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【企画参加】ミエハルカラオケお正月カラオケ2025/金子由香利「時は過ぎてゆく」

今年最初のミエハルカラオケ
に参加しま〜す。
チェーンナーさん、ミエハルさん、いつも素敵な企画ありがとうございます♪

私の1曲は、金子由香利さんの「時は過ぎてゆく」を選びました。

この曲を知ったのは20代の遠い昔。
仲の良かった同僚が教えてくれました。この曲を聴くととても落ち着くんです。

時間は全ての人に平等に、何をしていようと関係なくただ過ぎていく。
いつかこの世にお別れする時が100%来る事を皆知っているけれど、どこかで、それは遠い遠い先のことと思っていますよね。

今この年齢になって思うのは、
どんな生き方をしていようと 
いつかかならず訪れる「死」というものが存在することが、私にとっては怖いことというより
むしろ「救い」のような気がしているということです。
もちろんその瞬間への恐怖はありますが、「その時」を乗り越えた先には、全てのことから解き放たれ何ものにも束縛されない「真の自由」があると勝手に想像していて、
そう思うことで、気が楽になるのです。

私は30年後にはたぶんこの世にいないでしょう。今ここでご縁があった皆さんも、50年後にはいないかもしれません。

ほとんどみんな、その時にはいないって、なんだか不思議ですよね。

どんなしがらみがあっても、消したい過去があっても、
「死」が相殺してくれる、そう思うだけで私は楽になれる。

どうせ死ぬ。(どうせという言葉はあまり好きではないけれど)
だから生きている意味はない、ではなくて。
どうせ「死」は必ずやって来る。
そしたら悩みも憂いもなくなる。もちろん喜びも。
そうであれば、今、どうすることもできない苦しみを抱えていたとしても、いつか必ず解放される。
そう思うことができれば
もっと気楽に生きれる気がするのです。

母も亡くなってしまった。
父もおそらくあと数年の命。
会社関係の知人やオケの仲間も
何人もあちらへ行ってしまった。

みんな、いつかはいなくなる。

そう考えれば、
「喪失感」に優った、
人生を生き切った方々への尊敬の気持ちや労う気持ちが湧いて来ます。
「本当にお疲れ様でした。
私と関わってくれてありがとう」という気持ちです。

過去、こんな記事も書いています。


金子由香利さんの「時は過ぎてゆく」は死にゆく人を歌った歌ではないけれど、なんとなく、

こうして人はいつか死んでいくということを、憂うのではなく、それが人生であるということ。
人類の歴史の中のほんの短い時間を人生の波に翻弄されながらそれぞれに生を全うする。人生は儚いものだけれど尊い。
そんなイメージを聴くたび感じます。全ての人の一生への賛美のような歌なのかなと感じました。

こうしている間にも 時は過ぎていっていますね。
人生の有限時間がどんどん短くなっていることを、久しぶりに聴いたこの曲で思い出しました。

最後までお読み頂き
ありがとうございました❤︎

チェーンナーさん、ミエハルさん、どうぞよろしくお願い致します♡