“THE SHOCK” AND A HARD PLACE〜ミックが聴いた「AL-MAUJ(アルマージ)」〜中森明菜とザ・ローリング・ストーンズ〜
2024年のことである。
AppleMusicによれば、自分は1年間で24529分、中森明菜を聴いていた。
400時間以上である。
毎日欠かさず一日1時間以上聴いていた計算になる。
ちなみに2位はグレイトフル・デッドで2015分。
ケタ違いであった。
ことの発端は2023年の暮れにベストアルバム『BEST』がドルビーアトモス化されたことだった。
「中森明菜 ベスト・アルバム『BEST』で、初のドルビーアトモス配信を12月20日(水)開始!
2023.12.20」
小学生の頃、デビュー曲スローモーションを聴いてファンになったものの、その直後に始まったTV版の『セーラー服と機関銃』で原田知世に心を奪われたため、ファン歴は2ヶ月くらいだったのだが、彼女のヒット曲全盛期のワーナー時代は小学校高学年〜中学〜高校〜大学にかかっていて、勝手に耳に入ってくる青春時代のBGMといった感であったから、全曲知ってはいた。
そして何の気なしに、ドルビーアトモス化された中森明菜『BEST』を聴いたのだが...。
驚愕した。
歌唱といい、サウンドといい、素晴らしすぎた。
同じ月にスージー鈴木の『中森明菜の音楽』という本が出ていた。
早速入手し読んでみたら、彼は本を書くために9ヶ月一気に聴き続けたと「はじめに」にあった。
12月12日発売、スージー鈴木の新刊『中森明菜の音楽 1982-1991』(辰巳出版)の「はじめに」無料公開
なるほどと思いながらページを繰り、「中森明菜の音楽」を聴いていくうち、すっかりハマってしまい、MCAビクター以降のストリーミング配信されていないアルバムも含め、ほぼ全曲聴いたのが2024年であったというのが顛末であった。
そうした中で自分の中に芽生えた「ある妄想」に取り憑かれたこともリスニング時間を増やした原因だと思う。
ミック・ジャガーは中森明菜をパクったのではないか
「ミック・ジャガーは中森明菜をパクったのではないか」
ザ・ローリング・ストーンズの「ROCK AND A HARD PLACE」(1989年8月29日リリースアルバム『スティール・ホイールズ』収録)は、中森明菜の「I MISSED “THE SHOCK”」( 1988年11月1日リリース)をパクった曲なのではないか?
そんな妄想に取り憑かれたのだ。
まずは、この2曲を連続聴きしてほしい。
(出来ればリピートしてみてほしい。)
「I MISSED “THE SHOCK”」
「ROCK AND A HARD PLACE」
何故、そんな妄想に至ったのか、時系列を整理し、事実と妄想を交えながら説明したい。
ミックが聴いた「AL-MAUJ(アルマージ)」
ストーンズのアルバム『スティール・ホイールズ』のデモ作りの開始は89年1月だったそうである。
Wikipedia
Wikipediaの記事でも触れられているが、ミック・ジャガーがソロで来日したのが88年の3月。(3/15から公演開始)。
その時点での中森明菜の最新シングルは「AL-MAUJ」だった。
「AL-MAUJ」
この曲は、ザ・ベストテンでは、1988年2月18日から1988年3月3日の3週連続で1位だった。
中森明菜は「サザン・ウインド」から「TATOO」までのオリコンチャート1位連続記録更新中の時期。
来日したミックが「今、日本で売れてるアーティストは誰?」と聞いたら中森明菜の名前が出ただろう。(妄想)
更には、来日のコーディネーターが、「彼女、“ミック・ジャガーに微笑みを”って曲も歌ってるんですよ。」なんてミックのご機嫌取りをしていたかもしれない。(妄想)
「ミック・ジャガーに微笑みを」
ミックは「AL-MAUJ」を聞いていた可能性は十分にあるのではないか。(妄想)
さて、その年の暮れにミックはキースと和解してストーンズを再始動させ、1月からデモ作りを開始する。
当然ストーンズ再始動とともに、その後のツアーの話もしていただろうし、その時点でストーンズでバブル景気真っ最中の日本に行くことは当たり前に視座に入っていただろう。
当時の中森明菜の最新シングル「I MISSED “THE SHOCK”」
そこでミックは、来日中に聞かされていた「日本で売れてるアーティスト」中森明菜の最新シングル「I MISSED “THE SHOCK”」をチェックする。(妄想)
「I MISSED “THE SHOCK”」の曲構成はAメロ、Bメロ(サビ)+Cメロ(大サビ)で、このAメロ+Bメロ(サビ)のパターンは60年代、ビートルズに対抗したストーンズの王道パターンを踏襲している。
「日本向けにストーンズでこれやってみるか?」とミックが考えても不思議はない。
その時々で、さまざまな音楽を自家薬籠中のものにしていったのがストーンズの歴史である。
フォー・オン・ザ・フロアーのドラム、エンディングに向けた盛り上がりにおけるコーラスとの掛け合いだけでなく、人の良いロニーが弾く(この曲のベースはビル・ワイマンではない)ベースの動きはよく聴くと、ところどころで「I MISSED “THE SHOCK”」からの影響丸出しではなかろうか。
「不穏で硬質なマイナーキー」「ファンキーかつダンサブルなビート」「ソウルフルなコーラスとの掛け合いで熱狂的にビルドアップしていく展開」という共通のDNAを持つ両曲。
しかし、ミックはCメロ+ブリッジの後にギターソロやブレイクをはさみ、実はパクリであることを老獪な手口で糊塗した。(妄想)
以上が
「ミック・ジャガーは中森明菜をパクったのではないか」
という妄想である。
まとめ
ミックの狙い通り「ROCK AND A HARD PLACE」は日本人のハートをつかみ、ポカリスエットのCM曲になった。
同じく『スティール・ホイールズ』に収められ、ライヴのオープニングSEにもなった「コンチネンタル・ドリフト(Continental Drift)」の中近東〜モロッコ風味は、「AL-MAUJ」にも通じるものだ。
「コンチネンタル・ドリフト(Continental Drift)」
もちろん、これは証拠のない妄想である。
それでも「I MISSED “THE SHOCK”」と「ROCK AND A HARD PLACE」を続けて聴くたびに、自分の頭の中では1988年の東京でミックが「AL-MAUJ」を耳にしている光景が浮かんでしまう。
中森明菜の10年ぶりの新曲とライヴ復帰、ザ・ローリング・ストーンズの素晴らしい新譜のリリース。
そんな素敵なことが同じ年に起こるのも、ストーンズと中森明菜の浅からぬ縁を思えば、不思議なことではないのかもしれない。
中森明菜「ごめんと、すきと、」
ザ・ローリング・ストーンズ
『フォーリン・タングス(Foreign Tongues)』
