【慶應義塾幼稚舎・横浜初等部受験対策】 - 2027年度入試対応 最新版 - 絵画・造形の極意
「出来栄え」を追求するべからず
⚫︎ 絵画造形課題の評価に対する誤解
慶應義塾幼稚舎、慶應義塾横浜初等部の入学考査には、絵画造形の課題が示されることは広く知られています。
初めてこの試験項目を知った保護者の方の中には、まるでそれが美大のテストか何かと勘違いしてしまい、絵が上手いか、工作が上手につくれるか、というような発想に基づく評価がなされると思い込んでしまう方がいらっしゃいます。
そのため、
とてつもなく絵が上手な巨匠レベルだけが評価される
とか、
ものすごく立派な作品を作り上げないことには
到底合格することはできない
という思い違いによって、対策を始める前から、
「うちの子、絵が下手で…」
「センスがないので…」
などといった及び腰になりがちです。
しかし、実際には決して作品の出来栄えだけで評価されているわけではありません。
受験準備の早い段階でこうした誤解に気づき、方向性を修正することができれば、やみくもにスキルを高めようとする発想を改めることも可能です。
しかしながら、この誤解を修正することができないまま、最後までつき進んでしまう方も一定数いらっしゃいます。
そうすると表面的な技術の優劣や、作品の出来栄えばかりに意識が向いてしまうことになってしまい、保護者の方自身もそうした技能の優劣が合否を決めるのだという強迫観念に支配されてしまいます。
その結果、子どもはいかに「優れた出来栄えの作品を作るか」という視点での、技能面の向上だけに時間や労力を注ぐよう強いられることになります。
同じことを繰り返すことで、何か一つの作品をいかに高い完成度で作るかという練習を重ねるような練習になってしまうのです。
⚫︎ 本記事の目的
この記事の最大の目的は、このような誤解に陥ってしまっている保護者の方に目を覚ましていただくことにあります。
試験の現場では、「作品の出来栄え」ではなく、何が見られているのか。
これを、憶測ではなく、長年にわたり私立小学校の現場で指導してきた経験と、初等教育に関する専門性を背景に、徹底的に解説します。
本記事を読みこんでいただくことで、もう作品の出来栄えに執着してこだわったり、持ちネタに関する周辺知識の暗記に明け暮れるような、表面的受験対策から抜け出すことができます。
周囲と違うことをするのは勇気がいるかもしれません。
でも、試験では、周りと同じことをしているだけではダメなのです。
共通理解として全員が共有するべき価値観を理解した上で、さらにその子のもつ力が正しく発揮されることが必要とされます。
その発揮の仕方は、決して「持ちネタ」の高い再現性ではありません。
本記事では初めにこの点に関する認識を改めていただくために一定の紙幅を割いています。
後半では、内面の表出を促す具体的な支援方法について述べていきたいと考えていますが、まずは絵画造形の試験に対する、この重大な思い違いについて、認識を正していただくことが、きわめて重要なことです。
ですから、この点の解説については決して読み飛ばすことなく、理解を深めた上で後半のより実践的な内容の解説へと進んでいただきたいと思います。
それでは、早速、皆さんの思い違いを打破していきましょう。
思い違いに陥った方のたどる末路
⚫︎ 作品の見栄えだけを気にした受験対策
作品の見栄えだけを気にした受験対策に、「命をかけて」しまう発想に囚われてしまった結果、そうした保護者の指示を忠実にこなそうとするお子さんが生まれます。
その結果、試験の課題として何を聞かれても(どんな課題を示されても)、同じような作品や、同じような絵ばかりを描くようになります。
すなわち、課題として問われていることよりも、事前に練習してきたことを、いかに完全な形で再現するか、といった、極めて偏った形での作品作りの姿勢になってしまうのです。
また世の中に数多くある教室のうち、上記のような偏った≒誤った視点での指導観にとらわれている指導者が教える教室では、テクニックの指導に傾倒し、「得意技」のような「持ちネタ」をもたせることにこだわります。
