最後のフリューゲルス戦士・遠藤保仁
1996年の前園ショック(スペインのクラブからの前園真聖選手へのオファーをフロントが握りつぶした件)以来若い選手から敬遠されていた横浜フリューゲルスだが、1998年その呪縛が解けたのか有能な高校生が大挙して入団してきた
中でも頭ひとつ抜きんでていた遠藤保仁はゾノと同じ鹿児島実業高校から加入、18才にして開幕スタメンを勝ちとりレギュラー定着
8月の横浜国際競技場の鹿島アントラーズ戦ではプロ初ゴールも決めた
ゴール左側から右足でボールを流し込み、その勢いのまま両手を挙げてゴール裏へ駆け込んだヤット、鮮明に脳裏に焼き付いている
チーム消滅に伴い入団1年目の同級生たちと共に京都パープルサンガに引きとられ、のちにヤットだけがガンバ大阪へ引き抜かれていった
翌99年にナイジェリアで行われたワールドユース選手権で日本男子サッカー初の世界大会準優勝に寄与したが、報道では同じボランチの稲本潤一ばかりがほめそやされ、自分のひいきバイアスもあったろうがヤットが注目を浴びることはほとんどなく忸怩たる思いであった
2000年代、ヤットはガンバ大阪に欠かせない選手となり黄金時代を支え、A代表でも存在感を増し『コロコロPK』なるいかにもヤットらしい虚を突いたゴールを編み出した
アジアでの代表試合だったと思うんだが、ヤットがコロコロPKを決めたとたん記者席から(おそらく海外記者の)大爆笑が起こったのを憶えている
2010年南アフリカワールドカップ直前のTV番組では代表の中心選手として取材を受けていた
前回の2006年ドイツワールドカップは惨憺たる結果だったし、今回の予選も苦しんだ末の突破で国内はどんよりムードだった
番組のエンディング、いつもの調子で「だいじょうぶですよ」と軽く言い残して夕闇へ消えていく背中は忘れられない
ふたを開けてみれば日本代表はグループリーグを突破し、ヤットは見事なフリーキックでゴールも決めた
ヤットが日本最高のサッカー選手だということを、ワールドカップでのゴールという数字で残せた大切な、すばらしい大会になった
長年の応援が報われた思いだった
いつの日か、キャリアのラストに横浜FCに来てくれたらとの淡い期待はついえたが、フリエ末っ子ヤットの活躍に今までどれだけなぐさめられ勇気をもらったことか
2023シーズンをもって、最後のフリューゲルス戦士・遠藤保仁は現役を引退した
