スーパーマンVSファンタスティック4~ヒーロー的文脈と映画的文脈の狭間
世間では劇場版『鬼滅の刃』の話題で持ち切りだというこの状況でも、どうしても気になるジェームズ・ガン監督のスーパーマンとMCU最新作ファンタスティック4のどちらに軍配が上がったのかということに興味関心がある人、当然ネタバレあり、それでも読みたい人限定です。
その対決興味はあるのか?
アメリカと日本ではそもそもの関心度が違うだろうし、僕が映画宣伝担当なら、この両方の対決を煽るくらいのことを両者でやらないと、話題にはならないだろうなぁと思っていました。
ここでは興行成績には触れずに持論を展開しようと思います。
この二つの作品を片方だけしか見ないという人はどのくらいいるのか、そういう調査はぜひ各映画会社、関連会社でやって欲しいものだが、ヒーロー映画って多くの人が観るものであるかどうか。
その議論は本来疑いの余地なくそうだと言えた時代があった。
ヒーローというのは別にスーパーパワーを持っている超人に限らない。それがスパイだった時もあればボクサーだった時もある。現代においてコミックのヒーローがその枠組みに参入してきたというのなら、数々のヒット作品と一緒にアベンジャーズが並んでいるのは不自然でも特別なことでもない。
アメコミ映画が数多く作られるようになったのは50年前のスーパーマンからという認識が、あるのかないのか。そこから語られるヒーロー映画史に連なるアクション娯楽映画の栄枯盛衰は今回は割愛するが、結局のところこの記事のテーマ「スーパーマンVSファンタスティック4」は、この二つのタイトルから始まる「DCU VS MCU」を占うためには必須だろうと思う。
先手、ジェームズ・ガンCEO「ザ・スーサイド・スクワット」、ドラマ「ピース・メーカー」
それぞれの映画の伏線をみるとガン監督はドラマ「ピース・メーカー」の主役、ジョン・シナ演じる正義のためなら人を殺してもいいというダーク・ヒーローの作品を伏線として、スーパーマンの中にもカメオ出演させ、観客の笑いをとり、最後にはしっかりスーパーガールを見せてユニバースらしさを強調した
一方、後手のケビン・ファイギは映画「サンダーボルツ*」のポスクレでファンタスティック4の宇宙船を登場させ、期待を煽ったが、結果その伏線は今回劇中で「見せない」ことを選択した。
それによって観客の不満と考察勢の今後の課題を与えることになった。
ユニバースという意味ではガンのほうが観客にこれから始まるDCUの楽しさを観客に見せることができたのではないだろうか。
マット・シャックマン監督の「ニューファンタスティック4」への愛
お手伝い兼探査ロボット ハービーは今回初めて実写映画化された。それはシャックマン監督自身がファンタスティック4に、どのような憧れを持っているのかという示唆でもあり、冒頭の四人の活躍のダイジェストシーンは、彼が本当はやりたかったことだった可能性が見えてくる。
映画経験が少ない中、やりたいことをしっかりと入れ込めたというのは評価に値するし、アメリカのファンはシン・ウルトラマンを観に行ったおじさんたちと同じように興奮したことだろう。
ドラマ「ワンダヴィジョン」のように尺のある程度ある作品であれば、ファンタスティック4をもっと魅力的に描けたことだろう。むしろ映画版がドラマの宣伝のような役割をする構成だったら面白かったのではないかと思うくらいだ。
一方ガン監督は愛犬クリプトを実写化し、大活躍させている。ハービーは片りんは見せたものの、ストーリーに大きく係わることがなかったことに対して、ガン監督はすべての登場人物、犬にまでしっかりと重要な役割を持たせている。
これはコミック愛もさることながら、ガン監督の凄さであると思う。もっとも、彼が得意なのはダメな人間、負け犬が活躍する話なのでクリプトもしっかりダメ犬に改変させられている。
その是非は兎に角、今回のスーパーマンが描かれている世界はどこかおかしいという伏線にもなっている。これは見事である。
ヒーローの取捨選択
スーパーマンの物語はある国際紛争に介入したことによって、ヒーローが大衆によって取捨選択させられること、そしてヒーローはそれでも世界を救えるかというヒーローとは何かを描いていた。
物語の終盤、スーパーマンは次元の裂け目の対応と再び危機にさらされた難民のどちらを助けるべきかと選択を迫られる。
78年版のスーパーマンでは愛する人を守れず、逆上して時間を巻き戻してこれを解決する。このとんでも展開は様々な解釈がされているが、スーパーマンも万能ではないことをうまく描写できたと思う。
ファンタスティック4は赤ちゃんを守ることと地球を守ることを天秤にかけるという重い課題に対して、全体のトーンが中盤以降、重たいものになっていき、それを解決する作戦のチープさとギャラクタスの不甲斐なさに批判の声が上がっているように見受けられるが、ここは実に難しいところだ。
実際、原作のミスター・ファンタスティックは奇抜なアイデア、天才的な技術開発力を持っているにも関わらず、その運用方法は常に危うく、それ事件のきっかけになることが多いそうだ。
今作でペドロ・パスカルが演じたリード・リチャーズは、スーとの間に生まれた子供に何の異変もないことに異変を感じている。それが観客にどのように伝わったかわからないが、その不穏さを彼は一人で抱えているし、スーはそれを知りながらも大丈夫だとリードと自分に言い聞かせている。