彼らは、私立小学校の先生方がどのような観点やねらいで課題を設定し、子どもたちの内面を評価しようとしているかを理解していません。
それにもかかわらず、「幼児教室講師」として不確かな内容を堂々と保護者に伝えているのです。
こうした「指導者」は、幼児の受験に関わる幼児教育業界には、残念ながらかなり多く存在するのが現状です。
そして、
「絵は、うまく描けているほど良い」
というような、きわめて短絡的かつ、いわば素人考えとも言える価値基準の指導を押し通します。
そしてそれを受け取る保護者も、
「それは、絵が上手い方が、下手であるよりはいいよね」
というような、教育という営みの深い意図に至らない、浅いレベルの理解のままで、言われるがままに技能を高めようとする日々に陥ってしまうのです。
ただし、誤解なきようにしていただきたいのは、こうした状況について、保護者には一切、罪はありません。
幼児教室の側と、そこへ通う保護者との間に、情報の非対称性がある関係性の中で、言われたことを素直に受け取り努力する保護者の在り方は、むしろ健気とさえ言えます。(誠に僭越な表現をお許しください)
そもそも一般的な幼児教室において、指導の方針や評価基準について定め、全体を統括する立場にある人のうち、私立小学校どころか、初等教育の現場においてある程度の期間、業務に従事した経験を有してすらいない人の割合の方が圧倒的です。
そのような、専門家としての実務経験がない方による「一般的な」価値観による判断は、「絵が上手いか否か」という表面的なものの見方≒表面的評価にとどまってしまうしかないでしょう。
一方、小学校の先生方は、日常の教育実践の中において、絵が上手いかどうかだけで、子どもたちを評価しているわけでは、当然ありません。
ましてや、建学の精神に基づいて一定の価値基準を大切に要している私立小学校の現場においては、その学校で長年にわたり受け継がれてきた、大切にされているものの考え方、すなわち価値観が全ての判断の根底にあるわけです。
そのため、一般的な視点での「見栄えの良さ」で判断するなどというのは、もはや初等教育を担う先生方の専門性を侮り、きわめて甘いものの見方で押し通そうとしている、失礼な態度とさえ言えます。
⚫︎誤認指導への盲信が生む危険性
受験準備においては、このような勘違いを前提にした指導を、盲目的に信じてしまうことが危険なのです。
私も慶楓会で指導をしている中で、ときに
・この過去問の場合、何を描くのが正解なのか?
・○○と△△だったら、どちらの絵を描いた方が高得点なのか?
といったような質問を受けることがあります。
ここまで読み進めていただいた方にはすでにお分かりと思いますが、率直に言えば、こうした物の見方は極めて表面的です。
そういった方に多く当てはまるのは、慶楓会以外の教室にも並行して通っているような場合です。
そして、
「***という幼児教室では、もうこんなに込み入った絵を描いているのに、なんで慶楓会ではそういう練習をしないのか?」
といったような、的外れな質問をなさることも多いのです。
(さらに言えば、そうした質問が、指導者に対する礼儀を失っていることにも無頓着です。)
繰り返しますが、こうした考え方にとらわれている限り、子どもの本質的な成長を支える考え方には決して立ち至りません。
⚫︎ 直前期の体験希望者
また、年長の夏前後には、それまでこうした考え方に押し込められた形で、「(周りの大人が押し付ける)唯一無二の正解」だけの練習を強いられてきたのではないかと思わざるを得ないような子が、突然に「体験」を申し込んでいらっしゃることがあります。
そういったお子さんは、少々悲壮感の漂う雰囲気の親御様に手を引かれて、澱んだ目をしていることもしばしばです。
その子が授業に加わると、すでに「持ちネタ」を有しているために、描くもの・作るものが決まっているので、指示を受けてからの取り掛かりは、確かに早いです。そして、事前に想定された「よくある質問」に対しては、流暢に答えられます。
