「それは誰の人生か――医療者であり、娘である私が、“家族の病とともに生きる”を支えるということ」
はじめに
親が病気になることは、どんな立場の人間にとっても、心を揺さぶる出来事です。
私は医療者でありながら、両親の病に直面したとき、何をどこまで口にすべきかに悩みました。
「正しいこと」と「家族の幸せ」は、必ずしも一致しません。
ここに綴るのは、そんな葛藤の中で見えてきた、“家族の病とともに生きる”という支え方のかたちです。
父の病:COPDとともに生きる
父は長年タバコを吸い続けてきました。
年々症状は悪化し、咳、痰、労作時の息切れ…気づけば軽度の肺性心まで引き起こしていました。
通院を勧めても「大丈夫」の一点張り。
仕方なく、「動こうと思う時期まで待つ」ことにしました。
ようやく呼吸器内科にかかり、治療が始まりました。
今は自己注射をしつつ、症状と向き合っています。
私は医療者として、SpO₂(酸素飽和度)やBNP(心不全マーカー)の見方を紙に書き、
「90%以下になったら休もう」「栄養をしっかりとって」「風邪は命取り」などと伝えています。
でも、それを守るかどうかは父次第。
支えるけれど、コントロールはしない、そんな距離感を保っています。
SpO₂(酸素飽和度)は95%以上が正常値ではありますが、父のSpO₂値は安静時で93%でした。農作業をしているので、指の汚れもあり、感知が悪くなっていることで低い数値になっていたのかもしれません。爪を綺麗にしたら、もう少し高い数値が得られたかもしれません。でも、COPDの病態から正常値を維持することは難しいことも多いです。そのため、安静時の数値から、活動時の酸素消費を考えて、上記を伝えることにしました。
母の病:乳がんの告白と決断
母はある日、ようやくこう話してくれました。
「胸にしこりがあるの」
当初「ルミナルA」と聞いており、治療内容との相違があったことで、勝手に主治医への不信感を募らせ、そのことを母に伝えるかどうかを悩んでいました。しかし、改めて医師からの説明資料を確認したところ、HER2陽性のルミナルB型乳がん、ステージⅡAでした。
それでも、私は、抗がん剤治療ではなく、先に手術をしてから薬物療法をした方がよいのではと思っていました。
でも、母は**術前化学療法**を選択。
副作用で下痢も脱毛もあり、2週目はつらそうでしたが、3週目には少し回復しています。
関与するべきか、見守るべきか
正直、治療方針に「本当にこれでいいの?」と思う部分はあります。
でも、母は1週間考え抜いた末、自分でその治療を選びました。
私に「どう思う?」とも聞かなかった。
母は若い頃から、自分で進学し、仕事を選び、自立して生きてきた人です。
そんな人の「自分で決める」という力を、私は信じたいと思いました。
それは誰の人生か?
治療方針に関して、家族が口を出すことは少なくありません。
でも、それが本人の意思ではないとしたら?
高齢だから、情報量が多いから、決められないと思い込んで、家族が決めることもある。
医療者としてずっと疑問に感じてきたこの問題を、家族として経験することになりました。
母は認知症でも寝たきりでもありません。
自立して、言葉で伝えられる人間です。
ならば、最後まで「自分の人生を自分で決める」権利があるはず。
支えるということ
私は、
治療内容や副作用の時期を伝え、セルフケアの方法を説明し、気になることがあれば連絡してね、とだけ伝えています。
「見放された」と思わせず、でも、決定は奪わずに見守る。
これは、親の“命”に関わることだからこそ、慎重に選んだ関わり方です。
姉も相談してくれた
父と母の病気について話していたら、姉が「自分もちょっと気になることがある」と相談してくれました。
受診した方がいいのか、様子を見たらいいのか悩んでいたようです。
ようやく、自分の知識が家族の役に立つ日が来たと感じました。
「こうしたらいいよ」ではなく、
「知ってることを伝えるよ」の姿勢が、家族の信頼を得る道なのかもしれません。
おわりに
医療者としては、正解を追い求めたくなります。
でも、家族として関わる時には、
「正しい治療」よりも、「納得できる人生の選択」が大切なのかもしれません。
母が選んだ治療が、いい結果をもたらしてくれたら、私は本当に嬉しい。
そして、もし違う結果になったとしても、それは母が選んだ人生の形。
私ができるのは、“支える”こと。決めることではない。
それが、医療者であり、娘である私がたどり着いた答えです。
