海の国再興譚 ー悪女と腹黒王の契約ー22
第22話 やっぱり女の子はみんな可愛い
「シーア、様っ」
突如現れた国王の婚約者シーアに少女達に動揺が走り、カリナは我に返った。
思わず右手を耳の上にすき入れるようにして髪をつかんでしまう。
危うく、手が出るところだった━━
己の浅はかさに微かに手が震えた。
「もうすぐ音楽が変わる頃です。会場に花を添えていただけると、わたくしも嬉しいのですが」
たおやかな様子ながら、会場に戻れと、とても分かりやすい指示だった。
三人の令嬢たちは慌てて礼儀作法にのっとった礼をとり、その場を足早に去る。出遅れたカリナも同様に礼を取って下がろうとしたが、そこに声が掛けられた。
「髪、直していきましょう?」
驚いて顔を上げれば、美女は少女の様子をうかがうように小首をかしげていた。
「喧嘩を仕掛けておいて親を出すのは、ルール違反というものです。よく我慢されましたね」
美しい人はそう言ってくれるけれど。
自分は我慢など出来なかったのだ。
優しい声にかぶりを振りたい気分だったが、そっと細長い手が伸びて金色の頭に触れるのでそれは果たせなかった。
「どうしましょう。直すには、はじめからになるかしら……」
そう言いつつシーアはごく自然な流れでベンチにカリナを座らせるとレースの手袋を外して乱れた髪の状態を確かめる。
チラリと脇を見やると、そこにはすでに侍女が控えていた。
「失礼いたします」
侍女はなぜか、申し訳なさそうにカリナの髪の状態をのぞき込んだ。
「これで隠れないかしら」
シーアは首を傾げながら自分の耳元の花に手をやった。
「ご自分で取らないでください、シーア様までぐちゃぐちゃになりますから」
侍女は慌てた様子でシーアの動きを制すると、カリナが留める間もなくシーアの髪から白い小花の束を取ってしまった。
まさか、そんな。
カリナは顔面が蒼白になる思いだった。
「もう一つお花があるから大丈夫ですよ。これはわたしには可愛らし過ぎるようですし。気になさらないで」
少女を気遣うシーアの言葉に、侍女は小花を手に思い起こす。
もう一つの候補だったあれは今日のお顔が派手だから、毒々しくなりそうだったのだけれど。
少しばかり不安に思っている侍女にシーアは手の平をむけて小花の束を催促して受け取ると、女性にしては大きく、縦に長い印象のある手でカリナの髪に触れた。
「こんな可憐なお花は可愛らしいの方が合うでしょう。ああ、ほら。やっぱり可愛いらしい。乱れたところも見えくなりましたよ。あぁ、本当にお可愛らしい。まるで妖精さんのようですね」
可愛い可愛いと繰り返し、出来映えにすこぶる満足そうにして立ち上がったシーアはカリナに手を差し伸べる。
吟遊詩人たちが黒曜石のようだと紡ぐ瞳は、それは生き生きとしていた。その瞳から目を放せず、自然とその手を取ってしまってからカリナははっとする。
それほどまでに美女の仕草は自然だった。
「申し訳ありませんっ。ありがとうございました」
事もあろうに国王の婚約者手ずから髪を直してもらった挙句、紳士の真似をさせるなんて━━血が引くのを感じた少女の心境は絶望に近かった。
「とてもお可愛らしいのだけど、その花はもうみんなに見られてしまっているから、また何か言われてしまうかもしれません。控えで変えた方がいいでしょう」
「あ、はい、いえ、お気遣いいただきありがとうございました。大変申し訳ございませんが今夜はもう、退席させていただきたく思います。本当に、本当にありがとうございました」
繰り返し礼を取っているところへ、夜会の警備のため見回りの最中であった短髪の護衛隊隊長グレイが現れた。
「……こんばんは、お嬢さん」
グレイは初めて見るその組み合わせを見比べ、明らかに当惑しているカリナの様子にぴくりと眉間に皺を寄せてシーアを睨んだ。
「お嬢さん、こいつにからまれてんですか?」
シーアに対し、相変わらず失礼な物言いだった。カリナへの問いかけもまた意外なほどに砕けており、シーアはちろりとグレイを見やる。
カリナは養父オズワルド・クロフォードへ先に帰宅する旨の伝言をグレイに依頼して退席した。
