【コメクエン症候群】が教えてくれた「私らしさ」の見つけ方
「そんなの日本人じゃないじゃん」
よく言われた。
その度に私は、ごめんなさいと言って下を向いていた。
2013年春、私は【コメクエン症候群】を発症した。
お米を食べられない、お米を口に入れることが一切できなくなってしまった。
きっかけは、お弁当を食べたあとにもどしてしまったこと。
よく覚えている、放送部の活動の一環で訪れたホール会場のお手洗いで、震えながら吐いた。さっき食べたお弁当のご飯が、ほとんど消化されないまま出てきたのを眺めながら、また吐いた。
それがトラウマになって、食べるのが怖くなってしまった。
コメクエン症候群という名前は、父がつけた。お米が食べられない、という状況に対して、ポップな対応をしてくれたのだと思う。
お米が食べられないなんて、日本人として恥ずかしい。私だってそう思っていた。でも、食べられないものは食べられない。嫌いとか、苦手とかではなく、「怖い」という感情が先に来るのだ。
それから4年間にわたり、私は米食ができなかった。
高校生だったので学校に持っていくお弁当は、パンか麺になった。周りが、お米の詰まったお弁当を抱えているのも正直見てていい気はしなかったが、我慢してパンをかじったり麺をすすったりした。
お米が食べられなくなったのに伴って、全体的に食べる量が減ってしまった。
体はやせ細り常に栄養不足で、めまいが止まらなかったり、突然眠ってしまったり、異常な状態だった。生理痛が酷すぎて駅で倒れ、運ばれたこともある。
私が体調を崩す度に「お米食べてないからだよ」「だから痩せちゃうんだよ」と咎められた。わかってる、わかっているけれど、お米が怖かった。
ずっと、お米を食べられなくてごめんなさいという気持ちでいた。
例えば親戚一同でご飯を食べに行く時も、私はお米が食べられないから別のメニューを出してもらう、なんてことがあった。配慮され続けていた。
配慮して欲しい訳じゃない。
でも、残すのは申し訳ないからお米料理は頼めません。ごめんなさい。と謝るしかなかった。
冒頭に書いたように、「そんなの日本人じゃないじゃん」という言葉は、何度もかけられた。
「日本人なのにお米を食べられないなんて変」と。
当時は申し訳なさが勝って、何も言い返せなかったけど、今ならこう言いたい。
「日本人らしさって何?」
これを読んでいる皆さんは、日本人らしさ、と言われて何を思いつくだろうか。
ChatGPTに「日本人らしさと聞いて思いつくことを5つ箇条書きしてください」と尋ねたら、こう返ってきた。
* 礼儀やあいさつを大切にする
* 周囲との調和を重んじる
* 細やかな気配りができる
* まじめで責任感が強い
* 季節感や伝統文化を大切にする
決してここに「お米を頻繁に食べている」は出てこない。
また、日本のお米の消費量は下がっている。
お米の1人当たりの消費量は、1962年度をピークに減少傾向です。
ピーク時は年間118.3キロのお米を消費していましたが、2024年度は年間53.4キロまで
減少しました。
こういった状況であるにもかかわらず、私はお米を食べられないことに対し、「日本人らしくない」というレッテルを貼られ続けた。
そんな私が、いわゆる「日本人らしく」なったのは、大学に入学した頃だった。
サークルや部活の勧誘に行くと、食事をご馳走してもらえることが多かった。そういう時、「お米を食べられません」と断る心苦しさに負けて、少しずつ食べるようになった。
最初はおかずをお米に乗せて、白米を汚すような形で食べていった。少しずつ、白いままでも食べられるようになった。
一口食べて、飲み込んで、それでも何も起こらなかった。ただそれだけのことが、あの頃の私にとってはどれだけ遠い景色だっただろう。
怖くなかった。それが何よりの驚きだった。
今、私は普通にお米を食べている。
そしてやはり、あの頃の私が「日本人じゃなかった」とは思わない。お米を食べられなかった4年間の私も、今、当たり前のようにお茶碗を持って白米をかきこむ私も、同じ私だ。「日本人らしさ」なんて、お米の消費量ひとつとっても揺らいでいくものなのに、それを盾にして誰かを傷つける言葉には、もう頷かなくていい。
【コメクエン症候群】と名付けてくれた父のことを思い出す。あの頃はただのポップなあだ名だと思っていたけれど、今ならわかる。
深刻すぎる現実に、名前という取っ手をつけてくれたから、私はかろうじてそれを持ち運べたのだ。重すぎるものは、そのままでは抱えられない。
もし今、同じように「食べられないこと」や「できないこと」を誰かに責められている人がいたら、伝えたい。
それはあなたが何人であるかとか、何者であるかとか、そういうことには何の関係もない。
できないことがあっても、あなたはあなただよ。
できるようになっても、あなたはあなたで変わりない。
