Co.山田うん 『楽興の時』
以前、配信では観たことがあるCo. 山田うん。今回は現地参戦して参りました@世田谷パブリックシアター。もう少しジャンルを絞っていかないと、とは分かっているのですが…。
今回は詩人・志人とのコラボレーションにより、オーディションで選ばれたダンサーを含む総勢22名が出演。ラフマニノフの楽曲を紐解き、音、言葉、身体が呼応する新作をお届けします。

ラフマニノフ 『楽興の時』
今回はダンサー総勢21名、詩人・志人、ラフマニノフの三段重箱であるため、まずは音楽面から理解を深めていきたい。
ラフマニノフ《楽興の時》(Moments Musicaux)は、1896年、彼が23歳のときに書かれた6曲からなるピアノ曲集。シューベルトの《楽興の時》(Moments Musicaux, 1828)への明確なオマージュである。
シューベルトが"親密な家庭音楽"だとすると、ラフマニノフはそれを"巨大化・交響化したピアノ音楽"にしてしまった感じであり、6曲それぞれが異なる様式で奏でられてもいて、およそ200年分のピアノ史が詰まっているともいう。
しかも、ラフマニノフはこの直後に交響曲第1番の初演で大失敗。作曲不能の鬱状態(3年間)になったということで、この超絶技巧曲集である《楽興の時》(Moments Musicaux)は、近代の入口にあった「崩壊前のラフマニノフ」の最後の姿──つまりそれは情熱と若さに溢れていた姿であり、正にそれ故に、個人の「感情と内面」を中心に据えたロマン主義ピアノ音楽の“最後の輝き”でもある── を表現していると称される。
ちなみに、今回使われているのはNo.1, 3, 5, 6の4曲。第1部ではそれを志人抜きで踊り、後半の第2部では志人が加わって、No.5, 6, 3, 1の順番にて踊られる。
自分が好きなのはNo.1 Andantino(音楽の速度標語で「歩くような速さ」を意味するAndanteよりも「やや速く」を意味)と、No.3 Andante cantabil(「歩くような速さで」+「歌うように、表情豊かに(cantabile)」)。
ちなみに、「編曲」のヲノサトル氏はかなり複雑な作業をされていた模様。
今回、ラフマニノフが書いたピアノの楽譜を、手で弾く・データとして取り込む・自分なりに編集する・サウンドとして出力する…と延々続くこの作業を何と呼ぶべきか定義できないので、クレジットにはシンプルに「編曲」と書いていただいた
— ヲノサトル (@wonosatoru) February 28, 2026
詩人
第2部では、そこに詩人・志人が加わる。事前情報の段階から全く想像が付かず、だからこそ今回現場で観てみようとおもった次第であった。
(自分が聴くのはこれくらいのものなのだが…)
ということで、詳しい方がnoteにまとめられていたので、貼っておこう。
No.6「鳥総立」─ Tobusatate ─は正に能の謡であり、このあたりから場を支配する気配が漂う。ラフマニノフが曲によって異なる奏法を要したように、詩人が異なる発声を重ねる。
続くNo.3「ゐれきせゑりていとしゃどうぃん 」─ Elektriciteit Shadowing ─は現代的なラップのようで、小学生の頃の思い出の断片が、影踏みのように展開する。楽興の時が、学校の時となるのだ。
そして、最後のNo.1 「客星」─ Kakusei ─において、思い出のその先に、我々がこの星を去る時が綴られる。
21名のダンサー
そして、21名のダンサーである。前側で、後ろ側で、位置を変えて、舞台袖から新たなメンバーが加わって…と、情報量がとにかく多い(どうやって振り付けられているのか全く分からない)。
視点が定まらないから、音楽が踊りを引き立たせる材料とならず、観客に対する引力を等価に出し続けて緊張感が生まれる。音楽と踊りがシンクしているのか、していないのか、個の踊りなのか集団の踊りなのか、その判断が観る側に委ねられているため、そこに社会が、人間の営みが浮かび上がる。
ダンサーは個性豊かで、一人ひとり体の動かし方や特性も異なっていて飽きなかったが、リエル・フィバックさんの柔らかさには驚いた。自分もあれくらい身体が柔らかかったらどんなに良いだろう…と今日もストレッチを続ける日々である。
(2026年2月28日観劇)
