【エッセイ】ゆかたの長浜女性から「オントな人」と言われて。
こないだ台湾の台北市で元アタッカーの藤田氏と落ち合って、二日ほど行動を共にしました。そして帰国したあと、彼との長い付き合いを思い出していたら、突然、藤田氏もからむ、方言に関するちょっと古いことを思い出しました。
もう三十年近く前になるでしょうか。
滋賀県の湖東、長浜周辺の、男三人で初めて入ったスナックで、バイトしていた若い女性から、私はある言葉をかけられたのです。その日は七夕(たなばた)も近いというので、ママさんも含め四人ほどいた店の女性はみんなゆかた姿でした。そのうちの一人が微笑みながら、私に対してこう言ったのです。
「オントな人やねぇ」と。
オントな人?
「オント」の発音の高低は、「低低高」でした。
「オントな人やねぇ」
初めて聞く言葉で、何のことか分かりませんでした。
しかし彼女が、私に配慮した気持ちで言ってくれていることは、なんとなくわかりました。
「オントな人ってどういう意味ですか?」
私は素朴に聞きました。
「え?通じない言葉ですか?」
と彼女は驚きました。
「ええ、聞いたことのない言葉です。この辺の言葉ですか?」
「幼いころ京都で育って、長浜に引っ越してきたので、どちらの言葉かよくわかりません」
「オントな人の意味は?」
「ええっと」
と言って、彼女はこう答えました。
「そうですね。あなたのように、穏やかで、静かな人のことです」
「ほう!」
私は納得しました。
確かにその場で、私はきわめて穏やかで静かな人でした。
四人掛けのテーブルの同じ席には、件(くだん)の藤田クン、つまり「ラブアタック!」の元アタッカーで、当時のびわ町役場に勤務しながら、地元で演劇集団「北近江夢幻塾(きたおうみむげんじゅく)」を主宰していた藤田クンと、さらに同じ滋賀県で別の演劇集団を主宰している男性が向き合って座っていました。そしてふたりは熱心に演劇論を戦わせていたのです。
藤田クンの横に座った私はその論議には加わることができず、穏やかに二人の熱いやり取りを見守っていました。私はいちおう、テレビバラエティ演出のプロはあっても、演劇については素人で、口をはさむ余地がなかったのです。
議論からあぶれ、静かに微笑んでいる私の様子を見て、目の前に座っていたゆかたの女性、お店のアルバイトらしいホステス嬢は私のことを、
「穏やかで静かな人」
と理解して、京か長浜、どちらかの方言で、
「オントな人やねぇ」
と言ったわけでした。
七月の夕方、まだ明るい中、飲み会はお開きとなって、私がいつものように奢りました。カード払いはできないと言われ、しかし日本円が足りないので、先の海外旅行で余った100ドル札をママさんに受け取ってもらったのを覚えています。
湖西の海津の実家に帰り、「オント」を試しに『邦訳日葡辞書』(岩波書店)で調べてみました。『日葡辞書』は、ポルトガル人宣教師が、日本へのキリスト教布教のため、1903~4年に編んだ当時の京都語の辞書で、書きことばだけでなく、卑語・俗語を含む話ことばもふんだんに盛り込まれています。つまり、この辞書を読めば、当時の京のみやこ人がどんな言葉をしゃべっていたかが分かるのです。
『邦訳日葡辞書』には、こう書かれていました。

写真に見るように、辞書には、
「ヲンタゥナ(穏当な) 穏やかで静かな(人)」
と書かれていたのです。
「ヲンタゥナ」のうち「タゥナ」は室町時代の発音で、現在なら「トウナ」と発音します。「ヲ」は「オ」ですね。従って「ヲンタゥナ」は現在なら「オントウナ」となるわけです。訳者が「穏当な」と表示したのは正しい解釈だと思います。
『日本国語辞典』によると、この言葉、この意味の、もっとも古い例は、次のように京の文献、抄物(しょうもの。禅僧の講義録)の『玉塵抄(ぎょくじんしょう)』に現れています。
*玉塵抄〔1563〕一四
「唐人の老人や詩人文人貧者は馬にのるぞ馬上で詩句を案ずるぞ、おんたうではやうないほどに物を案ずるによいぞ」
と、1563年に見られるようです。「穏当な」は、16世紀になって京の都で生まれ、普及した言葉かと思われます。
1563年や1903~4年のころの京ことばが、1997年の長浜のゆかたのお姉さんに受け継がれていっていたのは明らかでしょう。ただし「穏当(ヲンタウ)」そのままではありませんでした。「穏当(ヲンタゥ)」だった四文字が、「オント」とつづめられて表現されていたからです。
