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人生にはそれぞれの季節があるー台所が教えてくれた「待つ」ということ



ことことと、小さな音を立てながら、重ね煮の鍋が湯気を上げている。

蓋を開けたい気持ちを少しだけ抑えて、その湯気を眺める。

重ね煮も、蒸し豆も、味噌も、甘酒も。

どれも人が急がせることはできない。
火に任せ、時間に任せ、菌に任せる。
台所に立つたび、私は「待つ」ということの意味を教えられる。

若い頃の私は、それが分からなかった。

いつも急いでいた。
もっと学ばなければ。
もっと頑張らなければ。

何もない自分だから、何かを足さなければ価値のある人にはなれないと思っていた。

努力すれば、その分だけ早く花は咲くものだと信じていた。

だから、自分自身だけでなく、子どもたちにも同じことを求めていた気がする。

私は、自分自身の歩幅だけでなく、子どもたちの歩幅までも急がせていたのかもしれない。

人生には、それぞれの季節があることを、あの頃の私はまだ知らなかった。


木は、大きく枝葉を広げる前に、見えない土の中で深く根を張る。

地上からは何も変わっていないように見えても、土の中では静かに生きる力を蓄えている。

その時間があるからこそ、嵐にも負けない木になる。


人もきっと同じなのだ。

思うようにいかなかった日。
迷い続けた日。
立ち止まった日。
回り道をした日。

あの頃の私は、それを無駄な時間だと思っていた。

でも今は違う。
あの時間は、人生の無駄な空白ではなかった。
見えないところで、自分だけの根を育てていた大切な時間だった。

振り返れば、失敗も、迷いも、涙も、すべてが今の私を支える養分になっている。

だから、回り道は回り道ではなかった。
人生を深く耕すために必要な時間だったのだ。

そのことを教えてくれたのが、台所だった。

発酵は、人が急がせることはできない。
目には見えなくても、菌たちは静かに働き続けている。
何も変わっていないように見える時間こそ、一番大切な時間なのだ。

自然は急ぐことはない。

春は春に。
夏は夏に。
秋は秋に。
冬には根を深く育てている。

それぞれの季節が巡れば、花は静かに咲き始める。

誰かと比べることもなく、自分の時を知っている。

人生も、きっと同じなのだ。

そして、もう一つ気づいたことがある。

若い頃の私は、「ないもの」ばかりを見て生きていた。

もっと知識が必要。
もっと経験が必要。
もっと資格が必要。
もっと成長しなければ。

そう思い続けていた。

でも、人生を重ねた今、ようやく気づいた。

私には、何もないのではなかった。

もうすでに、たくさんのものを受け取り、育んできていたのだ。

親や周りの人からしてもらった、
たくさんのこと。
家族と過ごした時間。
子どもたちと笑い合った日々。
いろんなところへ旅した時間。
流した涙。
遠回りした時間。
台所で季節の手仕事を重ねてきた毎日。
誰かを思って料理を作った時間。

その一つひとつが、いつの間にか私の中に積み重なり、私だけの財産になっていた。

「ないもの」を追いかけていた頃は、心はいつも何かに追われていた。

でも、「あるもの」に目を向けられるようになってから、景色は変わった。

朝目覚められること。
健康に過ごせること。
家族がいてくれること。
家族の笑顔を見られること。
友人がいてくれること。
自分の家で穏やかに暮らせること。
人の役に立つ仕事をさせていただいていること。
朝の光や頰を撫でてていく風を心地よいと感じられること。
道端の花や、葉に残る朝露、空の色、雲の様子、夕焼けなどの自然を美しいと感じること。
鳥のさえずりに癒されること。
雨の日には心身を休められること。
季節の野菜をいただけること。
台所に立ち料理ができること。
一緒に食卓を囲めること。
そして夜、一日を無事に終えられること。


当たり前だと思っていた日常が、
どれほど豊かでありがたい贈りものなのかに気づくようになった。
奇跡のようなたくさんの宝物に囲まれていることに気づけるようになり、
自然と感謝の気持ちを持てるようになった。

