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微笑みの木 ~ ある一本の梅の木に寄せて

 音大に通っていた頃、フォトアルバムの中の一枚が、妙に気になったことがある。幼稚園の一室で撮られたもので、“お店屋さんごっこ”を終えた園児たちが十人ほど横に並び、それぞれが自分の作った紙製の買い物かごや野菜を手にしている。
 その中に五歳の自分もいて、自作の買い物かごを顔の高さまで掲げている。そこには貼り絵が施されており、どうやらそれを見せたいようだ。
 右半分に顔、左半分に木。その二つが同じくらいの大きさで並んでいる。
 顔には輪郭がなく、黒く丸い目、弓なりの眉と口が浮かんでいて、穏やかに微笑んでいるように見える。
 左側の木は、葉も実も付いていない枯れ木のような姿で、幹からは左右に一本ずつ枝が伸び、それぞれの先端が二股に分かれている。
 その絵が、妙に心をくすぐったのである。

 その頃の私は、幼稚園と言う場に馴染めず、笑っていることなど滅多に無かった。
 だが、写真の中の自分は明るい表情を浮かべている。
 何か言いたげに見えるが、何を言いたいのかはわからない。見ているのは、間違いなく当の本人なのに…。
 直接問いただしたい気持ちになったが、写真の中の自分は、じっとしたまま、何も語らない。
 しばらく眺めては、何も思い出せないままアルバムを閉じる。数日後、何となくまた気になって、本棚から引っぱり出しては開く。そんなことを繰り返しているうちに、はたと気付いた。

 この絵は、十八歳のときに書いた歌とイメージが重なっている。

  枝のうえに 闇が積み重なって
  揺れ動く 揺れ動く 静かに
  忘れられた 昔の歌の残骸が
  空の高みから 渦巻き 降り注ぐ

  微笑の木 微笑の実がなって
  笑い出す 笑い出す ふわふわ
  立ち止まるあなたは 私の声を聞く
  姿無くした 私の歌声を

  壁の中 呼びかける
  子どもたち 遠ざかる

  海の底に あなたが立っていても
  愛の歌は 空の果てから 響く

  壁の中 呼びかける
  子どもたち 遠ざかる

  微笑の木 微笑の実がなって

 タイトルは『微笑みの木』。枯死した一本の木に思いを馳せて書いたものだ。
 姿を消した木の精霊が、今なおその場に漂っているという雰囲気を醸し出したかった。
 そこには「木」「微笑み」「子どもたち」と、まるで写真の貼り絵を見て書いたかのような言葉が並んでいるが、この歌を書いた時は、貼り絵のことなど気付いていなかった。
 単なる偶然だろうか…。いや、たぶんそうじゃない。
 抽象的な世界を描こうとした結果、心の奥に眠っていた「幼き日に感じていた何か」が、反映されたのではないか…。そう思えてならなかった。
 長い年月を経て、記憶の底に沈みこんでしまったその思いを、意識の表層まで手繰り寄せてみたい。そんな衝動に駆られた。
   **  **
 四歳からの二年間、鹿児島市薬師師町にある『さみどり幼稚園』に通った。常盤町にあった自宅から約一キロの距離があり、子どもの足で三十分ほどかかった。途中に、小学校、警察学校、さらに他の幼稚園などがあり、遠いという印象があったが、その当時は、クルマの量も少なく、専用の送迎車なども存在せず、子どもだけで歩いて通うのが普通だった。
 途中一か所だけ、バスや車の通る幅の広い道を渡らなければならなかった。その道が「城西通り」という名であることは、まだその頃は知らなかった。
 この道を渡るときは、「右、左、右」と教わった通りにキョロキョロと安全を確かめて、「それっ」とばかりに全力で走った。
 タッタッタッという足音と同時に、箸箱の中の箸がカチャカチャと音をたてた。 どういうわけか、その音が今でも耳に残っている。

 年中組のことを「ちいさいぐみ」、年長組のことを「おおきいぐみ」、さらにその下の年少組のことは「あかちゃんぐみ」と呼んでいた。
 私が入園したのは、四歳のときで、クラスは梅組だった。我が家の庭先に梅の木が立っていたので、何か宿命的なことのように感じた。
 そして、幼稚園で、繰り返し「うめぐみさん」と呼ばれているうちに、その梅の木への愛着も強くなっていった。

