千代紙に憧れた日
窓の外から強い雨音が聞こえてくる。
外壁に郁子の蔓が這わせてあり、その葉に当たる雨粒が立てる音だ。
その雨音を聞いて、ふと小学校低学年のころ学校で習った童謡の一節が浮かんだ。
雨がふります 雨がふる
遊びにゆきたし 傘(かさ)はなし
紅緒(べにお)の木履(かっこ)の 緒(お)が切れた
今では耳にすることも無くなったが、僕が小学生の頃は、音楽の時間にこの歌を習った。
この歌で初めて「千代紙」という言葉を知り、物悲しい調べともに、この「ちよがみ」という響きが、妙に心に沁みた。
それからと言うもの、この歌が心に浮かぶたびに、「千代紙」という言葉が、じわじわと心に迫り、実物をどうしても手に取ってみたくなった。
それまで、その言葉に接したことがなかったので、一体どこに行けばあるのか、さっぱりわからない。
「千代紙って、どこに売ってるの?」
母にそう訊くと、特に考えるふうもなく、
「文房具屋に売ってるんじゃない?」
あっさりとそう答えたのが意外だった。
「え? ほんとに売ってる?」
「行ってみればいいじゃない」
「なかったらどうするの?」
「どうするって、そのまま帰ってくればいいだけよ」
「カッコ悪いよ、そんなの」
「考え過ぎだよ。なんでそんなこと気にするの?」
子どもの頃の僕は、実際に動く前にあれこれ考え過ぎる傾向があった。
そして、小銭を握りしめ、近所の「しおかわ」っていう文房具屋に走った。
― どうか、千代紙がありますように ―
この、祈りにも似た不自然な力みには、それなりの理由があった。
昔のことを歌った歌詞に登場する「千代紙」と言う言葉「千代の紙」、千という途方もない数字の入った紙が、古式ゆかしい神聖な物のように思えていたのである。
だから、ちょっとドキドキしていた。
「あのう、千代紙って売ってますか?」
おずおずとそう尋ねた。
「あるよ、そこの棚の中にあるから、好きなのを選んでね」
人知れず、自分一人だけが、場違いな緊張に捕らわれていた。
歌に描かれた情景に憧れ、わざわざ雨の日を待って物悲しい気分に浸りながら折ってみようと思った。
ようやく念願かなって雨音を聞きながら千代紙を取り出し、机の上で折ってみた。
紙はパサパサと乾いた音を立て、何と言うこともなく、至って普通な気分で、何ごとも無く折り終えた。
こうして、千代紙に託した夢は、あっけなくはじけ飛んだのである。
梅雨のある日、僕は小学二年生だった。
