居酒屋《戦国》のマスター
鈴鹿に住んでいた妹たちが、ある事情から上田に住むようになって半年ほどたった頃だった。
シンセサイザーによる組曲を収めたCD『松の木の物語』が完成し、同志による祝賀会が企画され、妹もそこに参加してくれた。
それから数日後、妹から、こんな電話をもらった。
「是非会ってほしい人がいるんだけど…」
その人に僕のCDを聴いてもらったところ、えらく気に入ってくれて、それで会いたがっているという。居酒屋のマスターだということだった。
保険の外交員として働いていた妹は、僕に比べ付き合いも広かった。
「居酒屋? 付き合えるかな? 俺は、そんなところに行ったことないよ」
「いい人だし、音楽が好きから、お兄さんとも話が合うと思うよ」
その頃の僕は、ピアノ指導と音楽制作を生業とし、音楽中心の生活をしていた。人懐っこい妹とは対照的に人付き合いは狭く、ほぼピアノの先生か楽器屋の店員に限られていた。
楽器店の専務からは、
「先生の先生なのだから、常にその立場を考えて振舞うように」
と言われ、実際の自分とは乖離した“大先生”を無理して演じなければならなくて、そんな自分に息苦しさを感じていた。
― ピアノの先生とは、こうでなければならない ―
そんな思いが、自分をがんじがらめにしていた。
世間話が苦手で、特に初対面の相手とは何を話してよいかわからなくて困った。対人恐怖症気味だったと言える。
世間一般の同年代の男性が、いつも何を考えどのような生活をしているのか、想像もつかなかった。
そんな状態だったので、妹の誘いにもなかなか心が動かなかった。だけど、何度か電話をもらっているうちに、
「どうしても会いたいって言ってるから」
という妹の説得に負けて、重い腰をあげることにした。
― 居酒屋のマスター ―
その言葉から想像された姿は、短髪で骨太、ねじり鉢巻きが似合いそうな人物。
ところが、実際に会ってみると、そんなイメージとはかけ離れていた。
厨房から出てきた人物は、長髪を束ね、ジーンズの似合う細身の体型。居酒屋のオヤジというよりミュージシャン。はっきりとした目鼻立ちと遠慮がちな物腰が実直な人柄を感じさせた。
その男性は、緊張の面持ちで近づいてきた。そして真っ先に口にしたのが、僕のCDへの賛辞だった。熱を込めて話す姿に、心動かされた。
その夜は、営業終了後、遅くまで話し込んだ。若い頃、バンドでドラムを叩いていた経験から、音楽に対する思い入れも並々ならぬものがあり、十代の頃熱中したロックの話が通じるのが嬉しかった。確か、フリーのサイモン・カークのドラムが好きだって言ってたと思う。思ってもいなかった“幸福な時”の到来だった。
彼の名は「秋夫」。「あきちゃん」と呼んでほしいと言われたんだけど、三歳年上だったこともあって、さすがにそれはちょっとためらわれ、「あきおさん」と呼び続けた。
彼には本当にお世話になった。
CDを何枚も預かってくれ、店に常備し、各方面に紹介して回り、誰よりも多くの枚数を売りさばいてくれた。
ステージの仕事が入ると、機材運びを手伝ってくれた。自主コンサートを提案してくれたのも彼だったし、その会場として、店を無償で二度に渡って提供してもくれた。
妹が言っていたように、本当に「良い人」だった。
音楽好きな店の常連客とも顔見知りになり、青春期以来の楽しい時間が戻って来た。
今、振り返ってみると、居酒屋『戦国』に出入りしていた頃は、自分らしさを取り戻せた貴重な転換期だった。多くの人と知り合い、人前に立つことが増えて行った。
居酒屋『戦国』は、職種の異なる妹との接点となる場でもあった。妹にとって人脈作りは、大切な仕事の一部でもあり、周囲の人々からは「貴美ちゃん」と呼ばれて慕われていた。
そんな妹と僕は、常連客から、
「こんな仲の良い兄妹見たことない」
と言われ、
「個性的ですごい兄妹」
という声に、くすぐったい思いもした。
いつだったか、妹を含めた常連客たちとカラオケに繰り出したときの、こんな一場面が忘れられない。
戦国で顔馴染みになっていた「ヤマさん」が、僕の肩をゆさぶって言った。
「ちょっとあれ見てよ」
彼が指し示す方向には、先ほどから妹が立って歌っている。
先刻承知だ。
「妹の歌、上手いでしょ?」
「いや、そうじゃなくてさ…、マイク、腰の位置だよ」
「あ・・・」
これには、度肝を抜かれた。
こんな光景見たことない。
声量があるっていうのが妹の自慢だったけど、なるほどこりゃすごい。
これまでに、バンドでプロとして歌っていたとか、後輩の男の子に慕われていたという学生時代の話は聞いていた。でも、すべては後から聞いた話で、実際にその様子を目にしたことはなかった。
こうして同じ空間に身を置き、皆から愛されている姿を自分の目で直接見るのは、幼少期以来のことだった。
小学校のクラスメイト達から可愛がられ、アイドル的存在になっていた三歳の頃の姿と、イメージが繋がった。
鈴鹿での、元夫から人格否定され虐げられていた生活から解放され、妹は本来の自分らしさを取り戻していた。
どんな相手にも笑顔とフランクな態度で接し、すぐに仲良くなる妹。それまで自分が関わってきた人たちとは一味違うオープンマインドな姿勢は、その後の自分の人生に、少なからぬ影響を残してくれている。
話し好きなメンタルマジシャンとして知られる現在、
「若い頃は、人見知りで、世間話が苦手だった」
などと言っても、誰も信じてくれない。
今思えば、本来の自分に戻るターニングポイントだった。戦国という場があったから、そして秋夫さんというマスターがいたからこそ、僕にとってのひとつの「時代」が刻印された。そんな印象だ。
《戦国の秋夫さん》と言えば、その後の僕に良い影響を及ぼした、忘れがたいエピソードがある。そのことについても、また別の機会にゆっくり話してみたい。