 幼稚園の友だちの顔を何人か覚えている。
 一番目立ったのは、悪ガキ「ジュンちゃん」。
 体が小さく、「サシスセソ」を「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」と幼児発音してしまう癖が残っていたが、すばしっこくて気の強い暴れん坊で、天然パーマがトレードマークのガキ大将。いつも何人かの子分を従えて走り回っていた。
 先生の言うことを聞かない。
 弱い子を苛める。
 いたずらはするし物品は壊す。
 もうやりたい放題だった。

 そんなジュンちゃんも、体が大きくて力の強い「ひで坊」だけには手を出さなかった。ひで坊は、静かな落ち着いた男の子だったが、見るからに力が強そうで、どっしりとした存在感があった。
 かくれんぼで鬼になると、こぶしを双眼鏡のように両目に当てて、逃げる子供たちの方を見ていた「けんちゃん」。
 「手はしっかり閉じてるから、向こう側は見えないよ」
 なんて言ってたけど、それなら何故いつもみんなの逃げる方向をきちんと向いていたのだろう?
 また、この子は、クリスマス会にやってきたサンタクロースのおじいさんが乗って来たソリとトナカイを見たという、たった一人の幸運児でもあった。
 くるくるっと丸い目を輝かせて、いつも夢のよう体験話を自慢げに披露していた。
 年長組に進級するときに編入してきた女の子がいた。名前は憶えていないが、おかっぱ頭の髪がつやつやと光っていて、サッと振り向くたびにサラサラと揺れるのが印象的だった。
 他の組に、憧れの女の子がいた。憧れた理由はえらく単純。その子が太っていたから。
 いろはカルタの中に「人参嫌いのやせっぽち」という一枚もあって、太っていることは良いことだと、幼稚園で繰り返し言われていた。母親からも、お風呂に入る前などに、
「ひょろひょろじゃないの! もっと太りなさい!」
 なんて、繰り返し言われていた。
 母にしてみれば、何気なく口にしたひと言だったかもしれないが、言われる側は確実に傷ついていた。
 当時の写真を今見ると、別段痩せているようにも見えない。我が子に対する少々過剰気味の期待が、母をしてそう言わしめたのだろう。まわりの子どもと同じようなごく普通の体格なのに、自分はヒョロヒョロでフニャフニャの情けない奴だと思い込み、
「このままではいけない…、このままではいけない…」
 と、いつも思っていた。
 そんなわけで、太ることに対して憧れを抱き、その理想を実現させ太っている子がうらやましくて、そのまま「あの子が好き」となってしまった。
 だから「好き」とは言っても、初恋などとは程遠く、「青い色が好き」「飛行機が好き」「サンタクロースが好き」なのと同じように「あの太った子が好き」なのだった。
 こうしてすぐに思い出せるような個性的な子が、他にも何人もいた。
 それで、自分はどうだったのかと言えば…。
 多くの子どもたちの中に、自分がいること自体に違和感があり、皆の楽しそうな姿をただ見ているだけということが多かった。

 好きでなかったことの筆頭格は、歌の時間。
 回りの子どもたちの、音程の外れまくった喚き声が神経を逆撫でし、その場に立っているのも嫌だった。
 声を合わせての帰りの挨拶も変だと思った。
 「先生さようなら! みなさんさようなら!」
 無理に大声なんか出したくなかったし、そこに加えて「さようなら」のイントネーションがへんちくりん。二番目の「よ」が高くて、「う・な」と下がってゆき、最後の「ら」だけがことさら強調され、再び高くなる。
 こんな変な言い方、聞いたこともない。
 乱暴に発せられる子どもたちの声が不快でたまらず、今でもそれが耳にこびりついている。
 お遊戯の時間も嫌だった。
 手を上げたり回したり、その場で一回転したり、意味の無い動作を次から次へと強いられる。ただただ気恥ずかしいだけで、そんなことをやらされている自分が何とも情けなかった。
 お遊戯のときに歌う歌にこんな一節があった。
 ― はじめに立って おじぎして それからぐるぐるまわります ―
 この謎めいたフレーズが気持ち悪くて、この部分に差し掛かると、いつも嫌な気分になった。

