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白昼にあさきゆめみし

 暑熱順化の効果なのか、肉体は暑さをそれほど苦しく感じていない様子です。むしろ、気温は高いのに、日照が足りない。ニュースは連日40度超えの気温で騒いでいますが、私の肉体はすでに「秋」を感じ始めています。
 大暑に入ってから、朝が涼しいんですよ。気のせいかもしれないけれど、風が既に柔らかい。やはり今年はエルニーニョの影響が強いのかな。酷暑の時期は短いかもしれない。自分の直感を信じ、夏越しの支度は早仕舞で考えようと思います。


夏土用の楽しみ 梅

 大暑に入ってすぐの楽しみは梅の土用干しです!
 待ちに待った季節の到来。連日晴れて気温も高く、梅の実を干すには絶好の条件だ。今年は一日で終わっちゃうんじゃない?!てぐらい、瞬時に乾きます。でも、日陰で規定通り三日間干しました。
 梅の実を並べて干す時の香りとか手触りが好き。今年は梅酢を使わずに砂糖と塩だけで漬け込んだのでやや固め。味見はまだしてないが、塩分濃度は例年より高いのでしっかり保存できそうだ。
 しかしながら、去年の梅干しがまだ残っている。去年のほうがふっくら仕上がっていてうまい。一年越しの梅干しは熟成も進んでいて食べ頃だ。つまり、今年の新梅はもう保存用です。古い梅を消費するレシピを考えなくては。今年はAIの作ったレシピで梅入りのカレーがあったので、試してみようと思っています。昔、口にしたタマリンドの味はかなり甘かったので、梅の酸味の他にはちみつが必要そう。和製チャツネをどう作ろうかね。
 梅干しは毎年いろんな作り方を試すんですが、去年は塩と砂糖と梅酢を1:1:1の割合で漬けたはず。砂糖を入れると意外と酸味が和らいで美味かったのを覚えています。梅酢だけで漬け込むと塩分は抑えられますが、漬け込みが足りなかったかな。紫蘇と漬け込むと色が綺麗だ。塩だけで漬け込むと超絶に辛いです。はちみつで漬け込んだ時もあるが、好みではなかった。今年は砂糖だけで漬け込む梅も用意してあって、そちらは吉原で知られた甘露梅にする。正月のおせちに使うので、干さずに冬まで漬け込む予定です。私好みの梅干しは去年の方法かな。紫蘇も入れたので実の柔らかさが段違いで、口に入れた時ふわっと香るんですよ。至福。
 だけど、私はそれほど真面目に梅仕事をしない。梅干しを作る年と作らない年がありまして、保存食の減り具合を見ながら今年やるかどうか決めてます。梅干しを作るのは好きだけど、実は消費はあまり好きではないのです。梅シロップの方がよく消費する。梅酒も漬けてから5年ぐらいしたほうが美味しいので、3年おきに作るかどうするか悩む。
 一番多く利用するレシピは梅ごと炊き込む白米だ。夏の食中毒予防で始めたが、梅を入れて炊くご飯は塩と酸味が美味しくて、夏は梅入りご飯を炊きます。炊きあがったらそのままおかかと一緒に実を砕いて混ぜ込んでもいいんですが、梅干しをそのまま食べて消費することはほとんどなく、炊き込みで塩分を落としてふっくら戻した実を料理で再利用します。イワシの梅煮とか豚と梅の炒め物は美味しいです。私にとって梅は夏の調味料だ。実を料理で使ったあとは種で梅醤を作るので、一個でも結構長く使い回します。そもそも夏はご飯をあまり炊かないので、梅ご飯の回数もそれほど多くない。
 カレーに使うのは初めてだな。作ったら「短観」で感想でも書きます。
 今年はオクラを作っていないですが、オクラとピーナツを入れるとアフリカンなカレーになる。夏のカレーは夏野菜をたくさん入れて作ろう。収穫したとうもろこしはもう食べてしまったけど、ジャガイモも人参も玉ねぎもまだある。インゲンと紫蘇を入れてみるか。紫蘇カレーって作ったことないけど、どんな味になるかな。かぼちゃを入れてもいいですね。冷蔵庫を掃除するつもりで、色々入れて試してみます。

