100で「Billie Jean」(1位)と「Beat It」(2位)が同時にTOP2にランクインという快挙を成し遂げます。
The Girl Is Mine (with Paul McCartney)
Billie Jean (1位獲得)
Beat It (1位獲得)
Wanna Be Startin' Somethin'
Human Nature
P.Y.T. (Pretty Young Thing)
Thriller(1984年3月3日に週間4位)
Michael Jackson - Billie Jean
多くの人がビリー・ジーンが最初のシングルだと記憶しているのではないでしょうか。しかし実はアルバム「スリラー」が発売される前に先行して発売されたのがこちらの曲です。
Michael Jackson,PaulMCcartney-The Girl is mine
これは決して稀有な例ではないですが、この「スリラー」に関してはヒットチャートを考えた実に戦略的なリリースだったと思います。
多くの人がこの曲を聞いた時、マイケル・ジャクソンのMVにゾンビが踊りまくるなんて想像しなかったでしょうし、当時のMTVの事情で言えば、ポール・マッカートニーとセットでなければ、曲を流してはもらえないだろうとレコード会社が考えた可能性があります。
その戦略は見事に成功し、ビリー・ジーンがヘヴィローテーションされたと言えるかもしれません。
このようにこの時代のヒットチャート、TOP10というのは洋楽を語るうえで重要な要素であり、そこには人種差別、ビデオメディアの台頭、ラジオ、雑誌、テレビを巻き込んだメディア戦略の広告塔、指標として機能していたと言えます。
では最後に、このランキングシステムの中にあって、バンドと作品の底時からを見せたエピソードで締めくくりたいと思います。
刹那的なシングル・チャート vs. 永続的なアルバム・チャート
狂気(The Dark Side Of The Moon)/ピンクフロイド
このアルバムは1973年発売にもかかわらず、Hot 100の曲のようにすぐに消えることなく、700週以上(約14年以上)連続でチャートインした時期があったなど、桁違いの記録を持っています。この記録は、80年代のポップスが追求した「瞬間的な成功」とは対極にある「普遍的な成功」の象徴として扱えます。
チャートとは流行を示すだけではなく普遍的な成功を示す指標になることもあると言えますね。
次回もお楽しみに!
See You Next Time! Bye Bye!