 外での遊びも、面白いとは思えなかった。特に鬼ごっこなんかは最悪。逃げ回ることも、鬼になって追いかけることも、なんでそんなことをしなきゃならないのか、訳がわからなかった。
 仲間はずれにされたくないという一心で、群れの中心からは少し離れ、できるだけ目立たないように皆と同じように動く。なんとも中途半端なジレンマを抱えながら、その退屈な遊びが終わるのを待っていた。
 それに比べると、かくれんぼは嫌いじゃなかった。ちょっと好きだったと言えるかもしれない。
 動き続けなきゃならないしんどさが無かったし、鬼が目をつぶっている間に隠れる場所を考えるのは、まんざらでもなかった。
 繰り返し遊んでいるうちに、自分だけの秘密のかくれ場を見つけた。園舎の裏の床下に潜んでいると、誰もそこまでは探しに来ない。静かな暗闇の中で、ただ一人、絶対的安全が保障される。
 だが、その場でただじっとしているだけじゃあ、面白くも何ともない。砂遊びをしたり小石を広い集めたりしているうちに、すっかり自分だけの世界に入り込んでしまう。夢中になり過ぎて、遊び時間終了を告げるシグナル音を、うっかり聞き逃したことがあった。
 床下から出て行くと、静まり返った「お庭」に人っ子一人見当たらない。自分だけがポツンと取り残され、気まずい気持ちで皆がいる部屋にとぼとぼと入って行かなければならなかった。

 鏡に映る自分の顔は、周りの子供たちの笑顔とは違って、くすんで見えた。
 同じ場に立っているのに、自分だけが少し奥まったところにいて、そこからみんなの様子を眺めている。頭という丸い器の中に閉じ込められた自分が、二つの目を通して外側の世界を覗き見ている。すると、目の前に突き出てた鼻の先が、視界の一部を遮る。それが目障りに感じることもあった。
 ― できるものなら自分の体から抜け出して、広々とした空間を自由に飛び回りたい ―
 そんな願望がいつもくすぶっていた。

 幼稚園での時間を終えたあと、一緒に帰っていた三人が、こうじちゃん、まさとしちゃん、けいちゃん。
 道すがらの遊びで代表的なのが「グリコ、パイナップル、ち・よ・こ・れ・い・と」。ジャンケンして勝った子だけが前に進めるっていう、たぶんその頃子どもだった人なら誰にとってもお馴染みのもの。
 電柱が立っているそばでジャンケンし、負けた子が次の電柱まで皆の荷物を持つっていうヤツもよくやった。
 そういった定番の遊び以外に、「ふしぎな少年ごっこ」っていうのがあった。
子どもたちに人気のあったテレビドラマ『ふしぎな少年』の真似っこである。
 主人公の“さぶたん”が、体の前でクロスさせた両手を左右に広げながら「時間よー、とまれ!」と唱えると、時間が止まり、全ての物体、全ての人々が静止する。そして、「時間よ動け!」と唱えると再び動き始める。そんな設定になっていた。
 これを真似て、じゃんけんで勝った一人が“さぶたん役”になり、「時間よとまれ」と叫ぶ。すると、他の子どもたちはピタリと止まり、「時間よ動け」と言われるまで待つという単純な遊び。
 これがいつの間にか「〇〇ちゃんと▢▢ちゃんだけとまれ」に変わり、仕舞には「△△ちゃんだけとまれ」となる。その最後の一人になるのが、いつも自分だった。
 遠方へと走り去る小さな三つの後ろ姿。ちょくちょくこちらを振り返り監視の目を向けながら、砂ぼこりを巻き上げながら遠ざかって行く。
 勝手に動き出そうものなら、たちまち戻って来て激しく罵られる。
 姿が完全に見えなくなるまで、ひとり遠く離れてただじっと見送らなきゃならなかった。

