2000年。私が中国の都市と農村を歩いて見たもの
私は1999年から2001年にかけて、大学での研究の一環として中国でフィールドワークを行っていた。中国東北部の都市と農村をフィールドワークの対象としていて、北京、大連、瀋陽、ハルピンの都市部とその周辺の農村を巡り、20世紀末から21世紀の中国での暮らしについて市民、農民の方に直接話を聞いて歩いた。私は中国語はほとんど話せないので共同研究の北京清華大学の学生を通訳をつけてのヒアリングだ。
当時の中国はまだまだ貧しく、その年収は都市部の人たちで日本の10分の1、農村ではさらにその10分の1くらいだったと思う。物価との比較もしないと実際の豊かさはわからないのだけれど、日本より明らかに貧しかったのは間違いない。農村部では、山道のコーナー部ごとに子供が何人も立っていた。一緒に調査していた中国の大学の学生に何をしているのか聞いたら、「石炭を運んだトラックがコーナーで石炭をこぼすので、それを拾うために立っているのです」ということだった。私達の調査地域は東北部の寒冷地で、その日の夜の暖を取るために、石炭の確保が本当に大切なことだったのだ。
調査が終わった後のある夜に、一緒に調査をしている北京の清華大学の学生に大学の構内を案内してもらった。2021年の大学ランキングで清華大学はアジアでトップ、世界20位、もう東大はおそらく永遠に追いつけないし、研究能力もアメリカのトップと全く遜色がない大学だけれど、20世紀末の清華大学はまだそこまで世界的な大学ではなかったはずだ。案内してもらった学生の宿舎は大部屋にたくさんの2段ベッドがあって、学生たちはそこで共同生活をしていた。調査の後だったので夜の22時ころに大学を案内してもらったのだけれど、大学の図書館はまだびっしり学生が勉強していて、座る場所もないくらいだった。その光景は衝撃的だった。その光景を見たとき、近い将来日本は中国に追い抜かれるのだろうなという確信に近い予感があった。それはあっさり実現して今や中国と日本はもう比較の対象ですらなくなりつつある。
共産党一党独裁体制で香港、台湾、ウイグル自治区での迫害その他の人権を無視するような中国政府の政策はもちろん正当化できることではない。でもそのような政策を見て否定だけするだけでは中国の本当の姿を見失ってしまうのではないかと私は思う。私がこの目で見た都市の人たち、農村の人たちは毎日を必死に生きていて、未来に向かって歩いていた。その姿こそが本当の中国の姿なのではないかと私はおもう。あれほど強権的な共産党の支配下にあり、言論の自由もなく、党の意向次第で逮捕され、個人が抹殺される社会。それでもそこに生きる人たちは未来に向かって確実に歩いていた。
日本は言論の自由もあり、その気になれば政権も否定することができ、10年前には実際に政権交代により国民の意思を示した。それでも日本は衰退の道を一直線にたどっているように私には思える。
中国共産党は強権を発動させ、アリババ集団をはじめとする世界的企業に制限をかけつつある。これは中国の経済成長にとっては何のメリットもない。一番の目的は中国共産党の権力維持だと言われているが、アメリカのような格差拡大を野放しにする社会と比較したとき、石炭を拾う農村の子供たちを無視してアリババの経営者を優遇するような価値観が本当に正しいのかは、アメリカ、中国、日本のイデオロギーを横に置いて、一度考えてみる価値のある問いだと私は思う。
格差がどんどん広がる世界。その中で世界的なIT企業の活動を制約しようとする中国の政策にどんな意味があり、それがどのような歴史を作っていくのか、アジアで今を生きる一人の人間として見届けたいと思う。
