新宿梁山泊「愛の乞食/アリババ」 と私(感想)
新宿梁山泊 第79回公演 「愛の乞食/アリババ」
全公演無事の開幕、そして大千秋楽を迎えられたこと、おめでとうございました🎈
記憶力が無いのもあって内容の考察とかは出来ないので、演劇好きだよ〜っていう自分と安田さんのファンだよ〜っていう自分から湧き出た気持ちとかを記録したい。
まずはお誘いいただいたフォロワー、本当にありがとうございました(泣)これだけは本当に(泣)
テントでの観劇はこれまで紅テントの桟敷で2回程度あったので、紅と紫で座席の作り方が違うんだなぁとか体感的に規模もすこしちがうのかな?とか、雰囲気の違いを味わいながら花園神社を楽しみました。
御朱印集めしていないのに切り絵の御朱印が可愛くて買ったよん。
あと、団員の方々がとってもよく喋ってくれる。
当たり前だけど声がよく通るから地声でもが聞き取りやすいし、気温のことも場所柄落とし物のことも色々ずーっとアナウンスしてくれた。
グッズのことや観劇スタイルのことも「初めて観に来る人の不安をどうすれば少なく出来るか、トラブルなく来てもらえるか」をとっても考えてくれてるなぁって今回の公演が発表されてからずっと思っていた。
ありがとうございました本当に。
戯曲もろもろチェック出来なかったので、ざっくりあらすじだけ頭に入れて観た。
初めてテント公演を6月のこの時期に観たんだけど、唐作品独特の台詞と量・スピードは凄まじいのに寂しさを湿度たっぷりに詰め込んでいるの、このじっとりした時期ととっても合ってるなと思った。
前回の安田さんが主演の「少女都市からの呼び声」が8月ど真ん中だったのもあれはあれでよかったよねぇラストシーンとか特に。
唐十郎作品には「見えなくさせられがちな存在」とか「愛の責任」とかを書くみたいな志を私は感じるんだけど(観た作品によると思う)愛の乞食/アリババも、いたはずの子の存在や声、保護者の責任、愛の奥に見られる本当に自分が求める人とか、あるのに見えない重いものが多かったな。
あとこれは観てすぐにも呟いたけど、私がこれまで観た唐十郎作品では、生まれなかった命に対する"責任"を問う対象が身体的女性にのみ向けられている感覚になって、まぁまずそれに責任を問うような流れがなんかな…とか書かれた当時の感覚の表現だろうし…とかを思いながらそのあたりが苦手だったんだけど、「アリババ」はその責任が向けられる対象が女性以外にも散らばっているように見えた。
私が観たことがある作品以外ではもっと表現されているのかもしれないし、あれが戯曲そのままなのかどうかは分からないけど、「アリババ」のラストあたりで「いやそりゃせやろ!あんたもというかあんたがアカンで!!」って初めて肩を組めたような気になった。
これは私の感覚とかポリシーみたいなものが大きく影響してる感想だろうな…
命の誕生・責任っていう点で男女の話をしてしまったけど、「アリババ」と「少女都市からの呼び声」には分かりやすく堕胎児の役があって、あと「少女都市からの呼び声」は田口から有沢への想いとか、今回の「愛の乞食」での人種とか家庭環境とか身体障がいとか、「透明人間」の水商売とか、冒頭に書いた「見えなくさせられがち」な人や想いや環境をすくいあげる(※not「救い」あげる)ような話を痛いくらいとことん書くのが印象的だなと思う。
あと唐十郎作品の中の「女性」って、キーとなるキャラクターは天真爛漫で好奇心旺盛で湿度が高い雰囲気なのにどこかに軽々と行ってしまいそうで、愛が故の突拍子もない判断をしがちだったり何かに固執していたり、いわゆる純粋無垢な少女を模した人物が多いように思っていて。
正直に、ダイレクトに言うと、女性器とか子宮を中心にその存在をとても美化しているというか、「女性」もとい「処女性」とか「少女性」に夢を見ているように思えるところだったり、このキャラクターを生物学的に「男性」である人が生み出した(書いた)んだっていうところに少しの嫌悪感がずっとある。
この嫌悪感は私が生物学的に「女性」だからなのか、先にあげた人間性への私の中の憧れなのか、ロマンチックなそんなもんいるわけないっていう感覚なのか、時代や個人による感覚の差なのか、よく分からない。
この嫌悪感というか違和感は今回の公演を観てもあまり変わらなかったな。
多分ずっと分からないし変わらないしざらざらが残るんだと思う。
そしてこの嫌悪感は絶対悪でも何かを改めなきゃいけないものでもない、とも思う。
きっと唐十郎はロマンチストで、だからこそ現実のことがよく見えて、物語にも痛くなるくらいのリアルを混ぜているのかもなぁとか。知らんけど…(臆病)
でもなんか良い悪いは別でこれだけロマンチシズムで物語や感情や夢を堂々と書ける唐十郎なら、誰かに言ったらと笑われそうな夢物語も愛の気持ちも、妬みも願望も死生観とかも、馬鹿にせず聞いてくれそう。これも知らんけど。
こういう命の話とか愛情、家庭環境、生活の話、それぞれの孤独とか生きづらさがゆえに持ってしまった感情・考え、それによる行動とか分かりやすく表現されていた戦争の匂いとか唐十郎のルーツのひとつであろう満州の表現とさっきまでスタッフ業務をしていた人が役者として板の上に立っている姿を観て、世界は簡単には変わらなくて、でも変わる時は一瞬で、日常や世間があってこそ非日常(演劇)を意識できる・味わうことが出来るのかなと思った。
「さっきまでスタッフ業務をしていた人が役者として板の上に立つ」のを公演中も意識したのは私や役者さんがお芝居に集中出来てないとかではなくて、先にあげた戯曲にちりばめられたリアルさとやっぱり「テント」っていうスタイルかなぁ。
自分が楽しんでいる非日常は誰かの職業で労働で物作りで文化で、区切られているだけで一歩出れば変わらない日常で、見ている物語はノンフィクションから吸い上げたフィクションなんだよなって体感できる一種のアトラクションみたいな。
唐十郎作品ってなると出演者のインタビューやらなんやらで出てくる「特権的肉体論」、内容が綴られている本は手に入れていないしどういう意味?と思いながらこれまでテントを観ていたけど、憑依しているようなお芝居・役者とか当て書きとはまた違うような印象が濃くなったな。
大雑把なイメージだと、何よりも「役者」を中心とした考えなのかなぁとも思った。
何ならそれこそ「日常と演劇は地続きであること」も関係ある気がして、当て書きではないけどその人自身のパワーがあるからこそ役が喋る、みたいな。
うーんやっぱりよく分からんかも!すみません!