 さらに、もっと酷いイジメを仕掛けてきたのが、お調子者の「まさとしくん」。
 四人の中で一番家が遠かったのが自分で、その次がこのまさとしくんだったので、いつも最後には二人だけになる。別れの挨拶代わりの一撃が強烈だった。
 帽子を奪い取って力いっぱい放り投げる。
 上っ張りのボタンを引きちぎる。
 僕がさしている傘に穴をあける。
 手に持っているモノを奪い取ってどぶに落とす。
 さらには「おおきい組」の子に、
 「こいつをイジメると面白い」
 と、いらぬ誘いをかけ、何の関わりもないその子にまで腹部に膝蹴りを入れられる始末。
 後になって母から聞いた話によると、自分では覚えていないが、登園途中で心因性の腹痛を起こし、引き返してくることがあったらしい。
 そう言われて思い出したのだが、ある一時期、母がどんぶりに入れたおじやを、零れないように手で持って、昼食時間の前に幼稚園まで届けてくれたことがあった。当時は、なぜわざわざそんな手間をかけてくれたのか考えることもなかったが、息子のお腹の調子を心配してのことだったのだろう。
 そんな周囲の子どもたちとの関わりより、粘土をこねたり紙工作をしたり絵を描いたりと、独り遊びに取り組んでいる時のほうが、心地良かった。
 ひとりでいる時…、そう考えたとき、一本の梅の木が浮かんでくる。
 …などと言うと、唐突すぎて、何の意味やら分からないかも知れない。そのことについて、少しゆっくり話してみたい。

 我が家の庭先に梅の木が立っていた。年中組の配属が梅組だったことで、そこに何か運命的な繋がりがあるのだと思い込み、梅組と梅の木、そして「うめぐみさんの自分」。この三つを混然一体としたものとして捉えるようになった。
 梅の木から少し離れた場所に、他に何本か木が並んで立っていたが、その梅の木がもっとも低く、木登りしやすい親しみを感じながらも、枝が折れやすい弱々しさも感じていた。
 他の木から離れ、一本だけぽつんと立っている梅の木。その姿が幼稚園での自分と重なって見えた。
 寂しげに見えた梅の木も、春が近づくときれいな花を咲かせた。そばに寄って、立ち止まったまま見とれることもあった。
 花が散ってやがて実をつけると、大人たちはそれを集めて大きな瓶に詰めて梅酒を作った。その中の一個をもらって噛り付くのが好きだった。
 夏が過ぎ、実も葉も落ちてしまうと、梅の木は再び寂しげな姿を晒した。
 枯れてしまったのだと思い、母親にそのことを話すと、枯れてはいないのだと言われた。
 すぐには信じられなかった。
 ところが、冬の寒さの中で新たな芽吹きが始まり、それは次第に膨らみ、つぼみとなって、やがて見事に花開いた。

 ― お母さんが言ったとおりだ。枯れてなかったんだ!―

 一人外に立ち、冬を越し生きていた梅の木の強さにたくましさを感じ、誇らしく思った。
 ある時、その梅の木に小さな木の塊が下がっているのに気付いた。何が入っているのかと中を見てみると、虫が入っていたのには驚いた。

 ― 虫って木から生まれるんだ! ―

 それがミノムシだということは、そのすぐ後に知った。
 その後、こんなこともあった。幹に絡みついていた蔓の先っぽに、鞘豆を小さくしたような実が付いていて、それを手に取って中を開けてみると、ミノムシとは違う細っこい虫が入っていた。
 このときも驚いた。
 実の中から虫が生まれたのかと思った。

 ― 花や実、そして虫までも生み出す木 ―

 そんな不思議なイメージができあがった。

 幼稚園でのお絵描きの時間に、「木を描きましょう」というお題目を与えられたことがあった。
 配られた画用紙の上にクレヨンで、まず最初に一本の太い幹を描き、そこから左右に伸びる枝を描き込んで行った。
 そうして出来あがった絵は、木には見えなかった。木というよりはまるで電柱だった。
 家に帰ってから母にその絵を見せながら不満をもらすと、こんな答えが返ってきた。

 「木って、こんなにまっすぐ生えてる? 枝だってこんなに真横にまっすぐ伸びてないと思うよ。外に行って木をよく見てごらん」

 そして見に行ったのが、慣れ親しんだ梅の木だった。

 梅の木の正面に立ち、空のまぶしさを背景に梅の木を見上げた。
 その複雑さ、絢爛豪華な美しさに圧倒された。
 それを全部描きることは到底無理だ。
 でも、基本的な特徴だけはとらえた。
 母に言われたとおり、幹はまっすぐに立ってなんかいない。斜めに傾き、枝もそこから真横に伸びているわけじゃない。その枝も、さらに途中からあちらこちらへと枝分かれしている。
 得られた知識をもとに、幹を描き枝を描き込んでゆくと、それは電柱ではなく確かに木に見えた。
 描けた嬉しさから、その「木に見える木の絵」を何度も繰り返し描いた。
 写真の中の貼り絵も、そういった中の一枚だったのだ。
 巡りゆく季節の中で様々な表情を見せる梅の木。その木に対する特別な思いが膨らんでいた。

