祖父と同じ靴を履く
祖父が亡くなった。
遺品整理のために久しぶりに踏み入った祖父の部屋は、まるで「欲張りな子ども部屋」。個性的でカラフルな置物があらゆる棚の隙間に所狭しと並び、気に入った形のバッグは色違いで二つも三つも揃っている。病院嫌いを貫き、最期まで自分の好きなものだけに囲まれて人生を完結させた祖父は、間違いなく幸せ者だ。
けれど、残された側はたまったものではない。「少しは後のことも考えろよ」と、山のような荷物を前に何度毒づいたことか。
そんなカオスな部屋から、私の手元にいくつかの遺品がやってきた。
アウトドアブランドの黄色いハイキングシューズに、軽くて丈夫なナイロンバッグ、そして祖父手作りの壁掛け時計。祖父は時計作りが大好きだった。
実を言うと、私は昔から「お下がり」という言葉にあまり良い印象を持っていなかった。親戚の姉から回ってくるアクセサリーや服。誰かの使い古しは嫌だという想いと、自分だけのために用意された真っさらな新品に憧れていたのだ。
ところが、祖父の黄色い靴を職場に履いていくと、意外なことが起きた。「その靴、ビンテージですか? 味があっていいですね」同僚がそう褒めてくれたのだ。履き潰された様相を「ビンテージ」と言い換えてくれる優しさに感謝しつつ、私は足元を見つめた。
よく見れば、靴底は少しめくれ上がり、油断すると転んでしまいそうだ。この靴を履いて歩く祖父の姿を想像した。この靴は、何度転びそうになる祖父を支えてきたのだろう。幸い、骨の丈夫さだけは私の方が何枚か上手だ。私はその靴を修理屋に持ち込み、ソールを張り替えてもらった。ああ、これでまた何年も履けてしまいそうだ。
驚いたのは、祖父と私の足のサイズが全く同じだったこと。子どもの頃に見上げた祖父はもっと大きな存在だったし、大人になってからはいつも椅子に座っていたから、足の大きさなんて意識したこともなかった。靴を通じて、私は初めて祖父と同じ地面に立っているのだと実感した。
そして、あの手作りの壁掛け時計。祖父が亡くなった時、時計も止まっていた。それが、今、私の部屋の壁に収まり、カチコチとせっかちな音を立てている。
今、私は祖父の靴を履き、祖父の時計に急かされながら家を出る。どうやら私は、モノだけでなく、あの人の「欲張りでせっかち」な性格まで譲り受けてしまったらしい。モノを受け継ぐということは、暮らしまで受け継ぐことなのかもしれない。

