見出し画像

「なんで私ばっかり」が止まらなかった私の話。

昔の私の話をするね。

毎朝、誰よりも早く起きる。
ご飯を作って、洗濯して、子どもを送り出して。
床に落ちた靴下を拾って、空になった麦茶を補充して、「ママあれどこ?」に答えて。

なのに。

夫はスマホを見てる。
子どもたちは散らかす。
こっちは座る暇もない。

「なんで私ばっかり」

その言葉が頭に浮かび始めると、脳は急に優秀になる。

ほらね。やっぱりね。また私だけ。

証拠を、集め始める。

洗ってない食器。脱ぎっぱなしの服。言わなきゃ動かない家族。

「こんなにしてあげてるのに」
「私だって疲れてるのに」
「なんで誰も気づかないの?」

気づけば、怒りが止まらなくなっていた。

でも今思う。
あの頃の私は、本当は怒っていたんじゃなかった。

ずっと、
「わかってほしかった」だけだった。

「私ばっかり」が始まる瞬間

「私ばっかり」と感じる人には、ある共通点がある。

ちゃんとやれる人。
気づける人。
先回りできる人。

そして、

「自分がやった方が早い」

を何度も繰り返してきた人。

だから周りから見ると、すごく頼れる。
でも本人の中では、静かに疲労が積み重なっていく。

しかも厄介なのが、最初は“愛”でやっていること。

家族が困らないように。
職場が回るように。
空気が悪くならないように。

自分が飲み込めば済む。自分が動けば終わる。
そうやって、ずっと「いい人」で頑張ってきた。

でも人は、我慢を続けると、途中から「犠牲感」に変わる。

ここで、「私ばっかり」が生まれる。

怒りの下に隠れていた、本当の気持ち

私はずっと、家族にイライラしていた。

「なんで言わなきゃ分からないの?」
「なんで私だけこんなに忙しいの?」
「少しは気づいてよ」

でもある日、限界みたいに泣いた時、自分の中から出てきたのは怒りじゃなかった。

「寂しい」だった。

「ちゃんと見てほしい」
「頑張ってるって言ってほしい」
「大事にしてほしい」

それだけだった。

心理学では、怒りは“二次感情”と言われることがある。

つまり、本当に感じたくなかった感情を守るために出てくるもの。

悲しい。
寂しい。
不安。
苦しい。
愛されてない気がする。

それを感じるのが怖いから、怒りに変換される。

だから、

「なんで私ばっかり!」の奥には、

「ひとりぼっちみたい」が隠れていることが多い。

「家族が敵」に見えていた頃

あの頃の私は、家族が私の邪魔をしているように見えていた。

掃除した瞬間に汚される。
片付けた瞬間に散らかる。
やっと座った瞬間に呼ばれる。

「もう嫌」「なんで私だけ休めないの」

でも今なら分かる。

私は、“全部100点でやろう”としていた。

母として100点。妻として100点。家事も100点。空気読みも100点。

そして、その100点を、

誰にも頼らず一人で成立させようとしていた。

そりゃ苦しくなる。

だって、
そんな人。存在しないから。

でも当時の私は、できない自分を許せなかった。

家事が終わってない。
ちゃんと笑えてない。
イライラしてる。
子どもに優しくできない。

そんな自分を見るたび、

「まだ頑張りが足りない」って思ってた。

だから、もっと頑張る。

そしてまた苦しくなる。

「私ばっかり」のループは、周りの問題だけじゃなく、

“自分への厳しさ”

