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DOOM METAL LABーーその泣き節を埋葬せよ

その泣き節を埋葬せよ

ブルーススケール
巷ではしばしば、それは古びた常套句の集積であり、年季の入った手癖の温床であるかのように語られる。
されど、あれは単なる懐古趣味の遺物ではない。
使いようによっては、鈍く、黒く、実に禍々しい響きを宿す。
少なくとも、ドゥームメタルの世界においてはそうである。
ヘヴィメタル自体がブルースロックを一つの起源として育ってきた以上、その血が流れていることは何ら不思議ではない。

だが、ここで一つ厄介な問題がある。
同じブルーススケールを用いているはずなのに、ある者は地を這うような邪悪なリフを生み、またある者は酒場の片隅で泣き崩れる老練ギタリストめいた、いささか既視感の強い旋律へと滑り落ちる。

違いは何か。
それは、どの音を使うか以上に、どのように鳴らし、どのように終わらせないかにある。

音の癖
ブルースが即座にブルースらしく聴こえる最大の理由は、泣きの所作にある。
ことさらに音を持ち上げ、揺らし、節回しに情念を載せる。あの半泣きのチョーキング、あの「わかりやすい溜め」は、たしかに味ではある。

だが、ドゥームの文脈に持ち込めば、しばしば響きが急に人間臭くなりすぎる。
言い換えるなら、怨念であるべきものが、愁嘆場になってしまうのである。

ドゥームに必要なのは、泣き叫ぶことではない。
むしろ、感情を封じ込めたまま、重量だけを増してゆくことだ。音が悲鳴を上げるのではなく、墓石のごとく沈黙したまま圧をかけてくる。その方が、はるかに不穏である。
ゆえに、小生はここで提案したい。
その泣き節を埋葬せよ。

三つの作法

音を上げずに濁らせる
ブルース的なチョーキングは、音を劇的に持ち上げることで感情を可視化する。
しかしドゥームでは、そこまで親切に胸中を説明せずともよい。むしろ半音の擦れ、わずかな揺れ、あるいは不完全な到達の方が効く。
きれいに泣くな。濁ったまま留まれ。

解決を急がぬ
凡庸なブルースが凡庸に聴こえるのは、着地点があまりに素直だからである。
問いを投げれば、すぐ答える。濁らせれば、すぐ戻る。それでは優等生すぎる。
ドゥームのリフは、答え合わせを先延ばしにしてこそ凄味が出る。気持ちよく終えるな。終わりそうで終わらぬ場所に、鈍く居座るべし。前回の記事で述べられているように、ドゥームではソロよりもリフそのものが主役であり、この停滞感こそが要となる。

歌わずに刻む
ブルースの語法は、基本的に「歌」である。
だがドゥームのリフは、しばしば歌というより呪文に近い。旋律として訴えかけるのではなく、同じ塊を反復し、じわじわと気圧を下げてゆく。
一音ごとの表情を弾き分けるより、同じ形を執拗に反復した方が、結果として異様な景色が立ち上がることがある。

🌑 要するに
ブルーススケールを使うこと自体は、何も古臭くない。
古臭く聴こえるのは、多くの場合、ブルースの身振りまで一緒に持ち込んでしまうからである。

ドゥームにおいて大切なのは、ブルースの語彙を借りながら、ブルースの愛想の良さを拒否することだ。
泣きのチョーキングを減らし、安易な解決を避け、反復と停滞に身を委ねる。そうすれば、同じ五音の骨格からでも、酒場の哀愁ではなく、黒々とした瘴気が立ちのぼる。
ヘヴィメタルがブルースを起源に持ちながらも、そこからより重く暗い表現へ分岐したという見方は自然であり、ドゥームはその極北にある。

最後に、少々乱暴に言い切ってしまえばこうなる。
ドゥームメタルに必要なのは、泣くギターではない。泣きたいのを堪えたまま、ただ低く唸るギターである。

ライブ情報
2026年8月30日(日曜日)
【EARTHDOM】
〒169-0072 東京都新宿区大久保2-32-3 リスボンビルB1
OPEN 18:30・START 19:00
前売 ¥2500・当日 ¥2800 (別途ドリンク代 ¥600)

小生のバンド「KABANE」の出番はトリです。
BARIBARIBIKE
Ouch
BANANA BOYS HEAVEN
KABANE

https://earthdom05.webnode.jp

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