チャンスは、変な顔をしてやってくる
仕事とチャンスについての、僕の経験と結論
「チャンスを掴め」とよく言う。
でも、実際に経験してきた身から言うと、この言葉には大事な注釈がひとつ抜けている。
チャンスは、チャンスの顔をしてやってこない。
宝くじみたいに光って落ちているなら、誰も苦労しない。実際のチャンスは、もっと地味で、もっとひどい顔をしている。
なにしろ、僕の人生を決めたチャンスは、時給430円のバイトの「不採用」だった。
エイベックスという会社は、そこから始まっている。
雨の夜、僕だけ置いていかれた
大学生の頃、家の近くの駅ビルの地下に、20坪の貸しレコード店がオープンした。
若い頃の僕はクルマに狂っていたけど、その頃には熱の在り処が音楽に移っていた。ダンスミュージックのレコードを買い漁って、聴きまくっていた。だから開店日にその店を見に行って、すぐに思った。
品揃えがひどい。これじゃ客が来るわけがない。俺にやらせてほしい。
その場で「働かせてください」と頼んだ。
断られた。
小さな店に、人を雇う余裕なんてなかったからだ。おまけにその夜は雨で、オーナーは他のスタッフふたりを車で家まで送り、バイクで来ていた僕だけが雨の中に置いていかれた。
普通なら、二度と行かない。
僕は翌日から、毎日その店に「遊びに」行った。そして、頼まれてもいないのに、勝手に店を手伝った。
時給0円。そもそも、雇われてすらいない。
しばらくして、オーナーが帰り際にスタッフへ「藤沢に売上日本一の貸レコード店があるらしい。一度見てくるように」と話しているのを耳にした。
翌朝一番、僕が見に行った。
誰も僕には頼んでいない。でも、その日のうちに店へ戻って報告したら、オーナーの目の色が変わった。「君、なかなかやる気があるなあ」。スタッフのひとりが「松浦を絶対に採用すべきだ」と粘ってくれて、僕はようやく時給430円で雇われた。
無理やり、仲間に入ったのだ。
チャンスの入口は、求人の貼り紙の中になんてなかった。断られた店の中に、あった。
つぶれかけの店が、転がり込んできた
さて、無理やり入ったその店は、毎月100万円の赤字だった。
オープンから5か月目、オーナーは資金繰りの心労で胃潰瘍になり、入院してしまう。退院すると、僕ら学生3人にこう言った。
「僕は本業の店に戻る。この店は、君たちに任せるよ」
「本当に、何をやってもいいんですか?」
「いいよ。すべて任せるよ」
大学生に、つぶれかけの店がまるごと転がり込んできた。
いま思えば、これも人生最大級のチャンスだった。ただし、その時の顔は「毎月100万円の赤字」という顔をしていた。
使えるのは、週2万円の仕入れ代金だけ。毎週その2万円を握って、渋谷まで輸入盤の12インチを買いに行った。
並べても、誰も借りない。
だから1枚ずつ、タイトルと120文字ほどの解説を手書きした。それでも借りない。今度は、自分で独自の「ベスト10」を作った。世間のヒットチャートじゃない。僕が聴いて、僕が選んで、僕が順位を決めた、店のオリジナルチャートだ。すると、1位は絶対に借りてくれる。
推薦盤シールを3つ貼ったり2つ貼ったりしているうちに、だんだん貸し出しが回り始めた。
そのうちクチコミが広がった。「あそこの店は凄い」。横浜のあちこちから、ダンスミュージックのファンが来る店になった。
カウンターを2個、買ってもらった
それでも、線路の向こうのライバル店には勝てなかった。
そこで僕は、オーナーに交通量調査用のカウンターを2個買ってほしいと頼んだ。オーナーは「1つじゃいけないの?」と渋った。どうしても2つ必要だった。客層を分けて数えるからだ。
ライバル店の見える場所に何日も座り込んで、朝から夜まで、店に入る客をひたすら数え続けた。
客数と客単価から逆算すると、ライバル店の売上は月550万円弱。うちは150万円前後。会員数に至っては、10倍の差があった。そして数字を並べて初めて、決定的な弱点がたったひとつ見えた。うちだけ、入会金500円を取っている。
チェーンの規則で、入会金は全国一律だった。本部に乗り込んで交渉したら「絶対に無理だ」と言われた。だったら、と食い下がった。「1日だけ、入会金0円のキャンペーンをやらせてほしい」。押し切った。
みんなには「ただのバイト先」に見えていた場所が、僕には、数字と打ち手が無限に転がっている場所に見えていた。
同じ場所に立っていても、人によって見えているものがまるで違う。
あなたが今いる職場も、誰かにとっては「ただの職場」で、誰かにとっては宝の山だ。
「うちの会社にはチャンスがない」と言う人は、たぶん、どこへ行っても同じことを言う。
役に立たなそうなことが、あとで武器になる
その店で、僕には妙な癖があった。
レコードに小さく書いてあるクレジット。あそこに並ぶプロデューサーや作曲家の名前を、延々と読み込むのだ。
