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「自分の身体の感覚に気づくということ」後編

前編では、

身体の感覚はなくなっているのではなく、
ただ気づいていないだけかもしれない、というお話をしました。

ここでは、

その感覚がどのようにひらいていくのか、
もう少し静かに見ていきます。


感覚に気づくというのは、

何かを強く感じようとすることではなく、
“すでにあるものに近づいていく”ことに似ています。

たとえば、

静かな場所で目を閉じたとき。

最初は何も感じていないように思っても、

しばらくすると、

自分の呼吸や、
わずかな身体の動きに気づくことがあります。

それは、

新しく何かが生まれたわけではなく、
意識が少し内側に向いただけ。

このように、

感覚は“探しにいくもの”というより、
“浮かび上がってくるもの”かもしれません。


たとえば、

暗い部屋でしばらく過ごしていると、

最初は見えなかったものが、
少しずつ見えてくることがあります。

無理に見ようとしなくても、

時間とともに輪郭が浮かび上がる。

身体の感覚も、それに似ています。

強く意識を向けるよりも、

少し余白のある状態の中で、
自然と感じられるようになる。

たとえば、

温かい飲み物をゆっくり飲んでいるとき。

最初はただ飲んでいるだけでも、

しばらくすると、

手の中の温かさや、
身体の内側に広がるやわらかさに気づくことがあります。

それは、

意識的に感じようとしたというより、
自然と感じられている状態です。


また、

やさしく触れられることも、
感覚に気づくきっかけになります。

強く何かを変えようとするのではなく、

ただ触れられているだけで、

「あ、ここに感覚があったんだ」

と気づくことがあります。

たとえば、

冷えていた手を温めてもらったとき。

最初は感覚がぼんやりしていても、

少しずつ温かさが広がり、

「あ、こんなふうに感じていたんだ」

と思い出すような感覚。

ときには、

くすぐったさや、
少し不思議な違和感を感じることもあります。

それも、

感覚が戻ってきている途中の反応です。

身体の内側でも、

それと似たようなことが静かに起きています。


ただ、

それはとても繊細で、

強く意識しようとすると、
逆に遠くなってしまうこともあります。

だからこそ、

必要なのは“集中”ではなく、
“ゆるやかな意識”です。

たとえば、

ぼんやりと景色を見ているとき。

特に何かを見ようとしていないのに、

ふとした瞬間に、
細かな色や形に気づくことがあります。

それと同じように、

身体の感覚も、

強く見ようとするのではなく、
少しだけ意識を向けておくことで、

自然と浮かび上がってくることがあります。

そして、

その感覚は環境によっても大きく変わります。


たとえば、

人の多い場所や、
情報が多く流れている環境では、

外側に意識が向きやすくなり、

内側の感覚は少し感じにくくなります。

逆に、

静かな場所や、
安心できる空間の中では、

自然と内側に意識が向きやすくなる。

どちらが良い悪いではなく、

それだけ環境が影響しているということです。

だからこそ、

感覚に気づくために特別なことをする必要はなく、

どんな環境に身を置くかを
少しだけ意識することもひとつの方法です。

少し静かな時間をつくること。
余白のある空間に身を置くこと。
安心できる関わりの中にいること。

それだけで、

身体の反応は少しずつ変わっていきます。


そして、

その変化はとても穏やかで、
目立たないものです。

でも、

その小さな気づきが重なることで、

感覚は少しずつ
ひらいていきます。

気づくことが増えると、

今まで見えなかったものが見えてくる。

同じ日常の中でも、

少し違った感じ方ができるようになる。

それは、

何かが変わったというよりも、

もともとあった感覚に
気づけるようになっただけかもしれません。

だから、

うまく感じられないときも、
焦る必要はありません。

ただ、

少しだけ意識を向けてみること。

それだけで、

身体はちゃんと応えてくれます。

そして、

そうした感覚は、
環境によってもやさしく変わっていきます。

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