酸性夕立リングピロー #せりふ三題噺
人気のない、海の見晴らしが良い場所。僕は今日、ここに彼女を連れてきてプロポーズをする。ポケットの中には正方形のケース。リングピローに包まれた結婚指輪が入っている。
彼女は、僕の告白を何度も断った上で、一途な想いに根負けをして付き合ってくれている。今日に至るまで、僕からの好きを受け止めるだけで、彼女は僕に対して特別な感情を持っているか分からない。もしかしたら、次の彼氏ができるまでの暇潰しなのかもしれない。だけど、隣に一緒にいるだけで嬉しいし、彼女への想いは変わっていなかった。
バタン。車のドアが閉まる音がした。助手席から降りてきた彼女が、こっちに向かっている。
ドクンドクンドクン。彼女が一歩ずつ近づくたびに、鼓動が早くなる。今から彼女にプロポーズをする現実を受け止めつつ、冷酷な表情の彼女を見て、僕の想いをそのまま受け取ってもらえるか不安になってきてしまった。
ポケットの中に手を入れて、ケースを強く握りしめた。俯きながら、大丈夫と言い聞かせる。何度も、何度も、言い聞かせる。
「いつまで待たせるの?」
そういえば、何も言わずに出て行っちゃったな。
「ごめん。いきなり、飛び出しちゃって」
頭が回らない。彼女を待たせちゃったし、今から告白するつもりだし、心臓の音がうるさい。もう訳が分からなくなった。ポケットから手を出して、このストレスを海に投げ込んだ。高校生活では野球部に入っていて、投球フォームを練習して、周りから形だけは一級品と言われるほど。考えをリセットするときは、これに限る。
「海に何投げたの?」
彼女の質問に振り向かず、海の方向を見た。放物線を描いている赤い正方形。僕のポケットに入れていた結婚指輪のケースがない。
やってしまった。私は我に返って、慌てて海の中に飛び込んだ。
「ちょっと!」
…ぷはっ。水中から、顔を出せた。
穏やかな波に身を任せながら、周りを見渡す。赤くて小さい浮遊物が見えた。ぎこちない泳ぎ方で、少しずつ近づいていく。幸い、強い波が来ることはなく、ケースを回収することができた。
さて、どうやって戻ろうか。このまま波に押されながら、ゆっくり戻れればいいかな。はぁ、僕はなんてことをしてしまったんだ。
プロポーズは未実施のまま。自分自身を信用できずに指輪を投げてしまう男なんて嫌いになる要素しかない。このまま泡になって消えたくなった。いっそのこと、酸性液ならよかったのに。
海の色はオレンジ色に染まり、身体の力が抜けている気がした。目に映る空は雲一つないのに、急に豪雨が降ってきた。情けの夕立が、僕の顔を濡らしている。
***
はっ。夢だったのか。散々な悪夢だったな。でも、なんで夜空の下で寝ているんだ?
「ねえ?大丈夫?」
彼女が僕の顔を覗いている。波に揺られている間に、眠ってしまったのか。にしても、心配してくれているこの顔は初めて見たな。申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、その顔がとても愛おしい。
「ごめんね。色々と」
彼女は笑いながら話す。
「もしかしてプロポーズをするつもりだったの?」
片手には、正方形の形をしたシルエットが見えた。
「そうだよ。頭がいっぱいになって、間違えて投げちゃった」
「バカなの」
彼女は、ケースを開けて指先でつんつんし始めた。
「わ!ふっかふか!」驚いたトーンでとっさに声が出ている。
「密閉性はすごいね。きっと傷ついてないよ」
「ならよかった」
「このまま寝てたら風邪ひくよ。帰ろ」
「あ、え?…うん」
起き上がると、水分を含んだ服の重さを感じる。合わせて、プロポーズ計画が全て水に流されてしまった心の重さも感じる。
「プロポーズさ、次のデートでやり直してよね」
彼女からの急な提案に驚きを隠せない。
「え?それって」
「ちゃんと君の口から聞きたいの。あと、今はそんな調子じゃないし」
周りに明かりがない。だから、彼女の顔が見えないのが残念だった。その言葉の中に、初めて聞く感情が含まれていたから。
次のプロポーズでその顔が見られるように、きっちり練習しておこう。
参加させていただきました。
全て酸性で溶かそうと思いましたが、比喩に留めておきました。
酸で泡立ち、人魚が愛されなかった時と同じように消える物語も書けたらよかったです。