これは結構怖い話だ。サスペンスホラーと言ってもいいし、それはワンダヴィジョンでは成功していたが、今回はどうだったか。
もしもフランクリンが風邪を引いてくしゃみをするとミルクが薬に変化したなどの描写があったら面白かったかもしれないが、ワンダヴィジョンでやったことをもう一度やるには尺が足りなかったようにも思う。
しかしドラマは観れない人も少なくないからやってもよかったのではないだろうか。
一方民衆は彼らに子供を差し出すように要求する。それも恐ろしい話だ。非常に露悪な設定といってもいいし、リードがそれをしゃべってしまうというのも、原作のリードらしい。常人には理解できないだろう。
スーの演説によって世界はまとまり、電気を集めることに成功するもシルバーサーファーに看破されてしまうというのも、リードらしい失敗だ。
スーパーマンではルーサーが猿に命令して誹謗中傷によって大衆を煽っていたが、このネタで笑えるのはガンを知っている人たちだけで、こっちのほうが露悪的だ。筆者は大好きだ。
スーパーマンはどちらも助けるために仲間を頼り新しい解決方法を示し、それがDCUの世界だということを知らしめることに成功したといえる。しかし同時にスーパーマンの凄さが削られ、人間と同じように一人ではできることに限界があるという描かれ方をしている。これが認められない人も一定数いるだろう。
ファンタスティック4は、母の愛と犠牲、そしてフランクリンの奇跡によってすべてうまくいった。街の犠牲も最小限で済んだことで、どちらも守ったと言えるだろう。
しかし、本当にそうなのだろうか。あのポータルで飛ばされたギャラクタスはいったいどこにいったのだろうか。そしてポストクレジットで描かれた不審な人物の中身は実際にRDJが演じていたという。
ここまでの勝敗
筆者の中ではスーパーマンが数ポイント差で優勢とジャッジ。
シリーズとしての面白さ SM:10点 F4:8点
原作愛 SM:9点 F4:10点
ヒーローとしてのテーマ性 SM:10点 F4:9点
ヴィランの魅力
これは圧倒的にレックス・ルーサーだろう。ギャラクタスはビジュアル的な凄みはあったものの、大魔神を超えられないでいる。そもそもギャラクタスはヴィランではないということもあるので、フェアなジャッジはやりにくいが、映画の文脈でいえば、文句なしにスーパーマンだろう。

娯楽性
ガン監督の映像表現は毎回楽しいが特別新しいということはなかった。むしろ安心してガン作品でよかった。
レトロ・フューチャーをこの時代に楽しめたことはとても新しく感じたが、宇宙のシーンはどこか既視感がある展開で起きている急展開よりも退屈に感じてしまったのは残念だ。もっと宇宙船の内部の細かい描写が観たかった。
アクションシーンはスーパーマンのほうはけれんみたっぷり、ガンらしいカメラワーク。いっぴうファンタスティック4は尺不足のせいで4人の能力の見せ場がダイジェスト版程度でしか見れなかった。それを犠牲に、宇宙に行ってギャラクタスと会い、誰も見たことのない出産シーンを描いたが……。
シルバーサーファーのアクションはよかったが、ウルトラマンとスーパーマンの殴り合い、それを操るのがルーサーであり、感情むき出しになっている姿を魅せられたら、どっちがよりエモーショナルなアクションであったか、勝敗は明らかなように思える。
しかし……、時にはその良さが足元をすくうこともある。ガンの演出は王道ヒーロー作品として見た場合にノイズになることがある。ガーディアンズであればゆるされても、スーパーマンという映画の中では露悪に感じることもある。けれんみがあればいいというものでもないという意見も見逃がすべきではないだろう。
逆にファンタスティック4はアメリカの家族向けという意味では分かり易く、安全で退屈ながらも、スマートだとも言える。
本当は人類を滅亡させてしまうような敵と戦うのに街一つの犠牲で済めばやすいもの。人名の安全が確保されていれば、なおさらもっと思い切ったことをやってもいいのではと思う反面、ギャラクタスでさえ、遠慮気味に――まるでショートケーキを倒さすことなく美味しく食べようというお行儀良さが感じられ、なんとなく、スイーツ好きのおじさんに見えて可愛かった。
それこそ、ファンタスティック4なのかもしれない。

結論
筆者はどっちも楽しめたし、DCUとMCUが今後切磋琢磨して盛り上がってくれるのなら、この勝負はどっちが勝ってもいいし、それが視聴率をとるために三本勝負はかならずタイブレークになるやらせでも構わない。
大事なことは、50年続いたヒーロー映画の歴史がいよいよ一周回って新しいフェーズに入るのかもしれないというワクワク感である。
賛否どちらも聞くべき点はあるだろう。映画としての文脈のあるべき姿は、いつでも過去作を気軽に見れる現代においては「いきなり2のような1の始まり」というのもありではないだろうか。
どちらも応援したいし、両方楽しめたほうがいいに決まっているのだ。
とはいえ、引き分けというのもつまらない結論なので、僕はスーパーマンというよりは、クリプト、レックス・ルーサーとガイ・ガードナーの勝利ということにしたいと思う。
ギャラクタスの今後に期待したい。
