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「リンゴ・スターはなぜ昭和の日本人に愛されたのか ― 来日60周年と「世界の国からこんにちは」の秘密

昭和の日本人はリンゴスターが大好きだった。

昭和の日本人はリンゴスターが大好きだった。
こんなCMがあるくらいだ。
リンゴ擦った、リンゴスター...…。

神秘的な予言の歌だってある。

「リンゴの歌」

「リンゴは何にも言わないけれどリンゴの気持ちはよくわかる」というフレーズは、ホワイトアルバムの時に一時はビートルズからの脱退を考えたリンゴの心情に寄り添った歌詞でもあるだろう。(ないだろう)

とにかく昭和の日本人はリンゴスターが大好きだった。
小学生の時、ビートルズのメンバーで真っ先に名前があがるのはジョンでもポールでもなく、リンゴスターだった。

それは何故なのか。
少しタイミングがずれてしまったが、来日60周年を機に考えてみたい。

ビートルズ来日60周年

1966年 6月29日、ビートルズが来日し、3日間5回の公演の後、7月3日にフィリピンに向けて離日した。

今年はビートルズ来日60周年である。

ということは来年は「マジカル・ミステリー・ツアー」が60周年でリミックス版が出て、「ユア・マザー・シュッド・ノウ」のドルビーアトモスを聴けるだろうか。
クラシックの音楽会などで作曲家のメモリアルイヤーに合わせた企画をよく見かけるが、そんな感じもしてくる。

さて、今、手元には来日公演30周年記念という帯がついた、

『ビートルズ・レポート 話の特集 完全復刻版 東京を狂乱させた5日間』
という本がある。

当時の雑誌の特集号を復刻したものだが、ビートルズ・レポート復刻30周年記念でもということだ。

責任編集者は竹中労だ。
我々イカ天世代では「たま」が大好きなおじいさんジャーナリスト、という第一印象が強かったのだが、1991年に63歳で没しているので、高齢に見えたのは病気のせいもあったのだろう。

1990年のローリング・ストーンズ初来日の時にも、“識者”としてTVの特番に登場しては、徹底してロック礼賛とフォーク批判を繰り返していたが、その原点はこのレポートにあったと今になれば理解することが出来る。

『ビートルズ・レポート』

『ビートルズ・レポート』は当時の様子を今に伝える同時代の読み物としてとても面白い。

全体の基調は、冒頭に置かれたわかりにくい竹中労の文章からわかりやすく感じられる。

“これは、ビートルズ来日のすべてを、刻明に、そして正確にえがいたレポートである。
七人の音楽ジャーナリストの共同労作だが、その名前をあきらかにすることはできない。
それは、多くの真実がえんりょえしゃくなく、しかも、怒りをこめて書かれているからだ。
戦後最大のマス・ヒステリア(大衆狂乱)といわれる、ビートルズの来日にはドス黒い舞台裏があり、狂乱を演出する”闇の力”がはたらいていた。その真相を書かなければ、音楽記者として存在する理由がないという、せっぱつまった思いが、この匿名のレポートを生んだ。
私は、ただ、責任の所在を明確にするために名を出したにすぎないー。できるだけ多く人びとに、とりわけビートルズ・ファンである少年少女諸君に、この本を読んでもらいたい。むずかしい言いまわしや表現があって、読みづらいかも知れない。だが、忍耐して読んでほしい。そうすれば、日本のおとなと子供の間には、どんなに遠い距離があるかということがわかる。
そして、正しいのはあなたがたであり、それを理解しているおとなも少しはいるのだということがわかる。あなたがたに読んでもらわなければ、私たちがこのレポートを書いた意義は失われるのである。    竹中労”

竹中労がビートルズ来日の裏にあった“闇の力”の真相を暴くというのである。

リアルタイムではあまり売れなかったようだが、同時代の読み物として面白いのは、こうした書き手のスタンスにある。

ビートルズ来日102時間のレポートの中に、財産の私的所有がどうしたとか、マルクス、レーニン、毛沢東が出てきたりする箇所などもあって脱線も多いが、マネージャーのエプスタインの性的アイデンティティに触れていたりする箇所からは徹底した取材ぶりが伺える。
全体な内容としてはビートルズ来日による諸相に見える“世代間の亀裂”を描こうとしていた。

レポートの内容については、ネット上に
『ビートルズ・レポート』竹中労

という文章があった。
こちらも読んで頂ければと思う。

音楽に対する耳の確かさ

自分が注目したのは、ビートルズ喧騒録の記事そのものではなく、そこかしこに見られる音楽を聴く確かな耳を持った記事内容だ。
例えばレイ・チャールズからの影響を指摘している箇所がある。