夏土用の楽しみ 鰻

 そして、大暑の楽しみとしては土用の丑の日もございます。今年のうなぎは割安感あって、罪悪感なく食べられそう。本来のうなぎの旬は秋冬だけど、鰻屋さんに言わせると冬のうなぎは脂が多すぎてうまくないとのこと。やはり夏から秋にかけてが美味しいよ、と勧められました。というか、いつ食べてもいいから安くなってからもうなぎのこと忘れないでね、って。
 うなぎと聞くと資源量が気になるんですが、最近うなぎの養殖で明るいニュースがあったようだ。稚魚を国産で賄える日は近いのかな。いずれにしても今は貴重な鰻ですので、ありがたくいただきます。
 自宅では簡単にうな丼で食べちゃいますが、意欲のある年はワインで煮たりする。脂が適度に落ちるので食べやすくなります。もともとはボルドーにあるシヴェを参考にして作ったのですが、適当に白ワインで作っても、ロゼワインで作っても美味しかった。本場のシヴェは冬の料理で脂のしっかり乗った西洋うなぎはゴムホースのようなブヨブヨぶりで現地の人もそれほど好きじゃないと言っていた。でも、ボルドーでは特にサン・テミリオン地区では名物らしいです。サンテミリオンのワインは土の香りが立つワインなので、うなぎの煮物に使うとちょうどいいのかもしれない。気になる方はやってみてはどうでしょう。鰻に赤ワインは意外と合いますよ。
 夏はロゼワインを冷やしていただくと美味しいが、一本飲みきれなかった日は鰻の調理で使ってみてもいいだろう。ボルドー風というか、ロゼを使うと南仏っぽいさっぱり感でいただけるかもしれないです。白ワインで作ればイタリア風です。欧州でも意外と鰻は食べられているようだ。
 今年はどうやって食べようか。今はベランダにミツバもあるし、鰻巻きにしてもいいなと空想してます。
 実は土用入まで待てなくて、小暑に入ったら、ひつまぶしを食べに行っておりました。夏になるとあちこちで鰻を焼くので、たまらないのだ。うなぎの匂いは日本人のDNAを何か刺激するような気がいたします。ひつまぶしは名古屋を代表する食べ物だけど、店によって焼き具合が変わるので炭火の香りを食べに行く。関東では鰻にそこまで香りはついてないけど、関西の方では炭火の香りが皮にしっかりついているので炭の香りがしないと鰻という気がしない。皮はパリパリした状態でいただく。して、名古屋ではそうやって関西風に焼いた鰻の皮は噛み切りにくいので、細かく切ってご飯にまぶすという手間をかける。だからひつまぶしだ。ひつまぶしは名古屋らしい倹約と合理性を兼ねた食べ物なのです。
 店で食べる鰻は職人の腕を感じてただひたすらうまい皮と香りをいただくのですが、自宅で調理する土用鰻は煮たり蒸したりする方が楽だなと思う。自分の家で今年二度目の鰻だ。いつ食べてもいいんだよ〜とも言われていますし、夏はまだこれからだ。ふっふっふ。
(追伸:今年は市販の蒲焼をお茶で煮てみた。脂が落ちてさっぱりして美味しかったっす。残りは鰻とミツバの卵とじにした。また食べたいな。旬はこれからだし、八月になって値段落ちしたらまた買ってみようと思います!)