ここで思い出してほしいことがある。当時は、インターネットが存在しない。
プロデューサーの名前を検索すれば経歴が出てくる、そんな時代じゃない。誰がどのレーベルにいて、誰と組んで、どんな曲を作ってきたか。知りたければ、レコードを1枚ずつ手に取って、盤面やジャケットの隅の小さな文字を、自分の目で読んで、自分の頭に刻んでいくしかなかった。
ユーロビートのレコードには、プロデューサーとコンポーザーの名前がクレジットされている。それを何千枚も見ていくと、あることが見えてくる。
どのプロデューサーとどのコンポーザーが組んで仕事をしているか。いい曲を作っている人たちの「カタチ」が見えてくるのだ。
言っておくが、当時この知識は一円にもならなかった。資格でもないし、履歴書にも書けない。「何千枚のレコードの裏面を覚えています」。完全に、ただの変なやつだ。
ところが、何年か後。
僕はイタリアに渡って、現地でレコードを作ることになる。
なぜ、日本の若造がイタリアでレコードを作れたのか。クレジットで覚えた「いい曲を作る人たちのカタチ」を頼りに、そういう人たちがいそうなスタジオへ実際に行ってみたら、本当にそこで、その人たちが仕事をしていた。
誰にも頼まれずに積み上げた無駄な知識が、ある日、誰も持っていない武器になった。
あとで武器になるものは、その時は武器の顔をしていない。
役に立つかどうかで学ぶことを選んでいる人は、みんなと同じ武器しか手に入らない。夢中でやった「無駄」だけが、自分だけの武器になる。
情報は、みんなが読まないものの中にある
クレジットの話と、もうひとつセットの話がある。
当時の僕は、ビルボード誌やレコードミラー誌といった、海外の音楽業界誌を読んでいた。日本の音楽雑誌ではなく、海外の一次情報だ。
これも、ネットのない時代の話だ。海外の情報は、向こうから勝手に流れてはこない。輸入された現物の雑誌を手に入れて、英語のチャートと記事を自分で読み解くしかない。「調べる」という行為そのものに、手間と時間のかかる時代だった。
だからこそ、調べた人間と調べなかった人間の差は、今とは比べものにならないほど大きくついた。
日本で洋楽の情報といえば、日本の雑誌が翻訳して紹介してくれるものを待つのが普通だった。でも、それではみんなと同じ情報を、みんなより遅く受け取ることになる。
同じ情報を持っている人間の間に、差はつかない。
差がつくのは、みんなが面倒くさがって読まないものを読んでいる人間だ。翻訳される前の業界誌や、レコードの隅に小さく刷られたクレジット。誰でも手に取れるのに、誰も読まない。そこにだけ、まだ誰のものにもなっていない情報が転がっている。
今はインターネットがあって、同じことが一瞬でできる。それなのに、調べない人は調べない。道具が便利になっただけで、調べる人間と調べない人間の構図は、あの頃と何も変わっていない。
チャンスの半分は、ただの情報の時間差だ。半年早く知っていることは、才能と同じ働きをする。
みんなが引き返した日に、行く
情報の時間差の話には、続きがある。
1991年の1月、僕はフランスの音楽見本市に向かった。日本を出たのは、湾岸戦争が始まった翌日だ。
すぐにアメリカの勝利で終わると言われていたが、戦況は長引き、各社に出張禁止令が出た。日本のレコード会社は、どこも見本市に来なかった。
会場に着いたら、みんなが、テクノ、テクノと騒いでいる。おもしろいから聴きまくって、良さそうな曲の権利をバーッと買って帰った。
他のレコード会社がテクノに気づいた頃には、めぼしいライセンスはほとんどうちが取っていた。その年の5月にジュリアナ東京がオープンして、買ってきた曲がフロアでかかり、テクノはブームになっていく。
あの時のチャンスは、どんな顔をしていたか。
「戦争が起きているから、出張は取りやめよう」という顔をしていた。
みんなと同じ判断をすれば、リスクはない。そのかわり、みんなと同じものしか手に入らない。
全員が引き返した場所は、ライバルがゼロの場所でもある。
断っておくと、真似してほしいという話じゃない。今の時代に同じことをやったら、ただの無茶と呼ばれるだろう。若くて、会社も小さくて、失うものが少なかった。あの時代と、あの立場だから許されたことだ。
伝えたいのは、行動そのものより構造の方だ。全員が同じ方向へ引き返す時、逆側は無人になる。
その構造は、戦争のような極端な話に限らず、不景気でも、業界の逆風でも、いつの時代も同じ形で現れる。
扉が開くのは、一瞬だけ
チャンスには、もうひとつ残酷な性質がある。
扉が開いている時間が、極端に短い。
小室哲哉さんと初めて会った時が、まさにそうだった。
当時の僕は、TMNETWORKの曲のユーロビートカバーを、何が何でも作りたかった。うちの人間が半年かけて話を煮詰めて、最終段階で僕が小室さんに会うことになった。
その席で、小室さんはこう言った。
