第31夜 僕の恋と、生まれ来た子供たち - ちゃんみな「I hate this love song」
夜、寝床についた娘の手を握る。
上の子も、下の子も、小学生なのに、いまだに、寝る時には「父ちゃんに一緒に寝てほしい」と言う。
横にねそべって、手を握る。
もう6月で、梅雨どきなので、手も少し汗ばむ。
ある瞬間の、盲目的で夢中な行動の結果が、今につながっている。
過去の行動が、物質的な結果を伴って、目の前に現実的に存在している。
こんなにもわかりやすい「結果」があるだろうか。
過去と未来をつなぐ、不思議な縁を実感する。
あの頃、2015年ごろ当時、僕は妻に夢中だった。
正確には、のちに妻になる、1人の女性に夢中だった。
盲目的に彼女を欲していて、ほかのヒトやモノなど、何一つ欲しくなかった。
back numberの「ヒロイン」なんて聞いて、同じく恋に悩む友達とカラオケで歌っていた。
その歌詞、「君の毎日に 僕は似合わないかな」というとんでもなく卑屈で弱気な歌い出し、天才かと思った。
28歳だった僕はとにかく1人の女性に夢中で、「彼女が欲しい」ただそれだけだった。
彼女との時間と空間が欲しくて、ほかには何もいらない。
ただ、それだけ。
その、盲目的な"恋"の結果が、2人の娘となって、今の僕の目の前にいる。
ちなみに、妻ももちろん、毎日僕の目の前にいる。
欲しかった、彼女との日々が、ここにある。
ちゃんみな「I hate this love song」
ちゃんみなの新曲、「I hate this love song」がリリースされている。
Apple Musicのサジェストで流れてきたので、聞いた。
一聴しただけでわかる、明らかな名曲。
名曲を聞くと、初めて聞いた瞬間から、ずっとその曲を知っていたかのような錯覚に陥ることがある。
宇多田の「First Love」や、Aimerの「カタオモイ」を初めて聞いた時のような感覚。
この曲がそこにあるのが当たり前すぎて、今まで誰もこの歌を歌ってなかったということが信じられない。
タイトルの「I hate this love song」という言葉も、完全にちょうどいい。
恋は、しようと思ってするものではない。
結婚したいから相手を探すのではなく、恋人がほしいから相手を探すのでもない。
ただ単に、気づけばおのずとその行為をしているというのが、心から夢中で何かをするということだ。
だから、「I hate this love song」と言いながらラヴソングを歌うという矛盾は、矛盾ではない。
その行為や気持ちは、誰かが歌ったどんなラヴソングも似合わないし、自分が発した言葉やメロディすら本当ではない。
本当ではないけれど、伝えるためには少しでも何か言葉にしたり形にしたりしたい。
でも、それがその思いを壊してしまいそうな気もして、怖い。
そういう、言葉にできない、したくない、繊細で敏感な瞬間の思いを、ぎりぎり閉じ込めることができるとすれば、それが芸術の所業だ。
それを歌にするちゃんみなと、音に落とし込むプロデュースワーク。
プロデューサーは、「No No Girls」の番組内にも登場したRyosuke "Dr.R" Sakai氏。
安らげる場所
そういう、ロマンティックな、芸術主義的なことを言いながらも、実際の恋はけっこう現実的なものである。
自分が10年前に、惚れた女性に夢中になっていた時、そもそも惚れたきっかけとして「この人となら家庭を築ける(築きたい)」という思いがあった。
その思いがあっての、あの恋だった。
20代中盤以降の恋は、そのような中長期的な関係を視野に入れがちである。
結婚を視野に入れるかはともかく、恋人と長く関係を築きたいという思いは強くなる年頃だ。
なぜかと言えば、「別れ」のしんどさが身に染みてくる時期だから。
大切な人との別れを何度か経験してきて、その辛さや不毛さに、「もう繰り返したくない」という思いが強くなる。
うちの子たちも、きっと、これからしんどい経験をたくさんするんだと思う。
うちの上の子は、幼い時から変わらない習性として、ぬいぐるみをとても愛している。
ギューっと抱きしめて、溺愛する。
なんとなく、この子はいつか、同じような強さで、誰かを愛すのだろうなと思う。
それは時に恋人であり、時に我が子なのかもしれない。
ぬいぐるみや我が子は唐突に自分を裏切ることはない。(少なくとも子供が溺愛の対象になるぐらい幼い時期には)
ただ、異性は、思いを裏切って去っていくことがある。
その見極めに失敗するとき、うちの娘は傷つくだろうなと思う。
ギューっと溺愛して、その相手が去って行ってしまった時には。
どんなに愛しても、その愛に応えないどころか、その愛を逆手にとって傷つけてくる人は、いる。
それを回避するコツは何だろう?と考えると、おそらく「愛に傷ついたことがある人」を相手に選ぶことだろうなと思う。
愛に傷ついた人は、愛の価値に気づき、次に生まれた愛を大切に育もうとする。
しかし難しい話なのだが、そういうことに気づくには、自分もまた愛に傷ついて、愛の価値に気づいてなければいけない。
ここに、人生の難しさ、厳しさがある。
そういうことは、親から子に教えるのは、なかなか難しい。
言葉として教えることはできても、経験として知るまでは、実感できないだろう。(親のそんな説教、まともに聞く子がいるとも思えないし)
親としての限度はあるのだろうと思う。
ただ、どんなに傷ついても、いつでも帰ってこれる場所、安らげる場所は用意してあげたいなと思う。
いつでも、そこにあるように、用意しておいてあげたい。
それが、一番いいことのような気がする。
最後に、またTHE FIRST TAKEの動画を貼る。
No No Girlsのファイナリストたちによる「SAD SONG」。
オーディションの中で、彼女たちはとんでもなくしんどい経験の中を通り抜け、傷つきまくっていた。
そんな中、彼女たちはしばしば「ママ」に連絡して支えてもらっていた。
父親とカラオケに行くのが息抜きの人もいた。
そういう存在になれるのが、一番いいような気がする。
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正しい人生なんて、たぶんない。
でも、美しい人生なら、きっとポップミュージックが教えてくれる。
ポップミュージックは誰かと共有するものだから。
今日は以上!また明日!
このシリーズは「めちめちの今夜この曲」
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