カリナにとってグレイは養父の直属の部下で知己の仲だ。加えて同じ北方の出身であるため、他の大人達より幾分話しやすい人間でもあった。
少女の背を見送ったグレイは、隣に立つシーアを上から下まで一瞥する。
世界各国を航海してきた彼女は、地域によって異なる化粧方法を組み合わせる事で別人のように姿を変える技術を独自に確立していた。
「お前やりすぎだろ。詐欺じゃねぇか」
カリナが充分遠ざかった事を確認してから、普段の姿とはまるで違う化けっぷりに実に嫌そうに言った。
オーシアンの黒真珠とか、本当に勘弁して欲しい。
シーアはグレイの言葉に気を害した様子もなく、勝ち誇ったような笑みを浮かべただけだった。
そうしていると腹に一物はらんだ、癖のありそうな美女にしか見えないのがまたグレイを腹立たせる。
「あの子知ってるの? あんな可愛い子と知り合いなんて意外だったよ」
にやにやと楽しそうにシーアが尋ねれば、グレイは仏頂面で口を開く。
「元帥のお嬢さんだ」
「オズワルドの? へぇ……」
意外そうな顔をした。親がオズワルド・クロフォードであればあんな嫌味を言われるいわれはない気がするが━━
左の口角の上をレースのグローブをはめた指でなぞる。
「おい。あの子はだめだ」
シーアの思惑に気付いたグレイが厳しい声で言うので、彼女は驚いたようにグレイを見上げた。
「え、狙ってんの?」
「違ぇよ。あの子は元帥の知り合いの酪農家の生まれだ。出稼ぎ希望で元帥の家に下宿してたけど、いろいろあって養女になっただけだ」
だから、レオンの嫁にするには可哀想だと言いたいらしい。
グレイは少女とは同郷なのだと言った。
なるほど、それでか。
シーアは令嬢たちの当てつけの意味と、グレイを見た時に少女の緊張が少しだけ和らいだ理由を知る。
それから口元に手をやったままシーアは唇を尖らせた。
「そっか、残念。まぁ宰相まがいの人間の娘さんはさすがにまずいかぁ」
権力が偏り過ぎてしまう。
そういう配慮は出来るのに、どうしてレオンにだけは残虐非道なのか。グレイは苛立った。
現在この国でレオニーク・バルトンのお妃選出に最も力を入れているのは、実はこの婚約者だ。
『婚約ごっこをしてる間にいい子がみんな売れちゃったらわたしの二の舞だぞ。今のうちにめぼしい子を確保しとかないと』
そう言ってお妃選びに余念がない。
夜会で外に出たカリナ達をわざわざ追いかけたのも、そのためである。
海賊まがいの人間を王妃になど、馬鹿げている。
非常識にも程がある。
この婚約に乗り気である上司オズワルドに反してグレイは否定的であるが、幸いにもシーア本人からもその気は微塵も感じられなかった。
この女は仕事が終われば確実に出て行く。
こいつはそんな人間だ。
その点ではグレイは少しばかり安心できた。
彼女を認めるようで癪な気がするのも否めないが、その点においてだけは信頼に足る人間だと思っている。
グレイは北方の山岳地帯の出身である。
海岸線に近い人間と違い彼等はドレファン一家に対する知識が少なく、彼等に対する認識も違う。
海に生きる人間は親しみと尊敬、そして畏怖を込めて「海王率いるドレファン一家」と呼ぶが、内陸の人間になるほど「海賊まがい」という印象を持っていた。
よって彼女が国王に対して一線引いた態度を取るのは、彼としては歓迎すべきであるはずであった。
しかし、つい思ってしまうのだ。
こいつひでぇ。鬼だ。
懸想する相手にこんな仕打ちを受けている親友。
同じ男として考えた時、どうしても同情を禁じ得ないのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆
帰る間際、カリナ・クロフォードが振り返った先にはピンクから中央に向かって赤紫になるグラデーションが美しい、大きな八重咲きのダリアを髪に飾った先ほどの佳人の姿があった。
それは確かに、白い清楚な小花よりもよほど濃紺を纏う婚約者に似合っていた。
その夜遅く、化粧を落とし普段の麻のズボン姿になったシーアはいつものように国王の執務室を訪れる。
「おつかれさん。参考までに聞くけどさ、十歳以上年下ってどう?」
部屋に入るや否やそう尋ねられたレオンは、それは嫌そうな表情を浮かべると実に冷ややかな視線を婚約者に向けたのだった。