 「お絵かき」の時間に、
 「怒った顔を描きましょう」「笑った顔を描きましょう」というお題目が出されたことがあった。
 怒った顔はすぐに描けた。
 眉を吊り上げ、口を「へ」の字に曲げて描けば出来上がった。
 さて、次は笑った顔だ。
 「起こった顔の逆だ」と考え、眉尻を下げ、口を逆「へ」の字に曲げてみた。これで笑った顔になるはずだ。
 ところが、出来あがった絵は、とても笑っているようには見えなかった。
何とも情けない顔に見えた。鏡に映った自分の顔が思い浮かんだ。
 周りの子たちも、その絵を見て笑った。
 ― 自分が笑えないから、笑った顔が描けないんだ ―
 心がそのまま絵に表れたのだと思い込み、要らぬ劣等感にさいなまれた。
 しょうがないので、周りの子が描いた絵を観察して、眉の形や口の形を変え、そしてようやく笑った顔が描けた。
 ― 自分の心が汚れているから描けなかったわけじゃないんだ!―
 気持ちが晴れた。真っ暗なトンネルから、明るい光の中に抜け出したような気分だった。
 ― 木の絵が描けた。笑った顔も描けるようになった。 ―
 その成果を、こちらに向けて掲げていたのが、例の写真だったのだ。その晴れやかな気分が、顔に表れていたというわけだ。

 謎は解けた。

 と思っていたのだが…、
 ひょんなことから、さらに新たな記憶が揺り起こされることになる。
 高校三年の時、同じ幼稚園出身の同級生と、幼稚園を訪ねたときのことである。
 年長組のときの受け持ちだった鈴木先生が、主任先生として在籍しておられ、昔のことを懐かしみながら、あれこれと話してくださった。暴れん坊のジュンちゃんがヒデ坊だけには手を出さなかったという話などは、この時初めて知った。
 当時の私自身については、アデノイドの切除手術を受けた時のことを話してくれた。手術を受けたときの苦しさが強烈に残り、あとのことは何も覚えていなかったのだが、先生は、その後の様子について、笑顔を浮かべながら話してくださった。
 「手術した後、きれいな声が出るようになって、皆の前で歌ってもらったんだけど、そのときあなたは、みんなに拍手されて嬉しそうにしてた。それを境に、見違えるように明るくなったのよ」
 そう言われても、自分では思い出せず、実感が湧かなかった。思い出したかったが、いくら首をひねってみても、何も思い出せなかった。
 直接的な記憶は戻ってこなかったが、その後しばらくして、先生のその言葉を「裏付けるような記憶」がいくつか残っていることに気づいた。

