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ゆうめい 『姿』(配信)

Youtubeにて鑑賞。2021年5月18日(火) 〜 30日(日)@東京芸術劇場シアターイーストでの上演。作・演出は池田亮氏。上演時間は約2時間。

「MITAKA “Next” Selection 20th」に選出され、三鷹市芸術文化センター星のホールにて2019年に上演された『姿』。作・演出の池田 亮の体験と親族や周囲の人々への取材に基づき描かれる物語に、実父である五島ケンノ介が出演し話題となり、口コミで連日満員を記録、TV Bros.ステージ・オブ・ザ・イヤー2019に選ばれました。
その『姿』がこの度「芸劇eyes」に選出され、東京芸術劇場にて再び上演されます!変化した2021年の出来事を新たに描きながら、実写・アニメ・YouTube問わず映像での活動により培った手法とドキュメンタリー的手法、演劇的手法を交えた演出の元、初演を作り上げたキャスト、スタッフに加え、今回から参加する新キャスト、スタッフとともに、家族の今までとこれからの物語を再び立ち上げます。

https://www.geigeki.jp/performance/theater274/

家族の今までとこれからの物語

ドキュメントであり私小説であり、演劇でしかできない表現であった。しかも、池田氏の父親御本人が出演され、"母親という人物の謎"に迫る中で各人の"真実"が語り直され、それが虚構と混ざり合い、演劇という虚構になることで家族の姿が確認される。恐らく現場で目撃した方々は、そのような池田家の演劇を通じたセラピーのような体験をリアルタイムで目撃したことだろう。羨ましい。こんな演劇が成立しうることがまず驚きである。きっと他の誰にも真似できないだろう。

再演の理由も、正にそんなところにあるようだ。

── そうして上演された『姿』は、夫や息子と距離を置き、その理由を言わない権利が自分にはあるという態度の中年の女性が主人公で、物語は「この人はなぜ、こういう人になったのか」という問題を、優しく厳しく解き明かしていきました。それを2年後の今、再演される理由は? 池田さんの師匠であるハイバイの岩井秀人さんは再演に積極的な方なので影響は当然あると思いますが、池田さんにも独自のお考えがあると想像します。

池田 それはめちゃくちゃありますね。僕は現実にあったことを演劇にしているわけですけど、上演すると、そこからまた現実が変わっていくんです。『姿』は母の体験がもとになっていますが、(創作を通して)ある種、仕事の関係者同士の会話をするようになりました。作品化することによって、家族だった人が観客になるというか。普通に日常会話をしていたと思ったら作品の話になったりして、ずーっと行き来する。だから会話は増えましたね。僕としても、母親にとって現実と地続きの演劇をつくることで、それを物語として楽しむ面と、作品を通して母や家族を考えるふたつの面が生まれました。家族としては遠くなったかもしれないけど、人として近くなったみたいな。

https://www.engekisaikyoron.net/yu-mei-ikeda/

「ゆうめい」の由来

家族の話ということもあってBlog記事やインタビューを読み漁っていたら、「ゆうめい」の由来に行き当たった。この方は稽古をご覧になってこの文章を書かれているが、この『姿』は「ゆうめい」の核とも言える作品の1つなのかもしれない。

”追憶”とは、出来事ではなく、その“気持ち”を「探る」ことなのかもしれない。それを通して、見えなかった側の世界を知ろうとする。そんなまなざしの溢れた稽古場で、ふと池田が創作ノートに綴った言葉を思い出す。

「多分こうだ」と今まで決めつけていたものを掘り下げて、自分の想像だけでは終わらない話をしたい。<…中略>

『姿』
ここから見えているものが、その“姿”? 本当にそれが全て? 
そう、たずねられているような気持ちになった。タイトルに込めた想いを池田に尋ねようとして、ふと、「ゆうめい」の命名の由来を思い出す。
夕と明。人生が暗くなることから明るくなるまで。そして、「ゆうめい」という響きから「有名」と連想してしまうことを含んで、「物事には、別の本意が存在するかも」という意味が込められていること。

https://spice.eplus.jp/articles/255852

『姿』の由来

そしてあろうことか、池田氏と母親が『姿』再演 上演&配信記念にて対談されている記事もあった。そこでは母親(=ルナ)が息子に『姿』の題名由来について尋ねている。

ルナ ところで、なんで『姿』って題名にしたの?
 <…中略> あと、母が仕事でオリンピック関連のことをやってますけど、そういう場面でよく「次世代のニューウーマン」みたいな言われ方をしますよね。それこそ小池百合子さんみたいな、女性でも第一線で働くみたいな。
ルナ あれはじゃあ「姿」を「次の女」って読ませるの?
 あ、そうです、あとから気づいたんですけど。いわゆる家父長制のような、お父さんが強い家とうちとではまたちがっていたので。家母長制?