ところが、よく聞いてみると、この子の回答は、本当に先生たちが問いたい部分からはかけ離れた自己中心的な回答になってしまうこともしばしばです。
そしてさらには「準備したことを全部言わなきゃ」という勢いが暴走して、質問として聞かれていないことまでも、先走って答えてしまったりもします。
そしてそれは残念ながら、実のところ、私立小学校の先生方が期待する姿とは全く違います。
質問に対して活き活きと答えるというよりは、「事前に準備した答えを、間違いないく再現する」ということに躍起になり、「いかにそれについて詳しいか」を暗記した事項の再生として語る姿は、極めて空虚です。
⚫︎ こうしたお子さんの姿に対して思うこと
このような形で、「こうあるべき」という姿に押し込められたお子さんの姿は、やや強い表現を使えば、子どもが「犠牲」になっているようにすら見えます。
こうしたお子さんの場合、そのまま試験当日まで親御様の目が醒めない限りは、このように「作られた姿」が正しいという思い込みから修正される機会はありません。
実際の試験会場においてのコミュニケーションについても、試験官である先生と子どもとの双方向の対話が生まれることは無くなってしまいます。
子ども本人は、自分では意気揚々と話しているつもりかもしれません。でもそれは、交流の生まれる対話ではなく、その子が一方的な主張だけを繰り広げるだけの姿になってしまっている可能性も高いのです。
⚫︎ 元管理職の先生の指摘
先日、慶楓会にお越しくださった私立小学校の元管理職の先生のお話の中で、
最近の親御さんは、子どもを育てるのではなく、作ろうとしている。
というご指摘がありました。
私はこの一言は、きわめて示唆に富むお言葉だと感じました。
絵画や造形といった作品作りにおいても、その子の内面が表れた作品どころか、あらかじめ周囲の大人に教え込まれた「答え(らしきもの)」の再現性だけが求められている様子は見るに耐えません。
それは、子どもの成長を支えるというよりも、周囲の価値観の一方的な押し付けによる「あるべき(と思い込んでいる)姿」への作り込みに意識を囚われているように見えます。
子ども自身が、作品作りの過程において、自分の内面から湧き出る意欲や意志、感性を表現する場が失われてしまっていると言っても過言ではありません。
落ち着いて子どもの立場に立って考えてみれば、こうした表現の自由を奪われた構造が、子ども本人にとってはいわば「強迫や強制」のように感じられている可能性も否めず、そういった構造は受験対策以前に、その子の在り方が大変心配になります。
以降では、こうした思い違いから抜け出し、いかに正しい対策を積み重ねるかについての具体的な解説を行っています。
もちろん、ここまでの内容だけでも、一般的に広まっている誤った認識についての危機意識を持っていただくことはできたと思います。
しかし、ここで全てを理解したつもりになってしまった場合、
「間違いはわかった。でもその正し方は知らない」
という状態で、結局、自己流を貫くことになってしまいます。
ここまでの文章を読んでいただいた方は、すでにお分かりのはずです。
試験を突破するために必要なことは、初等教育の場で先生方がどのような視線を子ども達に注いでいるかを正しく理解することである、ということを。
私は、10年以上も私立小学校の現場におりましたし、その経験を踏まえて受験指導をさらに10年近くに渡り重ねてきました。
ここで、「確かに選ばれる視点」を知らずに引き返すのは、わずか数cm先にある金脈を前にして、みすみすそれを見逃すようなものです。
お子さんの未来に対し、大きな責任を担う親御様が、何を選択するか。
その選択を正しく行える眼を持っていただけることが、私の願いです。
では、お待たせいたしました。
いかにして正しい対策を行えば良いか、これより下の部分で、全てを詳らかにしていきます。
正しい対策の積み重ね
⚫︎ 試験会場で見られているもの
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