NPO法人には寿命をつけよう

――支援を寄生にしないための制度設計――

NPO法人には、寿命をつけた方がいいのではないか。

かなり乱暴に聞こえるかもしれない。
しかし、支援というものを構造で見ると、むしろ自然な設計に見えてくる。

支援団体は、本来、永続するために存在しているわけではない。
困っている人を見つける。
必要な制度、医療、住居、就労、行政、地域へつなぐ。
そして、自分たちの手元から離す。

これが支援の本体のはずである。

ならば、支援団体の理想は何か。

自分たちが大きくなることではない。
予算が増えることでもない。
職員が増えることでもない。
相談件数が増えることでもない。
支援対象者を抱え続けることでもない。

自分たちが不要になることである。

これを制度に落とすなら、NPO法人には寿命をつけるのが筋ではないか。

まず米で考える

社会や福祉という言葉を使うと、すぐに話がぼやける。

「社会で支える」
「公的支援が必要」
「地域で包摂する」
「弱者に寄り添う」

どれも聞こえはいい。

だが、社会という財布は存在しない。
あるのは、米を作る人と、米を作れない人と、米を集める人と、米を配る人だけである。

全員農家の村で考えればいい。

米を作れる人がいる。
米を作れない人がいる。
米を作れる人の余剰を集めて、米を作れない人へ渡す。

ここまでは必要である。

問題は、その間に立つ人たちだ。

米を集める係。
米を配る係。
困っている人を探す係。
困っていることを広報する係。
支援の必要性を啓発する係。
支援制度を維持する係。
支援団体の予算を確保する係。

もちろん、必要な中間者もいる。
米を作れない人を見つけ、きちんと米が届くようにする役目は必要だ。

しかし、その中間者が太り始めたら話が変わる。

困っている人に届く米より、途中で食われる米が増える。
困っている人が減ると困る。
支援対象が自立すると困る。
問題が解決すると予算が減る。
だから、問題を大きく見せる。
支援対象を抱え込む。
支援の必要性を永続させる。

こうなると、支援ではない。

困っている人を燃料にした事業である。

NPOは現代の教会・名主・世話役である

古典に戻すと、もっと分かりやすい。

西洋なら、貴族や教会が貧者を見る。
日本なら、殿様、庄屋、名主、寺社、村の世話役が困窮者を見る。

つまり、現代のNPOや支援団体は、構造上は新しい存在ではない。

他人の米を預かり、困っている人へ渡す中間者である。

この位置に立つ者に必要なのは、道徳的優位ではない。

必要なのは、節制である。
透明性である。
自己抑制である。
私腹を肥やさないことである。
困っている人を抱え込まないことである。
米をできるだけ減らさず届けることである。

