天文館での不思議な不思議な夜
今から十五年くらい前、まだ僕が若くて、元気一杯だった頃の話である。
連休初日の夜、南九州随一の繁華街・天文館に飲みに出た。その頃の僕は、一旦夜の街に出ると、明け方までハシゴを続けることも珍しくなかった。それまでいた店が終了すると、開いている店を探して彷徨うという溢れんばかりの体力を誇っていた。
どこぞのビルにあった初めてのバーにふらりと入ったときのことだ。
店に入ると、近寄って来た女性スタッフが、こう言った。
「どんな店だかご存知ですか?」
その言葉に違和感を覚えた。
普通だったら「いらっしゃいませ」だろう。
「いや、全然知らない。ふらっと入っただけ」
「一時間半で九千円なんですけど、いいですか?」
夜の天文館であれば、それくらい別段高くもない。
「うん、いいよ。飲んでく」
カウンター席に通され、女の子がやってきた。
顔を見ると、さっき声をかけてきたスタッフだった。
地味な顔付きだったから裏方だと思っていたのだが、そうではなかったようだ。
そして開口一番。
「きれいな女の子がそばにいると気分いいでしょ?」
そう言っていきなり顔を近づけてきた。
「・・・・・・」
返す言葉がみつからない。
まあ、容貌だけが全てというわけではない。気立ての良さやお喋で楽しませてくれればそれでよい。
そう思って、出方を待つことにした。
こちらからでも、面白い話の一つや二つは、いつでも提供できる。
しかし・・・、
それまで一度も会ったことのないタイプで、まあ、要するにだね・・・、こちらからわざわざアプローチする気にならんのだよ。
ところが、このキャスト、いっこうに話題を振ってこない。
そればかりか、ふらふらとその場を離れてしまった。
しばらく待っても、誰も近寄って来ない。
退屈に耐え兼ねた僕は席を立ち、レジの男の子に話しかけた。
「これって職場放棄じゃん?」
小柄なその男は、小さく頷きながら、苦笑いを浮かべた。
席に戻った後も放置状態が続く。
我慢してまで堪え続ける必要などさらさらない。店は他にいくらでもある。
レジの男の子に詰め寄って金を返してもらい、店を後にした。
すると、背後からなにやら荒々しい声が聞こえてきた。
振り返ると、今、職場放棄したばかりの女だ。
骨太の逞しい体付きにゴツイ顔。そこに般若のような険しい表情が浮かんでいる。
「只飲みする気? 警察を呼ぶよ」
「放置してるだけじゃん! それで金取るのか?」
「あんたが面白くないからだよ」
「それ、こっちのセリフだよ。 放置して、それがサービスと言えるか? 馬鹿馬鹿しくて金なんか払えないよ」
「水割り飲んだじゃない?」
「飲んでない」
「飲んだのよ」
「あ・・・、ちょっとだけ口を付けたか・・・。あんまりつまんないから飲んだことさえ忘れてたよ。いくら払えばいい?」
「九千円」
「九千円って・・・、十分もそこにいなかったんだぞ」
「うちはそういう店なのよ」
― そういう店って、どういう店よ ―
般若顔の女は、引き連れてきた店の男の子を責め始めた。
「あんた、なんでお金返したりしたのよ!」
男の子は、困って背中を丸めている。
僕は女傑に近寄った。
「これでじゅうぶんだ!」
手のひらに千円札を捻じ込み、そそくさとその場を離れた。
背後から声が飛んでくる。
「貧乏人! ここは、あんたみたいな貧乏人の来るところじゃないのよ!」
そう言われてもねぇ・・・。
言われるとおり、俺は貧乏人だよ。
仰せの通り、ここは俺の来るところじゃないと思ったよ。
たとえ金持ちだったとしても、あんな店は御免だ。
バイバイ!
**
この体験、次に入った店で、話のネタとして使わせてもらった。
「ひどいですねぇ・・・、そんな店があるから困るんですよ。貧乏人なんて、お客さんに言うなんて失礼だし、それって、ただの負け犬の遠吠えですよ」
カウンターで、僕の横にいた若い女性客。
「ここは、そんなお店じゃないですよ」
その笑顔に嘘のないことはすぐに分かった。
聞くと、その小柄なお嬢さんの職業は介護福祉士。
その頃、僕は介護の勉強をしていたので、楽しいひと時を過ごせたのでありました。
なお、この話は、今でもたまに、話のタネとして使わせてもらっているが、いつもけっこう盛り上がる。
ところで、あの女傑さん、今頃どうしているんだろう? 遠く離れたこの場で、あなたの健康と幸せを祈っております。
アーメン!