夏土用の楽しみ 夜

 この時期の日本は祭が多い。もともとは亡くなったご先祖が戻ってくるとされているのが夏の時期。この時期は弔いと鎮魂のための祭が各地で開かれる。お祭りと言っても霊的な催し物であって、無礼講で酒のんで騒ぐためのものではなく、表向きは騒いでいてもあれはほとんど全て亡者のために騒いでいるのであります。
 夏土用は夏休みと被ることが多くて、旅行に出かける人も多いのですが、この時期は暑さで頭もやられますので、土用はもともとあまり遠くへいかないほうがいいと言われている。祭も近場で参じるのがいいように思います。
 実は土用の時期に三重へ行く予定があったのですが、それがなくなったので時期をずらすことにした。間日に行くこともできたけど、車の運転は暑そうだな、と思ったら行く気が削がれてしまった。今年は墓参りのあとで岐阜の山間に涼みにも誘われたので、無理してあちこちでかけるのは控えたほうがいいかもと悩んでいる。お盆は渋滞もひどいからな。実は8月中旬に行われる京都大文字焼きの観覧を計画して五月頃に宿を探したが、その日だけあっという間に満室になっていて計画倒れになった。代替の旅先を探しているが、夏の旅行はまだ決まってない。今年は近場で過ごすのがいいのかもしれない。しばらくのんびり悩むことにしよう。
 我が地域は伊勢神宮の影響を受けていますので、毎月1日は朔日餅が発売される。伊勢神宮の前にあるおはらい町で赤福が毎月その餅を売っていて、月替りでもちが出る。その餅は一日しか売られないので、手に入れる機会があまりなかったのですが、今年は八朔が土曜日だ。普段は買いに行けないけれど、この機会に朔日餅を手に入れてみようかな、と思っています。(注意:事前予約が必要です)
 また、大暑に入ってから週末はどこかで花火が上がる。港もひらかれて海辺で花火が上がります。人混みはあまり好きではないのだけど、屋外で花火の音を浴びるのは好きだ。あの音に身を清められるような気がする。夜になっても暑い昨今ですが、暑い時期だからこそ浴衣を着られる。秋になって涼しくなるともう屋外では浴衣を着られないですから、虫干しを兼ねて浴衣に袖を通すのも一興かな。夏の夜は花火も美しいが夜空も負けず劣らず美しい。天の川の姿がはっきり見られるのも今の時期ならではだ。
 さて、今年はどこで夜を過ごしましょうか。浴衣を粋に着こなして、熱中症にならない程度に夏の夜を楽しみたいですね。

真昼の寝物語

 春からずっと週末はいつも畑に行っていたけれど、やっと週末はのんびり家の中で過ごせるようになった。昼に動くのは疲れますからね。昼寝がとても贅沢です。
 土用は畑仕事はお休みと言ったけれど、夏野菜は8月も本番さながらだ。私は今年は夏に畑に入る回数を減らすためにこの時期の作物を減らしたけど、人によってはこれからオクラがとれます。ゴーヤがとれます。四角豆がとれます。モロヘイヤがとれます。ナスがとれます。トマトとれます。キュウリもまだ採れるかな。我が家はもう夏野菜は自宅のベランダで取ります。ピーマンとニラが育ってきてます。
 そして、8月の旬野菜としては西瓜がある。桃もある。枝豆もまだ時期だ。隣の畑ではオクラが大きく育っている。むしろ、育ち過ぎじゃない?!と不安になる速度で今年は成長が早いように感じます。やはり、私には今年の夏野菜の世話は無理だ。夏は勤労でないと無理です。
 既に土用に入っていますが、夏野菜を畑に入れている方は三日おきに収穫しないと間に合わないだろう。そのために毎日水をまきに行き、様子を見ているはずだ。土用でもそういう農作業ができるように昔の方は間日というものを用意してくれている。
 間日とは土用の時期でも土に触れていいですよって言われている特赦みたいな日だ。間日を利用して作業をしたことがあるけれど、その日はなぜか前後に雨が降りやすかったり、気温が下がったりして確かに作業しやすい気がした。土用の時期の特異日のようなものだ感じています。それでも、この時期に畑に入るのは命を縮める行為ではある。連日、熱射病で倒れる方がいて、作業できても本当に短時間だ。
 今の時期、我が家の冷蔵庫は西瓜のスペースがほとんどを占めている。一玉を分割して8分の1ずつ食べていくので、ほぼ一週間に一玉の消費だ。昔、西瓜の利尿作用と水分で救われたことがあるので、夏の時期に西瓜を常備するクセが付いてしまっている。秋になったら梨を買う。初夏にはメロンを買う。利尿作用と言っているが、夏の喉の渇きを瞬時に抑えてくれるのがカリウムだ。この時期は飲んでも飲んでも水が足りないと感じて飲みすぎてしまうのだけど、カリウムの入った果物を一口食べると落ち着きます。食べ過ぎるとお腹が冷えてしまうので、適量で。
 みずみずしい西瓜を毎朝口に食んでたっぷり水を含み、蝉の声を聞きながらぐーたらしてると至福です。今年の恵みをカレーで戴きつつ、次の季節の夢想をする。
 八月下旬になったら玉ねぎとネギ類の種を撒き、春は虫に食われてしまったブロッコリーとカリフラワーのリベンジで苗を作ろう。秋冬はキャベツと白菜、ビーツ、春菊、水菜、小松菜を育てよう。キャベツは脇芽が育っているので、今植わっている場所で施肥を整えて、中耕する。人参と大根が入っていた畝には、今はごぼうが育っている。ベランダで育てているセロリの苗がうまく育てば畑に持っていこう。とうもろこしの入っていた畝は枝豆を収穫したら三十センチ以上耕起して、冬大根を入れる支度をする。さつまいもと里芋の世話があるな。知り合いからもらったローゼルも育ってるな。秋になったら穂紫蘇の収穫をして、実を採集したいな。秋のトマトが入っている畝に何を混植しようかな。後作できる植物の相性も調べないといけないな。根菜の入っていた畝はセンチュウ対策で米ぬかを入れて太陽熱の高い時期の間に消毒したいな。ナスの近くにネギを植えようかな。今年はナスとピーマンを何月まで育てようかな。冬野菜は9月下旬までに植え付けたいな。どこから片付けてスペースを開けようかな。今年の虫は何月まで勢力残るかな。防虫ネットを何月までかけようかな……みたいなことをもんもんと考えて、逆算して夏休みの終わりを数えます。
 早く畑へ行きたくなってきたけど、まだ我慢です。養生第一。
 寝ながら楽しい夢を妄想している今を味わうのです。 