古典的に言えば、救済を名目に米を集め、その米で自分が太る者は悪徳である。

これは現代でも同じだ。

「NPOだから偉い」ではない。
「支援しているから善人」ではない。
「人権を掲げているから批判してはいけない」でもない。

米を預かる立場にある者は、むしろ普通の事業者より厳しく見られるべきである。

支援対象者の権利と、NPOの存続利益を混ぜるな

ここで一番危ないのは、支援対象者の権利と、NPO法人の存続利益が混ざることである。

本来、守るべきなのは、困っている本人が必要な支援へ接続されることである。

しかし、いつの間にかこうなる。

困っている人がいる。
だから支援が必要。
だから支援団体が必要。
だから支援団体に公金が必要。
だから支援団体を批判してはいけない。

これはおかしい。

米を食べられない人がいる。
だから米を届ける必要がある。

ここまでは分かる。

しかし、そこから、

だから米を配る係には、米を受け取り続ける権利がある

にはならない。

米を受け取るべきなのは、米を食べられない人である。
米を配る係ではない。

支援団体は権利主体ではない。
配送経路である。
必要なら使う。
不要なら外す。
中抜きするなら切る。
抱え込むなら替える。
役割を終えたなら解散する。

ここを間違えると、福祉は支援対象者のためではなく、支援団体を食わせるための制度になる。

「見つけて、つなぐ。終わり」でよい

NPOの役割は、もっと限定してよい。

たとえばこうだ。

NPO法人が困っている人を見つけた。
村長に預けた。
1万円の謝礼が出た。
終わり。

このくらいでよい。

困っている人を抱え込む必要はない。
継続支援の名目で囲い込む必要もない。
相談件数を積み上げる必要もない。
支援対象者を自分たちの手元に置き続ける必要もない。

本当に必要なのは、発見と接続である。

困っている人を見つける。
必要な制度へつなぐ。
医療へつなぐ。
住居へつなぐ。
就労へつなぐ。
行政へつなぐ。
家族や地域へつなぐ。

そして離れる。

もちろん、接続先がないなら制度側の問題である。
そこは市町村が考えるべきだ。

NPOは、行政の外側に独立王国を作るためにあるのではない。
困っている人を、必要な場所へつなぐ補助線である。

探索費用も無限には払えない

「困っている人を見つけるのも大変だ」という反論はあるだろう。

それは分かる。

だが、探索費用を恒常的に公金で払うのはかなり危うい。

「困っている人がいるかもしれない」
「声を上げられない人がいる」
「見えない困難がある」
「潜在的支援対象者がいる」

こう言われると、終わらない。

米の村で言えばこうだ。

飢えている人を見つけたら村長へつなぐ。
謝礼を出す。

これはよい。

しかし、

飢えている人がいるかもしれないので、探す係を常設します。
探す係の人件費を村の米で出します。
今年は見つかりませんでしたが、見えない飢えがあります。
来年も予算が必要です。

これは危ない。

ないもの探しに、無制限のコストは払えない。

公金を出すなら、発見と接続に対する成果報酬でよい。
それも、接続後に一定期間安定したことを確認して払うくらいでよい。

NPO法人には寿命をつける

そこで、NPO法人には寿命をつける。

たとえば原則5年。
5年で自動終了。

継続したいなら再審査。
再審査で見るのは理念ではない。
熱意でもない。
啓発回数でもない。
相談件数でもない。
抱えている人数でもない。

見るべきは成果である。

何人を必要な先へつないだか。
何人を自分たちの手元から離せたか。
接続後、一定期間安定したか。
中間経費はいくらか。
人件費率はいくらか。
広報費はいくらか。
支援対象者本人に、どれだけ米が届いたか。
支援対象者を囲い込んでいないか。
問題が縮小しているか。

成果があるなら延長すればよい。
成果が弱いなら終了すればよい。
まだ支援が必要なら、後続へ渡せばよい。

理想を掲げるなら、これが本来の姿勢だろう。

NPOの目的は、団体の永続ではない。
問題の縮小である。
自分たちが不要になることである。

まだ必要なら後続へ渡せ

「でも、支援には継続性が必要だ」と言う人もいるだろう。

それも分かる。

ならば、後続へ渡せばよい。

前の団体が一定期間活動する。
成果を評価する。
まだ必要なら、次の団体が引き継ぐ。
必要な人材やノウハウは、後続が拾う。
記録や手順は引き継ぐ。
有能な人材は次でも採用される。