 土砂降りの雨が降っていたときのことだ。雨の中、部屋の中からわざと外に飛び出し、庭中を走り回る数人の悪ガキグループがいた。あの“ちびっこギャング”ジュンちゃん一派だ。それを見たおませな女の子二、三人が大声で止めにかかる。
 「先生に言うからね」
 ところが、奴らにとっては、悪目立ちするのことこそが目的だ。そんな声を聞くわけがない。その結果、先生たちが呼び出され、大声で叱責されることになる。
 しかし、彼らは、それでもちっとも困らない。観客が増えて、先生の注目までを浴びていることが、嬉しくてしょうがない。目立ちたい彼らにとっては願ったり叶ったりなのである。
 ニヤニヤ笑いながら「あかんべえポーズ」で挑発し、ずぶ濡れになって、絶好調ではしゃぎ回る。
 先生たちも、こうなったらもう実力行使に出るしかない。レインコートを着込み、意を決して雨の中に繰り出し、イタズラ坊主たちを追い掛け回す。
 困ったことに、悪ガキたちにとっては、それがまたたまらない。ここぞとばかり、大喜びではしゃぎ回る。
 それでも、やはり大人の体力には敵わず、ひとりまたひとりと取っ捕まり、最後には全員が、怖い怖い主任先生の部屋にしょっ引かれ、そして、こっぴどく叱らることになる。
 主任の古元先生は、子どもにとって「怖いおばさん」だった。
 色白で顎の張った三白眼。
 肉付きの良い堂々とした体格。
 話し方もドライできつい。子供相手の甘ったるい感じは一切なく、笑顔を見せることも殆どない。その容姿とともに「ふるもとせんせい」という名前の響きにまで、畏敬の念を覚えていた。
 その先生からたっぷりと絞られる。
 ふざけた態度を見せようものなら、さらに厳しく責め立てられる。
 「ふるもとせんせい」は、「怖い主任先生」なのだ。
 手綱を緩めるわけにはいかない。
 その結果、最後には悪ガキどももすっかりしおらしくなり、仕舞にはとうとう涙を流すことになる。ただひとりジュンちゃんだけを除いて…。
 そんな悪ガキどもも、主任室から戻って来ると、“今泣いたカラスがもう笑う”状態。得意満面の英雄気分で、主任室の中の様子を吹聴していた。悪さ慣れしている彼らにとって、場面ごとに態度をコロコロ変えることぐらいお手のものだ。さらには、そんな彼らを憧れに近い気持ちで取り囲み、興味津々で耳を傾ける輩もいる。その最後列が自分の立ち位置だった。
 ある日ある時、その「見ているだけの立場」から思い切って飛び出し、この「暴れ回る集団」に混ざって、ずぶ濡れになって走り回ったことがあった。
 最後にお決まりのコースをたどることは先刻承知だ。主任室に送られることは最初からわかっている。
 それすらも叶えたい願望一つであり、噂に聞いていたその部屋を直接自分の目で見てみたかった。
 今まで遠くから見ているだけだったその集団に、自分が加わっている。そのことが嬉しくてしょうがない。心の殻がはじけ飛び、雨水を跳ね散らかし、皆の注目を浴びて、先生たちから逃げ回る快感に酔いしれていた。

 ― そうか、鬼ごっこって、退屈だと思ってたけど、
   こんなふうにすれば、めっちゃ楽しい! ―

 意を決して飛び出し、その結果学んだのであった。

 かつて自分を苛めたまさとし君から、こんなことを言われた。
 「今度オルガンを教えてくれよ」
 悪い気はしなかった。
 自分をおもちゃにしていた奴が、音楽教室に通っていた自分をうらやましがるそぶりを見せるなんて、少し前までは考えられないことだった。

 これらの出来事は、「遠い昔の記憶の断片」として、心の片すみに無造作に転がっていたのだが、幼稚園の先生のひと言で、それらすべてが結びついた。
 もし、あの時先生が、前に出て歌わせてくれなかったら、何も起こっていなかったかもしれない。それまでと変わらず、周りの子どもにイジメられ続けていたかもしれない。
 大人のちょっとした配慮が、一人の幼児にとっては、「ちょっとした」どころではなく、大きな転機につながることもあるのだ。
 そう考えてみると、今になって、鈴木先生に対する感謝の念が沸々と湧き上がり、胸が熱くなる。
 小学校に進学すると、幼稚園とは全く違う世界が待っていた。入学して間もない頃、こんなことがあった。
 授業中、先生の質問に答えようと立ち上がったとき、最前列だった私は、椅子を後ろに引かずに、そのまま立ち上がり、勉強机を前に倒してしまった。
 ― まずい! ―
 ドジを踏んだことに対して、当然一斉に笑いが起こるだろうと思った。でも笑いは起こらず静かなままだった。
 そして、誰かがポツリとつぶやいた。
 「力持ちだがぁ」
 意外な言葉だった。
 自分のドジをあざけるどころか、勢いに圧されている感じだ。
 この瞬間に気付いた。
 ― そうか! 教室のみんなは、幼稚園で僕がイジメられていたことを知らないんだ ―
 この時を境に、楽に自己主張できるようになった。
 幼年期から遠ざかるにつれ、木を擬人化して自分の分身のように捉える傾向も薄れて行った。絵の題材として木を好む傾向はあったが、それは単に絵の題材としての興味であり、幹の質感や形状、色合いなどをよりリアルに描き出すことに集中していた。
 木を捉える視線は、そんな具合に時とともに変化して行った。

