noteとの共存の仕方(゜∀゜)の話
フォロワーのLemonさんが、興味深い記事を書いてらっしゃいました。
それについて私も思うところがありまして、コメント欄では収まりきれないと思い、別個の記事といたしました。
Lemonさんは記事の中で、「noteとの向き合い方は人それぞれで、正解はない。楽しんだ者勝ち」と結論しています。
私も激しく同意いたします。
その上で、私が思う「連続投稿」について意見をまとめてみましたので、ご覧いただければと思います。
さてさて。
毎日投稿を継続するとnoteからコングラボードが貰えたりしますよね。
それが励みになり、毎日投稿を継続できているという方も多いのではないでしょうか。
特に、自分に自信を持ちたいと思っていたり、何かしら誇れるものを得たいと思っている方にとっては、何かを◯◯日継続しました、という実績は大きな価値を持つものになるでしょう。
けど、それに依存しすぎるのはどうかな?と私は思います。
たとえばもし、継続記録が途絶えてしまったら?という考えが頭をよぎる時ってあると思います。
そんなとき、今まで積み上げてきたものが大きな価値をもつほど、それが崩れるときのダメージを想像して恐怖するのではないでしょうか。
その恐怖心から、無理をしてでも継続を余儀なくされる、という方も少なくないのでは?と私は見ています。
自分がどんなコンディションであっても「投稿しなきゃ」という焦燥感がつきまとうし、「投稿のアイデアを!なにか探さなくちゃ!」という軸でものごとを見てしまうようになったりして、「楽しみながら投稿するどころじゃない」という状況に追い込まれたりしているんじゃないでしょうか?
連続投稿なんて、極端な話、「今日も普通」とコピペしてつぶやき投稿すれば、継続するのは容易です。
けど、その容易さ、気軽さが、逆に自分を追い詰める原因にもなるんじゃないでしょうか。
「私は、たったこれだけのことすらできないのか」
って。
そうやって自分を責めてしまったりする方もいらっしゃるのではないでしょうか。
しかし、それは大きな誤りだと思いますよ。
逆にいうと、「たったそれだけのことで左右されるほどの価値観に振り回されずとも、貴方の価値は下がったりしない」と思っています。
結局、悩みとかモヤモヤを突きつめると、自分の価値が分からないというところに行き着くのではないでしょうか。
自分は世間からどう評価されているんだろう、自分は社会から必要とされているのだろうか、自分の存在を、誰かに必要とされたい……などなど。
それを、目に見えて分かりやすい形として表してくれるのが、noteの連続投稿だったりするんだと思います。
他にとりえがなくとも、私は連続投稿を継続している!というのがよりどころだったり、人によっては最後の砦だったりするんだろうな、と。
あるいは、アスリートのように「自分を律するためのトレーニング」と位置づけて、エクササイズのような感じで連続投稿にチャレンジしている人もいるかもしれません。
どちらのパターンにも共通するのは、自分の価値を自分でつくり出そうとしている、ということです。
けど、考えてごらんなさい。
あなたのフォロワーさんが、各々に「私は◯日継続してますよ」と貴方に報告してきたとして、「すごいですね!頑張ってますね」以外の言葉が出ますか?って話。
その報告を聞いて、貴方にどれだけのメリットがありますか?ってことです。
正直、他の人が何日連続投稿したという報告なんかよりも、たまにでも良いから自分の記事にスキをつけて、コメントを残してくれる方がよっぽど嬉しいですよね。
それは他人にとっても同じことでしょう。
価値観て、そーいうものだと思いませんか?
自分が何を成し遂げるのかよりも、成し遂げたことによって誰を笑顔にしたのかとか、誰を元気づけたのかという方が大切だと私は思うんです。
そこでまた堂々巡りになってしまいますが、「私には、他の人に影響を与えるものなんて何もない!」という思いがあるかもしれません。
けど、そんなことはないと思います。
例えばあなたが悩みを抱えていて、ぼそっとつぶやきに残した文章があるとします。
その時は誰も反応してくれなかったとしても、後日そのつぶやきを目にした人が、「ああ、私と同じような悩みを抱えている人がいた!」と、喜ぶことだってあるんです。
「こんな悩みも、言葉にしていいんだ」と、他者の姿を通して自分への許しにつながることだってあるんです。
すぐには評価されずとも、貴方が悩んでいる姿を素直に吐露した姿というのは、きっといつか、誰かの心を救うものになるんです。
私なんて、海外の歴史書を翻訳しながら、600年前の人間の苦悩を調べているわけです。
その時代には評価の低かったことであっても、現在の私にとってはこの上ない価値として目に映るんです。
価値観なんて、見る人や時代によっていかようにも変わるってことですね。
すなわち、言葉の風船というのは、そのものに価値があるのではなくて、それが必要な人に届いたときに真の価値が目覚めるんだ、という事を言いたいのです。
なので、今だけを見て自分に低評価を下したり、即効性の評価をもとめて不相応な背伸びをしたりせずとも良いのです。
貴方が生きているということが、きっと誰かを救います。
自信がなくたって、生きにくさを抱えていたって、それでも日々を一生懸命生きているというだけで、すごいことを成し遂げているんですよ。
なお、私は部屋を散らかすのが得意です。
「今日もぐーたらしちゃった!」という人の日記を読むのが、とても救いになっております('ω')
普段はなかなかこういったテーマで記事を書くことはないので、今回のLemonさんの記事は、たいへん有意義なきっかけとなりました。
改めて御礼申し上げます(*'▽')
