「あいしてる」は存在しなくて
日曜日、11時すぎにようやく目が覚めた。本棚とピアノしかない部屋に敷いた布団でひとりで眠り、ひとりで起きた。
土曜日を生理痛のせいで丸一日潰したので、今日は何かしようと思った。あひるごはんと称した菓子パンを食べ、身支度を整えるだけ整える。
今日返したい図書館の本を読み終えにかかっているあいだ、夫は同じソファの上ですやすやと眠っていた。物思いに耽るようなこの寝顔を見ているときだけは、あらゆる負の感情を取っ払って頬ずりしたくなるくらいの気持ちになれるのに。
本をきちんと読了し、夫も用事があるというのでふたりで出かける。本を返し、新たに借りて、買い物とクリーニングの引き取りをして帰る。ふたりの空気感に何事もないのか何事もなかった“かのよう”なのかは、私自身にも掴みかねた。
夕食後、無性にある映画が観たくなり、アマプラで検索する。今年公開されたばかりなので案の定レンタルに500円かかるけれど、アカウント主の夫に許可をもらってレンタルする。PS5を通じてテレビで観られるように夫が調整してくれて、ふたりでテレビの前に座った。なぜかテレビ好きな弟猫も起きてきて、画面を食い入るように見つめる。
今年話題になった映画『ファーストキス 1ST KISS』。なんにも内容を知らずに観はじめたので、あ、今観ないほうがよかったかも、とひっそり焦る。あるいはひとりで観ればよかったかも、と。けれど夫は変わらずハンモックチェアから画面を眺めている。私も映画に集中することにした。
(ネタバレはしません)
努力だけでこんなにもうまくいくものなのか、結婚生活。いや、その努力こそがすごいのだ。限られた夫婦の幸せを維持するために駈が捧げてきたであろう涙ぐましい努力に、胸を打たれる。なんだよ愛、こんなところに転がってたのかよ。
わかっていたつもりで、ちっとも理解していなかった。愛とはなんなのか。恋とは違って出どころが見つからなければ生み出し方も定まらず、その上人によってまったく形が異なるという得体の知れないしろものが。私には愛することなどできないのだと本気で思った瞬間もあった。だけどたぶん、そうじゃない。
愛そうと、思うことこそが愛なのだ。思うだけじゃなくて、そのために動くことも含めて。だから「愛している」という状態は存在しない。状態ではなく、行動に愛がある。そこには見返りも駆け引きも関係なく、それでいてお互いに常に持っていないとすべてが無に帰してしまう脆さがある。なんて簡単で、なんて尊い、愛。
猛烈にいやになって、ぐちゃぐちゃに傷つけて、傷つけられて。いったい何度繰り返せば気が済むのだろうと、今度は膿んだ傷を舐めあいながら途方に暮れていて。そんなときに観ることができたのは、観たくなったのは、大袈裟に言えばご縁ってやつだろう。愛することを知らないからこそ、愛することを怠らない。私はそういう妻になりたい。
夫が何を感じたのか、今のところ私は知らない。ただ今夜は三日ぶりに、同じ布団で眠った。
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