 異変が起きたのは六年生の時だった。
 それまで当たり前のように花を咲かせていた梅の木が、その年は、春が近づいても芽吹くことがなかった。
 枯れてしまったのか…。
 そうは思いたくなかった。
 今年は開花のためのコンディションが整わなかっただけなのではないか…。枯れたように見えても必ず復活し花を咲かせる“永遠の生命を持つ木”、自分が知っているの梅の木はそういう木だ。
 様々な場面が脳裏に浮かんだ。
 そんなある日、学校から帰ってみると、何者かによって梅の木は無残にも切り倒され、切り株だけが残されていた。

 ― 一体誰がこんなことを ―

 目にした途端、怒りが込み上げてきた。
 それは自分でも予期していなかった激しいものだった。
 様々な思い出が胸を去来し、行き場のない怒りが、あてどもなくさ迷った。

 この時生じた喪失感は、長きに亙って消えることがなかった。
 梅の木の姿を思いながら歌を書いたのは、梅の木が枯死してから七年が経過してからのことだった。

   『微笑みの木』

  枝のうえに 闇が積み重なって
  揺れ動く 揺れ動く 静かに
  忘れられた 昔の歌の残骸が
  空の高みから 渦巻き 降り注ぐ

  微笑の木 微笑の実がなって
  笑い出す 笑い出す ふわふわ
  立ち止まるあなたは 私の声を聞く
  姿無くした 私の歌声を

  壁の中 呼びかける
  子どもたち 遠ざかる

  海の底に あなたが立っていても
  愛の歌は 空の果てから 響く 

  壁の中 呼びかける
  子どもたち 遠ざかる

  微笑の木 微笑の実がなって
 
 怒りと悲しみの中で姿を消した梅の木。枯れた木に対する様々な思いが、混沌として整理されないまま、漂うように書き連ねられた言葉たち。

 この歌を書いた時、僕は高校を卒業し、音大を目指してレッスンを重ねていた。
 「立ち止まるあなた」とは、枯れてしまった梅の木であると同時に、歌を書いた時の自分自身でもあった。
 そしてまた、幼稚園で、周囲から置き去りにされた自分でもある。

 ― 微笑みの木 微笑みの実がなって
   笑い出す 笑い出す ふわふわ ―

 この二行がなぜ生み出されたのか、その根底に潜んでいるのが何なのか、自分でもよく分かっていなかったが、以前とは違って見えてきた。

 木と微笑み…。
 一見枯れているように見えるが、やがて花を咲かせ、実をつける生きた木。そして、笑っている自分…。

 歌が後半に差しかかると、突然このような歌詞が聞こえてくる。

  ― 壁の中 呼びかける
    子どもたち 遠ざかる ―

 この部分からは、具体的な情景が浮かび上がってくる。
「壁の中」とは、外壁に取り囲まれた幼稚園のことだろう。
 「こどもたち 遠ざかる」
 これはもう言わずもがなである。
 この部分を書いたときは、何か意図的な狙いがあったというわけではなく、梅の木を思う時に、自然にこの状況が思い浮かんだのである。

 歌はクライマックスを迎える。
 ― 海の底に あなたが立っていても
   愛の歌は 空の果てから 響く ―
 孤独と、そこからの開放。
 幼稚園での体験そのままだ。

 幼稚園時代の「木と笑顔が並んだ貼り絵」と、十八歳のとき書いた自作の歌『微笑みの木』。
 この二つは、一つの卵から生まれた双子のような作品だ。

 私は、ここまで「梅の木」と「幼少期の自分」について書いてきた。
 それですべてだと思っていた。
 だが、話を書き終えようとしている今、初めて気が付いたことがある。
 その背後に、母の姿が見えてきたのだ。
 梅の木と向き合えたのは、母の言葉があったからだ。
 幼稚園で傷つけられた自分を見守ってくれていたのも母だった。
 今になってようやく、そのことに気付いた。

 ― 微笑みの木 微笑みの実がなって… ―

 再生への願いを込めて、歌は完全終止せず、余韻を漂わせたまま終わる。

 

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