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世界の解像度

たまに帰省して、東京の電車に乗ると人の多さに驚く。当然彼らひとりひとりに誕生と、そこからの人生と、そして最終的には死のエピソードが存在する。それぞれが主観的な視点を有し、自我をもっていて、なのにたまたま同じ電車に乗った私からしたらみんな”モブ”だ。逆も然り。人の多い電車に乗ると、そのことを変に意識してしまって、息が詰まりそうになる。

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死ぬと、人の意識はどこへ向かうのだろうか。生物学的に「死」を捉えたとき、それは単なる生命機能の停止だ。心臓が止まり、肺での呼吸も行われなくなり、そして脳神経系の機能が止まる。ただ本当にそれだけのことだ。我々人間の思考はすべて脳神経系のシグナル伝達によって成り立っている。だから、それが停止するということは、すなわち死ぬということは、もうコミュニケーションを取ることも、思い出を共有することも、私たちのことを思い出すこともできないということだ。頭ではそう、理解しているはずなのだけども。でもつい昨日までその脳に刻まれていた膨大な量の情報が、すべて跡形もなく消えるなんてにわかに信じがたい。本当は、どこか別の遠くの場所で、魂ごと眠っていてほしい。これは我儘だけど、私たちは亡くなった人のことを忘れないから、その人の魂も私たちのことを忘れないでほしい。そう思ったときなんとなく、だから昔の人は輪廻転生を信じたのかもしれないなと思った。

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展望台のある階に到着した。エレベーターが開いて、雑踏とともに外に出る。大きく開かれた窓に向かって一歩一歩ゆっくりと足を踏み出す。

分厚い窓ガラスの前に立つと、眼下には無限に続くビル群の街並みが広がっていた。目には見えないが、その建物ひとつひとつにたくさんの人生があると思うと気が遠くなる。陽射しは、それらの命を祝福するかのように、空から雲を割って降り注いでいた。



この文章はamazarashiの楽曲「世界の解像度」よりインスピレーションを受けて作成されました。


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