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平木君のスピードボール

 僕が小学校六年生だった時のことだ。
 ある春の土曜日、一年生になったばかりの妹を訪ねて、同じクラスの女の子が、隣町から遊びにやってきた。
 大柄だった妹に比べ、その子は一回り体が小さく、人形のようなおとなしい子だった。
 なぜ覚えているかと言えば、その時、六年生のお兄さんも一緒だったからだ。
 一年生が一人で歩いて遠出するのは危ないからということで、守り役として付いてきたのである。
 六年生と言えば、自分と同い年。クラスが違ったので、名前も知らなかったが、顔には見覚えがあった。
 学校で何気なく見かけていたその男の子が、妹の保護者として突然身近に現れた。
 妹たちが庭で遊んでいる間、その少年は縁側に越し掛け、静かにその様子を見ていた。
 母が菓子と飲み物を出すと、小さな声で、
「いいです」
 と言ったきり、手を付けようともしない。
 自分には到底できないと思った。
 同い年でありながら、精神年齢は、自分の遠く及ばない領域に達している。
 その姿に近寄りがたいものを感じて、僕は声をかけることもできなかった。
 半ば身を隠すように勉強机に向かい、熱中していた漫画の創作に取り掛かっていた
 ところが、どうも心がそこに集中できない。縁側に腰掛けている男の子が気になってしょうがなかった。
 背後から、母の声が聞こえた。
「あの子、偉いね。妹のために付いてきて、じっと見守ってるって、いいお兄さんだよね」
「そう思う。僕にはできないよ」
「あんた同じ年なんだから、一緒に遊んであげなさいよ。ただ待ってるだけじゃ、可哀想だよ」
「……」
 少し躊躇したが、ドッジボール用のボールを取り出して、おずおずと遊びに誘ってみた。
 当時、級友たちが「庭球」と呼んでいたミニテニスをしたことを覚えているが、何かその男の子に対して、気楽に話し掛けられないまま、言葉少なめにそのゲームを続け、それでも何となく嬉しかったことを覚えている。
 平木君という名前だった。
 その平木君と、夏休みが明けてからの、後期クラブ活動で再会することになる。ソフトボール部。それも、なんとバッテリーを組むことになったのである。
 生徒たちは、二つのチームに分けられ、僕のポジションはキャッチャーになった。望んでそうなったのではなく、外れ籤を引いた結果だった。
 相手チームの四番打者は、野崎君という好打者で、打席に入ると、いつも初球をジャストミートし、外野までかっ飛ばした。
 実戦を重ねるうちに、自分の欠点に気づいた。目の前でバットを振られると、反射的に目を閉じてしまうのである。その結果、ことごとく落球。
 ほどなく、相手がそれに気付き、振り逃げの連続となった。ランナーをためては、野崎君が大飛球をかっ飛ばし、いつも大量得点差で負ける。そんな状況にも、チームメイトは何も言わなかったが、ついには我慢も限界に達し、不満をあらわにした。
 「ちゃんと取ってよ」
 当然のクレームだった。
 ある日のこと、打順が、強打の野崎君に回ってきたとき、ピッチャーの平木君が歩み寄ってきた。
 「次は速い球を投げるから、しっかり取ってね」
 多くを語らない彼から突然そう言われ、その意味がよく分からなかったが、投球フォームに入った平木君の右腕からは、それまでとは桁違いのスピードボールが放たれ、強打者野崎君のバットが空を切った。
 突然のことに僕は驚き、ただ受けるだけで精一杯。バットの動きを感じる余裕さえなかった。
 結果は三球三振。
 「すごいね。どうしてこんな球を投げられるようになったの?」
 「練習したんだよ」
 試合後、そんな短い会話を交わしたことを覚えている。彼の努力にいたく感心し、これにはこちらも身も引き締まり、以後バットを振られても目をつぶらなくなった。
 平木君がスピードボールを放ったのは、四番打者の野崎君に対してだけで、他の打者には、それまでと同じく打ちやすいボールを放っていた。
 そんな懐の深さを感じさせる子だった。
 多くを語らず、いつも静か。冗談を言うところも見たことがなかったが、決して気弱なわけでもなく、常に周囲を気遣う「いい奴」だったという印象が残っている。



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