M&C通信Vol.123「記憶になる階段」——心がふるえた人生の“1・2・3段目”という一歩
こんにちは。メルト&クリエイト🔵です。
ここで少し、”心の温度”をととのえて、
ごゆっくりどうぞ。
?:「人生って、なんのためにあるんでしょうか?」
ふと立ち止まったときに、
こんな問いが浮かんできませんか?
「人生って、なんのためにあるんだろう?」
笑ったり、泣いたり、悩んだり……
いろんなことがあるけど、
そのすべてに意味があるのかと聞かれると、
正直、わからなくなりますよね。
それでも、「わからない」と感じられる
感性を持っている人には、
きっと、たどり着ける場所があるんです。
“わからない”という
出発点に立てた時点で、
その旅は、始まっているのかもしれません。
↔:“わからない”も、“わかった”も、実はどちらも怖いのです
「人生なんてわからないよ」
そんなふうに口にする瞬間って、
たいてい心がざわついている
ときだったりします。
でも、じゃあ「わかった」と思えたとき、
それは安心なのかと言えば、
案外、“わかったつもり”に
なった瞬間こそが、
一番危ういのかもしれません。
わからないには、不安があります。
だけど、
わかったと信じることも、
世界が狭まっていく怖さがあるんです。
「こうすればうまくいく」
「こうあるべきだ」
そうやって心の扉を閉じてしまうと、
もうそれ以上、世界を見ようとしなくなる。
“わからない”と向き合う。
その一歩には、確かに不安があります。
でも、その奥には、新しい世界が
そっと待っているのかもしれません。
∽:“わからない”は、人生を味わう入り口かもしれません
人生って、
予定通りにはいきませんよね。
思いがけない出来事や、
うまくいかない日々に、
心が追いつかなくなることもあります。
でも、そんな予定外の出来事に
心が追いつかない夜。
だけど、そんな夜のなかに、
ふとした“ふるえ”が、
息を潜めていたりするんです。
人生ってもしかしたら
「わかること」ではなく、
「味わうこと」なのかもしれないということ。
完璧に理解しようとしなくていい。
ただ、今ここで感じていることを、
ちゃんと味わうこと。
それだけで、人生は少しだけ
やさしくなるのかもしれません。
NW:「記憶になる階段」をのぼる
今は、ただの一歩。
でも、何年か経ってふと振り返ったとき、
その一歩が「忘れられない記憶」に
なるかもしれません。
日々の中には、そんなふうに
「記憶になる階段」が、
静かに続いているのだと思います。
高くそびえるような塔じゃなくて、
誰にも気づかれないような、
一歩一歩の積み重ね。
でも、だからこそ美しいんです。
何気ない日常のなかで、
いつも「物語の一部」を
歩いて登っているのかもしれませんね。
≒:“心に灯る瞬間”は、静かに1・2・3の階段をのぼっている

人生の中には、
ふとした拍子に胸に残る、
何でもない“場面”があります。
それが、後になって
「記憶」になっていることに気づいたとき、
1・2・3段の“階段”を
のぼっていたとわかるかもしれません。
1段目は「ただの違和感」
思い出すとなんだか胸がざわつく。
でも、その理由はまだ言葉にならない。
2段目に「感情の名づけ」
時間が経つとともに
あの日の自分の気持ち・感情が、
そっと名前を持ち始める。
「寂しかった」「嬉しかった」
そんなふうな名前を。
そして3段目に「記憶の定着」
ある日ふいによみがえる。
通学路の夕暮れ、母の横顔、あの何気ない一言。
ただ過ぎていった日が、
いつのまにか、「物語の一日」として
心に刻まれていたことに気づくのです。
この3つの階段を通って、
“ただの日”が、
“物語の一日”に変わっていくんです。
☹️:意味がないなら、無駄じゃない?
「意味がないなら、
それって無駄なんじゃないか?」
ふと、そんな疑問が
よぎることもあるかもしれません。
でも、思い返してみてください。
忘れられない記憶って、
必ずしも「意味があった」
と説明できるものだったでしょうか?