豊かさとは、新しく何かを手に入れることではない。

もうすでにあるものに気づき、大切に育んでいくこと。

それこそが、本当の豊かさなのだと、今は思えるようになった。


子育てをしていた頃の私は、そのことが分かっていなかった。

他にも人生を重ねる中で少しずつ分かってきたことがある。

人はそれぞれ違う早さで育ち、歩んでいくこと。

そのことを教えてくれたのは、子どもたちであり、私自身だった。

悩み、迷い、立ち止まり、回り道をしながら、その人だけの人生を歩いていく。

大人になった子どもたちは、それぞれのタイミングで、自分だけの花を咲かせている。

そして私自身もまた、遠回りだと思っていた時間があったからこそ、今の私になれた。

あの出来事がなければ
あの道のりがなければ
誰も今の場所にはたどり着いてはいない。


あの頃、「遅れている」と思っていた時間は、誰にとっても必要な時間だったのだ。



そして今、孫たちが生まれ、私はもう一度「待つ」ということを学び直している。

昨日できなかったことが、今日はできるようになる。

小さな手でできることが、一つ、また一つと増えていく。

今まででなかった言葉が、ある日ふいに言葉として話せるようになる。

昨日まで怖がっていたことに、今日は小さな一歩を踏み出し挑戦している。

その姿を見ていると、人は急いで育つものではないのだと、あらためて思う。

今の私は、急がせようとは
決して思わない。

伸び伸びと笑い、遊び、泣き、転びながら、その子らしくゆっくりゆっくり大きく育ってくれたら、それでいい。

誰かと同じでなくていい。
誰かと比べなくていい。

その子には、その子だけの歩幅がある。
その子には、その子だけの季節がある。
そして、その人だけが咲かせることのできる花がある。
冬の季節は、自分の中に蓄えている時期だ。

だから私は、その花が咲く日を楽しみに待っている。


人生には、「機が満ちる」ことがある。

若い頃の私は、努力を重ねれば、すぐに道は開かれるものだと思っていた。

けれど、人生を歩いてきた今は分かる。

どれほど扉を押しても開かない時がある。

反対に、休む時間や立ち止まった時間さえ、次のステージへ進むための大切な準備になることがある。

子育てで仕事を休んだ時間もそうだった。
それまでとは違う時間の流れの中で暮らしたからこそ、見える景色があり、気づけたことがあった。

いつもの場所を離れ、違う視点で物事を見ることで、新しい自分、新たな視点に出会うこともあった。

どんなことでも決して無駄ではなかった。

その時には意味が分からなかったことも、後になって振り返ると、すべてが自分を育てる糧になっていた。

人生とは、不思議なものだ。

振り返ると、不思議なくらい必要な時に必要な人と出会い、必要な学びが訪れていた。

それまで積み重ねてきた経験やご縁が一本につながった時、「ここへ来るための道だったのだ」と静かに腑に落ちることがある。


まるで、導かれるように扉が一つ、また一つと自然に開いていくように、道が開かれていく。

機が満ちるとは、ただ待っていれば訪れるものではない。

自分なりに学び歩み続けた時間。
迷いながらも進んできた日々。
出会いや経験の積み重ね。
そして、自分自身の準備。

そのすべてが整った時、ものごとは調和され、自然と次のステージへの扉が開かれるのだと思う。

発酵もまた同じだ。

菌だけでは育たない。
温度があり、湿度があり、季節があり、時間がある。

すべての条件が整った時、目には見えないところで静かに変化が進み、深いうま味へと育っていく。

人生も、それとよく似ている。

鍋から立ち上る湯気を見つめながら、私は今日も思う。

待つことは、何もしないことではない。
育つ力を信じること。
見えない時間を信じること。
その人の中にある可能性を信じること。
そして、自分自身の人生を信じること。

台所は、料理だけではなく、生き方をも教えてくれた。

人生には、それぞれの季節がある。
それぞれの歩幅がある。
そして、それぞれの花が咲く時がある。

私は今日も、台所でその時を信じて待っている。

その人だけの花が咲くのを。
そして今日まで待つことができた人生に、感謝を込めて。


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