“アメリカの黒人奴隷が、ふるさとの原始の音律である、タムタムの響きに、西洋音楽を結合させて、ジャズを創造したようにー。リバプールの労働者の子弟であるビートルズは、エレキのリズムと黒人音楽を結合させた。
彼らの演奏には、あきらかに盲目の黒人歌手、レイ・チャールズの影響がある。絶叫し、体をゆすり、たたきつけるようにシャウトするビートルズの唱法は、その原型を、レイのリズム
・アンド・ブルースに求めることができる。しかもエレキのひびきに乗って、いっそう強烈であり、扇動的なのだ。”

1994年に英BBCラジオでのライブが公式に発売された時にレイ・チャールズのカバー「アイ・ガット・ア・ウーマン」があったり、その後、『アンソロジー』にはデビュー前の「ハレルヤ・アイ・ラブ・ハー・ソー』の音源が収録されたりしたことから、レイ・チャールズがビートルズに影響を与えていることは間違いないが、当時リリースされていた曲の中にはレイのカバーはなかったはずだ。
こうした音楽を聴き取る耳の確かさは、このレポートが本物である、と感じさせる一因になっている。

ビートルズを聴いた日本の音楽家達

装丁とレイアウトを担当した和田誠や横尾忠則など10人のイラストレーターが描いたビートルズも収められていたりするが、音楽家へのインタビュー等もあって当時の雰囲気を伝えている。

インタビューを受けた音楽家の中に、一柳慧も入っていて、

“公演にはいきませんでした。べつに理由はないけど、大騒ぎしているのでめんどうくさいしテレビでもやるからと思って。でも、テレビでもみなかった。
ビートルズはレコードできいたけど、非常にオリジナルなものはもっていると思う。ようするに、あんまり感傷的になったりあんまり激情的になったりするところが少ない。ドライなタッチは好感がもてる。”

と答えているのだけど、元妻のヨーコがこの数ヶ月後にジョンと恋に落ちるとは想像もしなかっただろう。

淡谷のり子の感想も面白い。

“ピートルズというのは、若い人たちの欲求不満の叫びを聞いているようで、あまりピンときません。第一、頭を何とか刈りあげて欲しいですよ。でも、一人一人はいやですけど、四人がよくハーモニーしてると思いました。
切符はあったけど仕事がのびてチャンスを失ってしまいました。「イエスタディ」は大人でもきけるナンバー。またリンゴというドラマーは、一流バンドできたえられたら立派なドラマーになる素質がある。警備が厳重すぎたせいか、テレビで見たらハキが不足してましたね。”

特にリンゴへの評価が高いのが、さすがブルースの女王は耳が確かだ、と思う。

ビートルズを聴いた中村八大

さて、一番長く掲載されているのは、中村八大のインタビューだ。

“切符が手にはいったので、あまり気がすすまないままに公演にでかけた。でも公演をきいて感動した。本当のものが確かにある。それでいまビートルズの音楽を分折しているところですが、作品は相当すごい。歌も常識とかなり違っている。音楽も、ポピュラーとはいえ、教会音楽、それに長いヨーロッパ音楽の伝統が生かされ、非常に高度だと感じた。とくに最近の音楽は、誰れにでもやれるというものではない。あの音楽は、楽しく陽気なのとはまったく逆のもの。深刻で本質的なものをもっている。言葉がわからないのに、あれほど心をとらえるものは、いまいったような面があるからではないかしら。公演に行くまでレコードをきき、歌もへた、音程もよくないと思っていたが、その弱点をおおう大事なものを発見した。”

「最近の音楽は、誰れにでもやれるというものではない。あの音楽は、楽しく陽気なのとはまったく逆のもの。」と言っているのは、『ラバー・ソウル』のことを言っているのだろう。
さすが中村八大である。ブライアン・ウィルソンと同じではないか。

「イエロー・サブマリン」→「世界の国からこんにちは」

注目すべきは、彼が「大事なものを発見した。」と言っていることだ。

中村八大がビートルズから発見したものとは何かは具体的にはわからないが、この有名曲はビートルズとの偶然とは思えない共鳴がある

1967年1月に発表された
「世界の国からこんにちは」である。

※ちなみにこの曲関連のこの記事も面白い
三波春夫「東京五輪音頭」「世界の国からこんにちは」|歌謡曲アーカイブス Vol.4

先ほどの中村八大のインタビューを読んでから、この曲を聞いた時、1966年8月にリリース(日本では9月)された

「イエロー・サブマリン(Yellow Submarine)

と共通する何かを感じるのは、自分だけだろうか。
リンゴにぴったりではないか。

試みに
「イエロー・サブマリン」

「世界の国からこんにちは」

「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ(With a Little Help from My Friends)」

の連続聴きをしてみた。

しっくりくるじゃないか!
「世界の国からこんにちは」って、フラワーな曲だったんだ!