さっき処女性とか少女性への憧れのようなものが強くてうんぬんって言ったけど、女性キャラクターの衣装が毎回素敵でね…アリババの貧子は快活そうな色みで、こどもたちは白とかアイボリーを重ねて別世界のキャラクターのようで、愛の乞食のたぶん民族衣装?も素敵だったな。
先に書いた少しの嫌悪感は、やっぱり少女への憧れを私が持つからなのかもしれない。
あとドラマBGを観たくなったのと、モー娘。を聴きたくなりました。
分かりやすい笑いどころの緩急しゅごい。
安田さんにモー娘。を踊らせてくれてありがとうございます。
安田さんも踊ってくれてありがとう。
あとBGの話の時に先輩の名前が出て空を見上げてたけど、なんか違う気がするで。
(めちゃくちゃ元気やで)
あといつかは前の席でビニールを持たされて水にかかりたいです。
理解にまでまだまだ及ばないけれど、久しぶりのテント観劇で生命力を刺激された!
公演前も公演後もエネルギッシュに動いたり案内してくださった新宿梁山泊の皆さんが楽しそうで、演劇に携わる人達の良いお顔が観られて嬉しかったな。
その良いお顔が、雰囲気が、これからもパワーのあるものを作るんだろうなって気持ちにさせてもらった。
ここからは安田さんの話を。
何よりも、大好きな安田さんが望んだ作品の、世界の一部になっている姿を観られて本当に本当に嬉しかった!
これまで唐十郎作品がどんなもので、唐十郎という人がどんな人で出会ってどんな気持ちになったとか、いつか立ちたい・演りたい気持ちとか、開幕して毎日行って来ますの報告とか心の内をトークで教えてくれたりとか、なかなかない距離でお芝居の表情の変化を見られたりとか、定番のラストのテント崩しで安田さんきっかけで後ろの幕が開かれてテント外の海へ放たれていくのを見られたりとか、嬉しかったな。
(例を山ほどあげるくせに下の句が弱いね)
もうネタバレみたいなのオッケーと思って言うけど、「愛の乞食」で朝日生命から憲兵さんになるあの時間たまらなかった!!!!!!顔がみるみる変わるのをゾクゾクしながら見た。
血が騒ぐってこういうことか〜ってなった。
なんか、誰かの夢ややりたい!が叶う瞬間とか叶っている最中って、あとで「あの時か〜」って実感したり実はその渦中を過ごしてるのに気づいていなかったり何気ない瞬間だったりすることが多分ほとんどな中、「ああ今叶ってる最中なんだ」と思いながら観た時間は、嬉しさで満たされながらもなんだか不思議だった。
あと私が約10年前に安田さんを初めて板の上で観た作品との出会いがこのテントに繋がったんだな〜とも思いながら観ていた。
自語りごめんだけど、物心ついて自らの意思で「観劇」をしたのはそれが初めてで、それが私の日常に演劇が根付く始まりだと思ってるから、それも不思議な感覚だったな。
生き生きとあの世界で喋る姿と、崩れたテントの向こうの景色に向けて(唐十郎に向けて)目一杯手を広げて挨拶する姿に、安田さんが板の上にステージに人前に立ちたいと思う限り立ち続けられますようにって改めて思った。
何を思って立ったのか何を思うようになったのか、教えてくれる機会があったら聞きたいな〜。
もちろん秘密でもいいです。
演劇に限らず自身に関わる文化や精神や気持ちを伝え続けること、継承していくことをずっと諦めないで行動しているところを心から尊敬しています。
私が紫テントを観に行けたことを知った友達があれは何?どんなお芝居?って聞いてくれて、「観劇する」っていう継承・普及方法もあるよなぁと思えたので、これからもマイペースに興味のあるものを観続けたい。
安田さんのことを勝手に観て勝手に出会っただけだけど、改めて、演劇との出会いをくれてありがとうございます。
時間を経て、安田さんの夢が叶っている真っ最中な姿を観られて幸せです!
これからも色んな物語や歌や人や文化、色んな感情に出会う姿を、勝手に見守らせていただきます。
改めて、おめでとう&お疲れ様でした。
関西弁ver.も楽しみ!!

自分に出来ることや手に取れる範囲、受け止められる器の広さなんて限られているけど、
全ての人が差別されない・身の危険に晒されない世界になること、演劇が生き続けられること・伝え続ける役割を担っていけることを願っています。
