いくつかの偶然の先┊︎睡蓮の海タレー・ブア・デーン🇹🇭
二月の終わり。
タイ。
暑すぎもせず、寒すぎもしない。
季節の境目みたいな朝だった。
睡蓮を見たからといって、
何かが変わるわけではない。
それでも吸い寄せられるように、
その湖へ向かっていた。

少しだけ遠くへ行けそうな気がする
どうしてそこへ向かうことになったのか、
自分でも不思議だった。
いくつかの出来事が、
順番をそろえるみたいに重なり、
気がつくとここへ来ていた。
タイ東北部ウドンターニーにある湖。
──タレー・ブア・デーン。
“赤い睡蓮の海”、と呼ばれている場所。

湖の朝の案内人
きっかけは、
今年のはじめに書いたバケットリスト。
死ぬまでに見ておきたい景色。
いつか訪れてみたい土地。
思いつくまま、
ただ並べてみただけのもの。
その中に、
“タレー・ブア・デーン”
という名前があった。


いつか本当に朝が来る
遊び半分だったのだけれど、
書いてしまうと不思議なもので、
現実がそちらへ寄ってくる。

夢のほうに連れていかれそう
この湖の存在を知ったのは、
一年ほど前。
祖母の葬儀の翌日、
ふらりと入った馴染みのカフェで、
なぜかその日は
入ったことのないトイレを使った。
壁には、
よくある“世界の風景カレンダー”。
一月の写真は、
湖いっぱいに広がる赤い睡蓮。
こんな美しい風景があるのか、と思った。

いなくなることの手本みたいに飛んでいく
祖母は蓮が好きで、
戒名に「蓮」という字が入っている。
なにか言われている気がして、
湖の名前をスマートフォンで撮っておいた。
タレー・ブア・デーン。
声に出すと、
どこか呪文みたいな響き。

リストに書いたときは、
かなり非現実的な気分だった。
書くだけで満足していた。
──でも先月、
ひょんなことからチェンマイを訪れることになり、
地図を見ていたら、
その湖が飛行機で一時間の場所にあると知る。

ラオスにほど近い街
いくつかの偶然と
季節のタイミングが重なり、
あれよあれよと
赤い睡蓮の海へ向かうことになる。

同じ方向を向くときがある
赤い睡蓮の見頃は
十二月から二月の上旬だという。
私が訪れたのは、
旬の少しあと。
そのせいか、
湖にはほとんど人がいない。

この花はどこまで知らないのだろう
朝モヤがまだ残る水面を、
小さなボートで進んでいく。
睡蓮のあいだを
ゆっくりすり抜けながら。

静寂が深すぎるから
湖に入って十分ほどすると、
太陽が水面を照らしはじめる。
光があるのに儚くて、
でもあまりにもきれいで、
しばらく見惚れてしまった。

景色がひとりぶんの秘密みたいに見える
わざわざ遠くまで来て、
一面の睡蓮を見たところで、
何かの役に立つわけではない。
船に浮かび、
ただ花を眺めていただけ。
だからきっとここは、
東南アジアの片田舎の湖に浮かぶ
ただの“使い道のない風景”──。

でも、まだ言葉に使い古されていない、
あまり“消費”されていない
どこか遠くの片隅。
一度しか来ていないのに、
自分の庭みたいに思えてしまう場所。

ただ蓮があって、
水があって、
朝がくる。
それでも、
しばらく独り占めしていたくなる。

こういう道がずっと長い
あのリストに書いた
赤い睡蓮の湖。
もしかしたら
一生行けなくてもいいやと思っていた場所。
でも、
書いてしまうと
景色はぐっとこちらに寄ってくる。
気がつくと、
船の上にいて、
赤い睡蓮が
びっくりするくらい咲いていて、
いくつかの偶然の先で、
思わずバカみたいに泣いてしまった。
