もう一つの時間
言葉は、時間を超える「医療」かもしれない
救急の現場。
そこは、容赦のない「時間」が流れる場所です。
あと何分で、脳が機能しなくなってしまうのか。
脳は大量の酸素を必要とする臓器です。
供給が絶たれれば、すぐに機能を失う。
たとえ心拍が戻っても、
意識が戻らないこともある。
今この一手が、生死を分かつ。
限られた時間の中で、最良の一手を選ぶ。
救急医療とは、
文字通り「時間との戦い」です。
時間は命。
私たちは、そう言い続けてきました。
時間の積み重ねが人生であり、
時間は、その人の命そのものだと。
けれど、
長く現場に立ち続けるうちに、
私はもう一つの「時間」があることに気づきました。
それは、
処置が終わり、治療が一段落したあとも、
静かに流れ続ける時間です。
先日、ある方が何年か前の私の講演を覚えていて、こう声をかけてくれました。
「あの時の
『その人が生きたかった明日を、いま自分は生きている』
という一言が、今も私を支えてくれています」
その方は、
ちょうど奥様を亡くされた直後に、講演に来てくださっていました。
私は、言葉を失いました。
あの日、私はただ一生懸命に話しただけでした。
その場限りの、瞬間の言葉だと思っていたのです。
けれど、その言葉は、
何年ものあいだ生き続けていた。
救急医療は、
その場で完結するものかもしれません。
診断し、処置し、状態を安定させ、
次の患者さんのもとへ急ぐ。
でも、言葉は違いました。
処置室を出たあとも。
ICUを離れたあとも。
何年も、何十年も。
その人の心の奥で、
言葉は静かに働き続けることがある。
それは、
物理的な時間を超えているのだと感じました。
私は、死亡確認をしたあと、
心の中で「お疲れさまでした」と声をかけます。
医学的に見れば、
意味のない行為かもしれません。
亡くなった方に届いている保証もありません。
それでも、その言葉は、
私の中に残ります。
私の中に残り、
次の患者さんへの向き合い方を変え、
次に立ち会うご家族へかける言葉を、
少しだけやわらかくしてくれる。
言葉は、その瞬間だけのものではありません。
時間を超えて、人を変え、
行動を変え、
人生の方向さえも変えていく。
もしそうなら。
言葉もまた、
一つの「医療」なのかもしれません。
手術は、体を治します。
薬は、症状を和らげます。
けれど言葉は、
その人の「これから」という長い時間の中に入り込み、
生きる力を支え続ける。
救急医療が「今この瞬間」を救う仕事なら、
言葉は「未来」を救う可能性を秘めている。
私は、そう思うようになりました。
だからこそ、私は言葉を選び、誰かに伝えます。
「死亡確認をしました」と告げる、そのトーン。
「耳は最後まで聞こえているかもしれません」と伝える、その体温。
「お疲れさまでした」と心の中でつぶやく、その祈り。
その言葉が、
いつか誰かの時間の中で、
静かなお守りのように働き続けるかもしれないから。
時間は、命です。
でも、
言葉は、
その命の時間を、
やさしく包むものなのかもしれません。
そんな言葉を、
少しでも多くの方に伝えていきたいと、
いま、あらためて思っています。
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