コーヒーミルで挽く一杯のコーヒー
朝の光が台所の隅にある、
少し油の染みた手挽きのミルを照らしている。
一掴みの豆を放り込む。
黒光りするその粒は、遠い異国の土の記憶を閉じ込めたまま、
硬く黙り込んでいる。
ハンドルに手をかけ、ゆっくりと回し始める。
ゴリ、ゴリ。 掌(てのひら)に伝わるのは、
頑なな結晶が砕け散る確かな手応えだ。
この、骨を折るような、あるいは古い壁を削るような無骨な振動が、
静かな室内に響き渡る。
かつて誰かが言った。
幸福とは、こういう手間隙の別名ではないか、と。
挽き進むにつれて、密やかに閉じ込められていた香りが、
一気に解き放たれる。
香ばしく、どこか切ない。
それは、過ぎ去った時間の断片が、
粉となって舞い上がっているかのようだ。
ドリッパーに置かれた白い紙に、挽きたての粉を移す。
平らに均(なら)し、細い注ぎ口から熱い湯を一滴、
また一滴と落としていく。
粉がぷっくりと膨らみ、
生き物のように小さく呼吸を始める。
紙というフィルターは正直だ。
雑味を留め、純粋な一滴だけを下のサーバーへと導く。
ポタ、ポタ。それは、
一日の始まりを告げる、静かなメトロノームの音。
やがて、飴色の液体がカップを満たす。
湯気の中に顔を寄せれば、旅の記憶が浮かぶ。
どこへ行くわけでもない。
ただ、この一杯を飲み終えるまでの数分間、
日常という名の航海を一時停止させるための、
ささやかな儀式。