でも強化されていた。

実は、男性側にもある「私ばっかり」

この話をすると、「でも男はラクしてるじゃん」と思う人もいる。

実際、家事育児の負担が偏っている家庭は多い。

でも、男性側にも別の「私ばっかり」がある。

仕事の責任。
お金のプレッシャー。
「弱音を吐くな」という空気。

「俺ばっかり働いてる」
「誰も分かってくれない」
「休んでも罪悪感がある」

そう感じている人もいる。

ただ、ここですれ違いが起きる。

妻側は、“見える負担”に苦しむ。

夫側は、“言葉にしにくい責任”に苦しむ。

どちらも苦しいのに、お互い、

「そっちの大変さ」が見えにくい。

だから、「私ばっかり」がぶつかり合う。

本当は、敵同士じゃない。

でも、苦しさを説明する前に、怒りで会話してしまう。

すると、相手は防御する。

そしてまた、

「分かってもらえなかった」が積み重なる。

「察してほしい」は、実はかなり難しい

私は長い間、

「見れば分かるでしょ」と思っていた。

こんなに動いてるんだから。こんなに疲れてるんだから。

でも、人って、自分が見ている景色しか見えない。

自分では当たり前に気づけることも、相手には本当に見えてないことがある。

悪気じゃなく。

だから、

“察してもらえない=愛されてない”ではない。

ここを切り分けられると、少し呼吸しやすくなる。

そして必要になるのが、

「境界線」だった。

「境界線」は、冷たさじゃなかった

昔の私は、頼るのが苦手だった。

断るのも苦手。
お願いするのも苦手。

だって、嫌われたくなかったから。

空気悪くしたくなかったから。

だから全部、自分で抱えてた。

でも、抱え続けると、ある日突然、爆発する。

これ、すごく多い。

優しい人ほど、限界まで我慢する。

だから大事なのは、

爆発する前に、“小さく境界線を引くこと”

・今日は無理・今はできない・手伝ってほしい・一人になりたい

これを、悪いことだと思わない。

境界線って、相手を拒絶する線じゃない。

「私はここまでならできる」

を知る線。

それがある方が、関係は長く続く。

全部飲み込んで壊れるより、ずっと優しい。

「頑張れる人」が陥りやすい罠

「私ばっかり」と感じる人は、基本的に頑張れる人だ。

責任感がある。
ちゃんとしてる。
相手を優先できる。

だから、周りもつい甘える。

そして本人も、期待に応え続ける。

でも、

頑張れる人ほど、“頑張らない練習”が必要になる。

休む。
任せる。
断る。
適当にやる。

最初は怖い。

「こんなんじゃダメ」って思う。

でも、そこで世界は終わらない。

むしろ、自分が少し力を抜いた時、初めて周りが動き始めることもある。

ずっと全部やっていたら、相手は「できないまま」になることもある。

だから、

手放すことは、サボりじゃない。

信頼でもある。

「私ばっかり」の奥にいた、“私”

「私ばっかり」が止まらなかった頃の私は、ずっと外ばかり見ていた。

夫が悪い。子どもが悪い。周りが気づかない。

もちろん、実際に負担が偏っていることもある。

でも、自分の内側を見た時、気づいた。

私は、

「ちゃんとしてない私」

を許せていなかった。

だから、無理してでも頑張った。

頑張れば、愛される気がしたから。

役に立てば、必要とされる気がしたから。

でも本当は、

何もできなくても、疲れてても、笑えなくても、

存在していい。

その感覚が、ずっと抜け落ちていた。

「私ばっかり」をほどいていく作業って、結局、

“自分との関係”を変えること

なのかもしれない。

まとめ

「私ばっかり」が止まらなくなる時、人は周りの証拠を集め始める。

でもその奥には、怒りより先に、

「わかってほしかった」

が隠れていることがある。

・怒りは二次感情
・頑張りすぎる人ほど抱え込みやすい
・察してほしいは、実は伝わりにくい
・境界線は冷たさではなく、自分を守る線
・全部100点の人間なんて存在しない

私は、「もっと頑張ればうまくいく」と思っていた。

でも必要だったのは、

“頑張りを増やすこと”じゃなく、“自分への厳しさを少し緩めること”だった。

今日もがんばったあなたへ。

夫婦も、子育ても、人生も。

「なんで?」が「だからか」に変わるだけで、少し呼吸しやすくなる。

あなたの毎日を応援しています。

パーソナルチアリーダー ANN

P.S.

最近は、Threadsでもこういう「言葉になる前の感情」をよく書いています。

「なんでこんなに苦しいんだろう」を整理したい日に、ふらっと覗きに来てください。

いいなと思ったら応援しよう!