という驚き。

ちなみに「世界の国からこんにちは」は、1967年1月発表、3月リリース。
スコット・マッケンジーの
「花のサンフランシスコ(San Francisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair)」

が5月、モンタレーポップ、アワ・ワールドの世界同時衛星中継でのビートルズの演奏が6月。
そんな時系列を踏まえてみると、大瀧詠一がプロデュースした
「イエローサブマリン音頭」(1982)

よりもむしろ「世界の国からこんにちは」の方に「イエロー・サブマリン」との共鳴が感じられる理由が腑に落ちる。

  • 1966年 6月 ビートルズ来日

  • 1966年 8月「Yellow Submarine」

  • 1967年 1月 「世界の国からこんにちは」

  • 1970年 大阪万博

低音に刻まれた「2ビート」のシンクロニシティ

この2曲を続けて聴いたとき、不思議なくらい耳に馴染む理由をもう少し深掘りしてみると、実は楽曲の骨組み、とりわけ「ベースライン」に決定的な共通点があることに気づく。

「イエロー・サブマリン」におけるポール・マッカートニーのベースは、コードの根音(ルート)と5度の音を交互に行き来する、いわゆる「2ビート(カントリー・ベース)」の動きが基本だ。ポールはここで音を短く切る(スタッカート)ことで、リンゴのボーカルが持つ「トボけた愛嬌」を引き立てる軽快なグルーヴを作っている。

そして驚くべきことに、「世界の国からこんにちは」のベースラインもまた、2ビートの往復運動を基調にしながら、硬質で細かいスタッカートで刻み続けている。この低音の跳ね方が、三波春夫のあの弾けるような笑顔の疾走感を背後からドライブさせているのだ。

もちろん音楽史的に見れば、この「ルートと5度の往復」は、アメリカのカントリーだけでなく、日本の伝統的な「音頭」や明治・大正期の「チンドン・ジンタ(街頭ブラスバンド)」にも共通する超普遍的なフォーマットである。ジャズやアメリカン・ポップスの素養が深かった中村八大が、ビートルズを聴くまでもなく、自身の引き出しから自然にこのベースラインを導き出した可能性は十分に高い。

しかし、重要なのはやはり「タイミング」ではないか。
来日公演を観て、ビートルズの音楽の中にポップスが芸術や思想へと変貌する過渡期の「深刻で本質的なもの」を発見した直後の中村八大。彼が1970年の万博という国家的なテーマソング(普通なら重厚な行進曲になりがちなもの)に、あえてこの「トボけた、全肯定の2ビート」を採用したという事実。

ポールが「リンゴ(=誰も置いていかない親しみやすさの象徴)」の楽曲に施した低音の魔法を、中村八大が「三波春夫(=国民を笑顔で全肯定する象徴)」の歌に無意識にスパークさせた。
そう考えると、このベースラインのシンクロは、単なる偶然を超えた鮮やかな「精神の翻訳」のように聴こえてはこないだろうか。

中村八大が「発見」したもの

冒頭で触れたように、昭和の日本人はリンゴ・スターが大好きだった。

もちろん、その理由を一つに決めることはできない。

だが、「イエロー・サブマリン」から「世界の国からこんにちは」、そして「With a Little Help from My Friends」と続けて聴いてみると、不思議なくらい違和感がない。

どれも、一人のヒーローを讃える歌ではない。仲間がいて、みんなで歌い、みんなで前へ進む歌だ。

中村八大がビートルズから「大事なものを発見した」と語った、その「大事なもの」を中村はレコードではなく公演で発見したと語っていた。

それは、単なるメロディーやコード進行ではなく、人と人をつなぐ音楽のあり方だったのではないか。

もしそうだとすれば、「世界の国からこんにちは」は、そうしたビートルズの精神を、日本人の心に自然に届く歌へと翻訳した一曲だったのかもしれない。

昭和の日本人がリンゴ・スターを愛したのは、「リンゴ」という言葉が親しみやすかっただけではない。
ビートルズ、そしてリンゴが歌う、人を分け隔てなく迎え入れる音楽そのものを、知らず知らずのうちに愛していたのではないだろうか。

終わりに一言付け加えておきたい。
今年のリンゴの新作にもやられたので、未聴の方は是非。
Ringo Starr / Long Long Road

これが一番言いたかったのかも。

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