これでよい。

本当に有能な人は残る。
必要な知見は残る。
必要な機能も残る。

残らないのは、団体の看板にしがみついていた人である。
成果を出さず、支援対象者を抱え込み、古い立場で予算を取り続ける人である。

要するに、老害は残れない。

これはかなり良い。

プロ化そのものは否定しない。
専門性も否定しない。

ただし、専門性は団体の椅子ではなく、機能として残せばよい。
本当に有能なら、後続が拾う。
拾われないなら、それは必要なプロではなかったということだ。

競争原理が働く

NPOに寿命をつけ、成果で延長し、必要なら後続へ渡す。

この形にすると、競争原理が働く。

永続型NPOでは、一度ポジションを取った団体が強い。

公金を受ける。
支援対象を抱える。
相談件数を積む。
実績を理由に継続する。
新規参入は難しくなる。

これでは、成果より団体維持が優先される。

だが寿命制にすれば違う。

期限が来る。
成果を見られる。
成果が弱ければ交代する。
まだ必要なら後続が入る。

このとき、後続へ鞍替えしようとしても、過去の成果が見られる。

接続完了率。
支援終了率。
再支援率。
中間経費率。
人件費率。
広報費率。
管理費率。
接続後の安定率。

これらが公開されていれば、看板だけ変えて逃げるのも難しい。

支援団体を「善意の聖域」に置く必要はない。
普通に成果で選べばよい。

市町村にコントロールを戻す

この設計の良いところは、コントロールが市町村へ戻ることだ。

NPOが永続化して公金を受け続けると、行政の外側に、行政っぽい権限を持つ団体ができる。

しかも、住民が選挙で直接コントロールできない。
議会でも見えにくい。
委託や補助金の形で固定化する。
団体側は「支援の専門家」「弱者の代弁者」として道徳的優位を持つ。

これはかなり危うい。

だが、NPOに寿命をつければ、市町村が判断できる。

この地域で何が必要か。
どの団体に任せるか。
成果は出たか。
延長するか。
後続に替えるか。
直営に戻すか。
別の制度へ接続するか。

米モデルで言えば、村の米の配り方を、外部の支援団体が握り続けるのではなく、村長と村の仕組みに戻すということだ。

NPOは支配者ではない。
地域福祉の所有者でもない。
自治体が一時的に使う補助線である。

建前が綺麗である

この設計の強いところは、建前が綺麗なことだ。

支援を否定していない。
困っている人を切り捨てていない。
NPOを全否定していない。
専門性も否定していない。

むしろ、理想に忠実であれと言っている。

NPOは問題解決のためにある。
ならば、問題が解決したら不要になるべきである。

困っている人を助けるためにある。
ならば、困っている人を抱え込まず、必要な先へつなぐべきである。

理想を掲げるなら、自分たちの席にしがみついてはいけない。

反対する側は、かなり苦しくなる。

なぜ同じ団体が居座る必要があるのか。
なぜ成果ではなく継続が前提なのか。
なぜ支援対象者を手元から離した数で評価してはいけないのか。
なぜ役割を終えた団体が解散してはいけないのか。
なぜ後続へ渡してはいけないのか。

ここに答えなければならない。

寄生虫にならないために

悪い支援団体は、寄生虫に似る。

宿主がいる。
栄養を吸う。
宿主を完全には殺さない。
だが離れない。
宿主が弱るほど、さらに支援が必要だと言える。

困っている人がいる。
その人を抱える。
公金を受ける。
支援継続を実績にする。
問題が続くほど予算根拠が残る。
団体は離れない。

こうなると、支援ではなく寄生である。

だから寿命をつける。
成果で延長する。
中間経費を公開する。
必要なら後続へ渡す。
支援対象を手元から離したことを成果とする。

これなら、寄生化を防げる。

必要な時だけ現れる。
困っている人を見つける。
必要な先へつなぐ。
役割を終えたら退く。

それが支援団体の正しい形だろう。

結論

NPO法人には寿命をつけよう。

支援団体の目的は、永続することではない。
困っている人を見つけ、必要な先へつなぎ、自分たちが不要になることである。

成果があるなら延長すればよい。
まだ必要なら後続へ渡せばよい。
有能な人材や知見は、後続が拾えばよい。
本当に有能なら残る。
団体の看板に寄生していた者は残れない。

これでよい。

支援対象者の権利と、NPO法人の存続利益を混ぜてはいけない。
守るべきは、困っている本人が必要な支援へ接続されることである。
特定のNPO法人が公金を受け取り続けることではない。

理想を掲げるなら、自分たちが不要になることを成果とせよ。
役割を終えたら解散せよ。
まだ必要なら後続へ渡せ。

それができないなら、支援ではなく、支援を名乗る事業である。

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