「エイベックスみたいに新しくてかっこいいレコード会社が、TMなんかの曲をやると、かっこ悪くなっちゃうんじゃないの」
これは、断り文句にも聞こえる。でも僕は、小室さんがまだ僕たちを信じきれていないだけだと感じた。この人の中に飛び込むなら今しかないと思った。
だから、即答した。
「絶対、かっこよくしますから」
根拠なんてない。あるのは、ユーロビートを何千曲も聴きまくってきた自負だけだ。
そのカバーアルバムは、オリコンチャートの4位まで上がった。わけのわからない小さなレコード会社が数字を出したことで、道が開けた。そこから先の話は、みなさんの知っている通りだ。
あの席で「持ち帰って検討します」と言っていたら、何も始まっていなかったと思う。
扉が開いた瞬間に飛び込めるのは、準備が終わっている人間だけだ。
そして飛び込む時の台詞は、いつだって「できます」でいい。辻褄は、あとから死ぬ気で合わせればいい。
僕は、銀行員になるはずだった
最後に、一番変な顔をしていたチャンスの話を書く。
あの店で働いていた頃、僕の進路は銀行員だった。横浜銀行に入るつもりでいた。
それを止めたのが、あの店のオーナーだ。面白いことに、オーナー自身の父親は横浜銀行の取締役だった。銀行を一番よく知っている家の人間が、毎日のように車の中で、僕にこう言い続けた。
「銀行なんかやめた方がいい。サラリーマンでうまくいくかもしれないけど、自分で商売をやる方が、よっぽど面白いよ」
そんなある日、実家で親父が唐突に言った。「なんか、面白い商売はないのか」
あるよ、と僕は答えた。貸しレコードだよ。
儲かることは、誰よりも知っていた。自分の手で数字を見てきたからだ。貸しレコードは、仕入れを売上全体の2割ほどに収めておけば回る。粗利8割の商売だ。
オーナーと親父が1,000万円ずつ出して会社を作り、僕が社長になった。21歳、大学生の社長だ。その延長線上に、後のエイベックスがある。
思い出してほしい。この話の始まりは、たかがバイトの不採用だ。
あの雨の日に「もう行かない」と決めていたら、エイベックスは存在していない。
チャンスは、出来事の顔だけでやってくるとは限らない。毎日しつこく同じことを言ってくる、おせっかいな人の顔をしていることもある。
明日からできる、チャンス体質のつくり方
精神論で終わらせたくないので、明日からできることも書いておく。
ひとつ。自分の持ち場の数字を、誰よりも覚えること。
店なら、何が売れて何が死んでいるか。会社なら、自分の部署の数字がどう動いているか。僕のカウンターと同じで、数字を数えることは誰にも禁止されていない。数字を覚えた人間にだけ、「あれ、おかしいな」「これ、いけるんじゃないか」という違和感が生まれる。チャンスの入口は、たいてい違和感だ。
ふたつ。頼まれていない仕事を、続けること。
タダ働きも、朝駆けの偵察も、クレジット読みも、全部誰にも頼まれていない。頼まれた仕事だけをやる人間には、頼んだ人の想像の範囲内のことしか起きない。想像の外に出たければ、頼まれていないことの中にしか道はない。
みっつ。小さい「即決」を、普段から練習しておくこと。
扉が開いた瞬間に「できます」と言うのは、実は度胸の問題じゃない。習慣の問題だ。普段から小さいことを即決している人間は、大きい扉の前でも体が動く。普段から「検討します」で生きている人間は、人生を懸けた扉の前でも「検討します」と言ってしまう。
ランチを10秒で決める。聞かれたことには、その場で答える。くだらないことでいい。即決は慣れだ。軽いもので鍛えられる。
チャンスについての、僕の結論
言いたいことは3つだ。
1. チャンスは、悪い知らせの顔でやってくる。
不採用。毎月100万円の赤字。戦争。断り文句。僕に来たチャンスは全部、その時は「ついてない出来事」に見えた。ついてない出来事が起きた時こそ、一度疑ってみることだ。これはチャンスの変装かもしれない、と。
2. チャンスは、場所の「見え方」の中にある。
同じ20坪の店でも、見えている人間と見えていない人間がいる。今いる場所で、人と違うものを見ろ。
3. 扉が開いたら、考える前に「できます」と言え。
扉が開いている時間は一瞬だ。準備は、扉が開く前に終わらせておくもの。返事は、その場で言い切るもの。帳尻を合わせるのは、そのあとでいい。この順番を逆にした人間から、扉を逃していく。
チャンスの女神には前髪しかない、と昔から言う。
僕に言わせれば、もっとひどい。
チャンスの女神は、変装してやってくる。
僕のところに来た時は、バイトの不採用の顔や、毎月100万円の赤字の顔や、戦争が始まった日の渡航の顔や、断り文句の顔をしていた。
だから、光っているものを探すのはやめた方がいい。
いま目の前にある地味なもの、ついてないものを、誰よりも面白がった人間のところにだけ、「あれがチャンスだった」という答え合わせが、あとからやってくる。