そこで、『日本国語大辞典』でさらに探りを入れてみました。この辞書には、「おんと」が立項されており、こう書かれていました。
おん‐と[ヲン‥] 【穏当】
解説・用例
〔形動〕
「おんとう(穏当)【一】」の変化した語。
*浄瑠璃・博多小女郎波枕〔1718〕長者経
「おっとこなたへ来給へと、ていしゅにつれて立廻る女郎もゐなかはおんと成」
徳川時代になってすでに一世紀を過ぎた1718年に、近松門左衛門が大坂で書き、竹本座で上演された浄瑠璃、『博多小女郎波枕(はかたこじょろうなみまくら)』に、
「女郎(じょろう)も、田舎はオントなり」
とあります。
「女郎といっても、田舎では、穏やかである」
といった意味でしょう。
この時すでに大坂では「オント」とつづまっていました。文化の先進地だった京ではもっと早い時期、つまり徳川時代初期には「オント」とつづまっていたことでしょう。
『日本国語大辞典』では、「オント」が「おとなしいさま。すなおなさま。」を現わす「方言」として、採取された地域を明示しています。見てみましょう。
方言
(1)おとなしいさま。すなおなさま。
《おんと》
新潟県西頸城郡382岐阜県養老郡498島根県簸川郡・大原郡725香川県三豊郡829愛媛県840
新潟県や岐阜県の一部、島根県の一部、そして香川県三豊郡や愛媛県でも「オント」は、過去の方言集で拾われています(三桁の数字は、方言集が個別にナンバーリングされたものです)。
この分布を見れば、京都を中心とした周圏分布をなしているものと考えられます。
ただし滋賀県や京都では、過去のどの方言集でも拾われていません。もしこれが京都か湖東の方言だったら、なんと、私は新たな発見をしたことになります。
私は前の週、台北で別れたきりになっていた藤田氏にラインして、
① 「オント」を私がスナックで耳にしたのはいつのことだったのか?
② 「オント」はもしかして、長浜方面の言葉だったのか?
このふたつを問い合わせてみました。
以下はふたりのやり取りです。
藤田: あれは1997年のことですよ。松本さんがテレビ制作部長になっていたことを覚えています。
松本: なるほど、もう29年も前。
藤田: スナックは、湖北町の国道に面した店でしたね。松本さんから焼き肉を奢ってらったあと、三人で初めて入った店でした(湖北町はその後、平成の大合併で、長浜市に編入された)。
松本: 「オント」は、湖北の言葉?
藤田: 「オントな人」、これは我がびわ町でも使いますよ(びわ町も平成の大合併で、長浜市に編入された)。今は年配の女性がよく使う言葉です。
松本: そういえばあのお店のママさん、なかなかの美人でしたね。7、8年あと、あなたが芝居をやった時に、借り上げた長浜駅近くの、なじみの沖縄料理店めんそーれで打ち上げをしましたが、そのときには、彼氏と一緒に顔を出してくれてましたね。
藤田: あれからあと、少しは通いましたからね。湖北町の店では彼女はママさんではなくて、雇われたチーママでした。今は場所をもっといいところに移して、ちゃんとママとしてお店を経営しています。彼女はもともと長浜市の出身です。ママにも聞いてみましょうか、「オント」のこと?
松本: それはぜひ!
藤田: あのママ、あのときの彼氏との間に子供ができましたが、できたあと男は逃亡しました。
松本: あらま。どうやら「オント」な男性ではなかったようですね。
藤田: でも、息子はもう大学生になっていて、男前で、店を手伝っています。この子がいてくれたおかげで頑張れたと。
松本: なるほど。
しばらくして、藤田氏からまたラインが入りました。
藤田: うちの嫁さんに聞くと、びわ町に嫁いできて、初めて「オント」という言葉を知ったそうです。嫁さんの出身は近江町(平成の大合併で、米原市に編入)なので、ちょっと南になります。ママさんにも聞きましたよ。旧長浜市でも「オント」は使われてきたそうです。
松本: なるほど、湖東の北部、けっこう広く残されてきたのでしょうね。29年前のゆかた女性の『おんと』は、現代の京の言葉でなく、長浜の言葉やったんですね。
七夕のころ、一度また、一緒にお店に行ってみましょうか。
藤田: いいですね!
松本: 今度はドルでなく、円を持って。
藤田: ……いや今はもう、カードも使えるようになってますよ!
さて私は長浜で、「オント」でもあった29年前の私に再会できるのだろうか。