https://www.yu-mei.com/20210619

自分としては、後から補足的に、サブっぽい感じで出されたこちらの理由をより重く受け止めたい。この対談を読んでも、かなり強烈なお母さまであることは間違いない。世間一般の女性像、母親像では捉えきれない(捉えきれなかった)方であろう。だからこそ、演劇を通じて「人として近くなった」という言葉の使い方には、勝手ながら納得もできる。

お母ちゃんの子で嬉しい!を否定されて

このことは、この芝居の序盤にて「嬉しい!お母ちゃんの子で」という一般的な感動セリフ/場面が否定される点からも窺える。

これは、池田が実際に脚本を担当したアニメ(「ウマ娘プリティーダービー」)内のセリフとして語られるが、これは初めてテレビ放送として流れた第1期6話ではなく、10話「何度負けても」のエピソードがやや改変されて使われていた。

Amazon Prime Videoで観られるので是非確認してもらいたい。一度、観てから芝居を見ると最高である。OPのスタッフロールに名前が出ないところまで芝居の中で言及されており、芸が細かくて良い。

一般的なドラマであれば「お母ちゃんの子で嬉しい!」というセリフで幕であろう。ただ、この『姿』では、それがまず否定されるところから始まる。そして、"母親という人物の謎"に迫っていくのだ。

彼女の、家族の人生の物語

母親という人物を解き明かすには、彼女が歩んできた人生を、家族の物語を振り返るしかない。

まず、東京オリンピックを機に北海道から東京へ引っ越してきた母親の幼少時、そして母親の両親(つまり池田にとっての祖父母)の亀裂が描かれる。※北海道は、「ウマ娘プリティーダービー」においてスペシャルウィークが帰省する土地でもある。

次に、母親と父親の若き日々、出会いや結婚に至るエピソード、仕事によって変わっていく2人に、幼少時の池田自身の記憶が重ねられる。ギャンブル狂い(※競馬)の祖父は、やりたいことをやっていた人間として家族を揺さぶり、苦労した祖母にとって良き娘でありたい母と、母がやりたかったこと全てをやっている息子としての池田という図式が示される。

高校に入って仲良くなった池田の"いじめられ友達"は、大学に入って自殺してしまう。その友人に対する想いがアニメ脚本にも込められているわけだが、母は「それが競馬?」と認めない。

自分の親が喧嘩するのを見るのが嫌だったはずなのに、なぜそれを分かりながら自らの息子に同じことをするのか?母親からは答えらしい答えは結局得られないのだ。

https://www.yu-mei.com/sugata?lightbox=dataItem-k1xg24gv3

つんく♂に感じる希望

もはや対話、論理的闘争による解決は得られない。池田は記憶の中から、母がつんく♂をこよなく愛したという点に突破口を求めたのではないか。ここに至るまでの記憶をマッシュアップする話運びも見事だったが、この選曲による飛翔にも驚いた。親、母、娘、子、ということがここまで時空を超えて重ねられてきたからこそ、この歌詞世界を複層的に受け取ることができる。

https://natalie.mu/stage/gallery/news/428743/1593631

未来の話

初演は2019年@三鷹市芸術文化センター 星のホール。劇中、2年後の5月に東京芸術劇場シアターイーストで演劇をやる、お父さんも出る、あなたのことも書くよというセリフがあり、ここは再演時に書き足された部分であろう。

── 具体的に変えたシーンもありますか?

池田 あります。初演は2019年で、まだ2年しか経っていないのに、変わってしまったことがいろいろある。それをベースとして、未来に向けてどう物語を書くのかはかなり考えました。それはもう、お客さんに対してある種の“発表”という感じですね。「今こうなってしまったけど、それも踏まえて発表します。自分たちは定年を迎えた後のことをこういうふうに考えています」という。この時期に劇場で公演ができるということも含めて、最終的に未来の話になると思います。

https://www.engekisaikyoron.net/yu-mei-ikeda/

最終的に未来の話になる、というこのラストも本当に感動的だった。人生辛いことがあっても、先の人生においてこのように考えることができるような人間でありたいと強く思った。そしてこの瞬間に、この家族の大ファンになった(10周年記念の『養生』にも行くことに決めた。チケット取れるかどうか…。)

ここでかかるのは、東京に来てから歌えなくなった「この道」である。現場でかかっていたのはピアノだけのインストなのか、歌ありのものなのか分からないが、3回目の視聴を終えた自分の今の気分は、歌ありのこちらであった。祖母が歌えなくなったのだから、祖母が歌っていることをイメージして聴くのが良い感じだ。

ということで、大傑作であった。再再演を期待する(その時の家族の状況もあるのでおいそれとできないのも分かってはいる...。

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