むしろ、
ただの帰り道だったり、
何気ない一言だったり。
意味なんて考えてもいなかった時間の中に、
「あれがあったから”今”がある」
と思える瞬間が、
ひっそりと眠っていたりします。
◉ :知らないことを経験できるって、素晴らしい
「これが正しいのかな」
「これでいいのかな」と、
頭で考えては、
不安に包まれる夜がありました。
“人生の意味”を知りたくて、
答えを求めて、知識をたくさん集めて
どれだけ「わかった気」になっても、
心の奥にぽっかり空いた
「何か」が埋まらないんです。
心と身体が一緒に震える瞬間こそ、
「生きてる」と感じられる
時間なのだと思います。
「知ってる」「理解してる」
なんて感覚とは、まったく違う。
「ああ、人生って、わからないことを
味わうためにあるのかもしれません」
そしてその瞬間が、
日々の中にひっそりと現れて、
やがて、“記憶になる階段”の
一段にそっと残っていくのです。
→:「否定しない一歩」を選んでみませんか?
子どもに、友だちに、職場のあの人に、
「それ違うよ」
「なんでそんなことするの?」
って言いたくなる瞬間があったら
一度だけでも、
“否定しない一歩”を、選んでみてください。
「うん、そう思ったんだね」
「一緒にやってみようか」
「まずは、見てみようか」
そう言ってみるだけで、心のなかに、
何か温かいものが残るハズです。
それは、誰かの記憶だけでなく、
あなた自身の「記憶になる階段」にも、
やさしく刻まれていくものに
なるハズなんです。
何でもない一日が、あるとき物語に変わる。
その始まりは、ほんの小さな
“否定しない選択”だったりするんです。
“知ってるつもり”の安心を手放したとき、
“心がふるえた”その一瞬に、
はじめて出会えるのかもしれません。
それが、未来のあなたが
微笑んで思い出す
“あの一歩”になるかもしれません。
◎ 今日のメッセージ:「記憶としての階段の先には?」
わたしたちは、気づかないうちに、
日々の出来事を
心の中で“記憶”にして、
静かに、階段のように積み上げています。
その一歩一歩は、とても小さくて、
ときに、意味があるようには
思えないかもしれません。
でも、笑った瞬間、泣いた夜、
誰かと交わした何気ない言葉、
抱えきれなかった想い。
それら全部が、
“記憶になる階段”として、
あなたの中に、確かに残っているんです。
そしてその階段は、
どこかに到達するためのものではなく、
自分という物語を
“味わい尽くすため”
にあるかもしれません。
この階段の先には、未来のあなたがいて、
振り返ったとき、こうつぶやくんです。
「ああ、ちゃんと生きてたな」
「この道で、よかったんだな」って。
それは、ゴールではなく、
“物語が深まる場所”なのだと思います。
だから、今はただ、
わからないままでも、一歩だけ。
心がふるえたその瞬間を、
そっと胸に刻みながら、
今日という一段を、登っていきましょう。
そのすべてが、あなたという物語の、
かけがえのない一部になるから。
そしてもし、
あなたという“人生そのもの”の物語に、
そっとタイトルをつけてみたくなったときは、
それはきっと、あなたが
静かに登った “記憶になる階段”の、
新しい一段なのかもしれません。
今回の話は、M&C通信Vol.89の
人生に「タイトル」をつけるなら?
のプロローグ。
どうぞ、「心のフィルム」をめくるように、
そっとお楽しみください。
最後まで、読んでいただきありがとうございます。

PS:心の温度をととのえるちいさな処方箋
このM&C通信では、
心の温度をそっとととのえる
“ひとつの気づき”をお届けしています。
それは、ちいさな言葉の処方箋。
読んでくださったあなたの心に、
そっと寄り添えていたら…
それだけで、とても幸せです。
もしよければ、
これからも“ちょうどいいタイミング”で、
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