夏の終わり

    切ないかな、大暑に入ったというのにもう蝉の声が変わっている。考えてみれば大暑は真夏ではない。立夏から始まった夏の最後の節季である。最も暑いというけれど、もう秋の足音が近くまで来ている。太陽高度も気づけばかなり下がっている。もう朝4時に起きても暗いのだ。
   8月に入ればアブラゼミも消えて、蜩に変わるだろう。夏の楽しい時期はあっという間に過ぎていく。だけど、この名残の夏の朝の気配は爽やかに感じられて気持ちいい。朝6時の気温がやっと人の過ごせる暑さになって夜明けの気配を味わえます。寝不足からではなく、自然と目が冷めて朝日が登ってくる姿を見ることができる。
    子供の頃は夏休みに入ってから味わう朝6時の雰囲気が好きだった。朝日が登ってくると同時にセミが目覚めて鳴き始める。その少し前の静かな時間。植えた朝顔の花がゆっくりと開いていくのを一人で静かに見守っていた記憶を思い出す。誰かを起こしたり起こされたりしないで、短い黄金の朝日の時間を味わう。それはとても至福の時間だった。あれぞ夏休みというイメージです。そんな夏休みの楽しい時間は非常に短い。八月に入ると太陽光の色が変わる。あの夏が終わるときの特有の切なさは何ですかね?
    いつまでも続いてほしい楽しい時間は刹那なのだ。人生も黄昏を生きるほうが長いように思う。だけど、美しく楽しい時間は確かにあったのだと思いたい。今年も夏が終わっていく。でも、生命の輝きを最後に精一杯謳歌して、今日も蝉が鳴いています。彼らは羽化した瞬間から死に向かっている。食事をするための器官がないのだ。それは繁栄のために覚悟を決めて羽化した姿だ。パートナーを探して命の限り鳴いている。
    私には来年の夏がある。彼らには今週しかない。今ある命は当たり前のものではないということを、夏の終わりに考える。
    一炊の夢の間に一生の栄華を体験した若者が、目覚めて日常の尊さを知る故事を思う。邯鄲の夢はまたたく間の出来事である。今ある幸福に感謝する。

    さて、もう一眠りしたら夕飯の支度をしましょうか。


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