海の国再興譚 ー悪女と腹黒王の契約ー30
第30話 人質は押しかける
式典が執り行われる当日、海の国最大の港では早朝から祝砲が鳴り響いた。
それは予行にしてはしつこいほどに多く、驚いた事に10回以上にのぼった。
他国の王弟まで出席する大規模な式典である。
「さすが進水式。気合いが違う」
人々がそう笑いながら、いつまでも続く轟音に期待に胸を膨らませていた頃、北の台地の国境近くの海域では早朝の霧の中、漁を行っていた若い女が拿捕される事件が起きていた。
国は式典当日、周辺海域での漁を禁止していた。
商船や漁船といった一般の船も国内の他の港に移動するよう三日前から通達が出され、会場となるオーシアン最大の港に浮かぶのは造船したばかりの軍用船と、海軍の船のみとした。
移動を希望する船員達を国家所有の貨物船で送り届けるという配慮を見せた事もあり、みな素直に従った。
慶事と国の思いがけない手厚い対応に国民は国王への好感を高めていた一方で、女は式典会場から離れたレイスノートとの国境際の海域ならば取り締まりもないだろうと思ったのだろうか。
普段とは違う海域に船を出したのだろう。それが徒となった。
身寄りのない女だったのか行方知れずとなっても捜す者はなく、その不幸な事件は発覚する事はなかった。
両腕を後ろ手に縛られ、怯え切った顔で男達に船橋に連行される漁師の女。
男達の言葉はオーシアン周辺の言葉ではなかった。
言葉の通じぬ相手に一層怯え、足がもつれる女は机に広げられた海図に上半身を押し付けられる。
乗せられた海賊船の船長と思しき男は、通訳の出来る人間と他の船の船長達を呼ぶよう怒鳴っていた。
『この辺りの潮は分かるか?』
言葉が通じなくても分かるだろう? とばかりに一家の首領は机に押し付けられた女を見据えたが━━
乱れた黒髪の間から男を見上げる女の目に怯えはすでになく、そこにあるのは見透かすような静かな目。
『通訳は要らない』
女は突如男たちの言葉を放った。
『船を失いたくなければ、わたしと組みな。今日の海は荒れるぞ』
女の体を押さえつけていた男が驚いた様子で咄嗟に女を乱暴に引き起こした。
その動きに合わせて船員の腕をひねり上げ、女は男の喉仏の下のくぼみに揃えた指二本を突き入れる。
気管を潰され呼吸が出来なくなった男はくぐもった声を上げ、苦悶の表情を浮かべて口をぱくぱくと開閉させた。
首領を見据える女の足元には、長袖の袖口に仕込んだ小さな刃物で切断したロープが落ちていた。
一言。
この肝心な一言で、自分の身の安全はほぼ保証される。
それは危害を加えられる前に、宣言しなければならない。
『わたしに傷一つ付けてみろ。交渉決裂でオーシアンは砲撃して来るぞ』
言い放った。
『オーシアンは撃って来ないと言われているんだろう?』
知っているぞ、と薄く笑みを浮かべる。
『わたしの婚約者を怒らせるなよ』
声を張る事もなければ、怯えも緊張もない、落ち着いた声。そして女の顔は経験と実力によって得た人間特有の、なんとも凄みのあるそれだった。
『まさかお前……海姫か?』
海賊船の首領は信じられない物を見るような目つきで問うた。
オーシアンにて、国王の婚約者として式典に出席すると言われている人間だ。
答える代わりにシーアは唇を片方だけ上げて目を細め、その辺りの男であれば背筋を凍らせるような凄惨な笑みを浮かべる。
そして二十に及ぶ海賊団の中でも勢力の強い五つの一家の名を挙げて、船長を集めるように言った。
『通訳を乗せてる船の連中には知られるな。レイスノートのまわし者の可能性が高い。急げよ。さっさとしないと式典が始まる』
指名した船長達が集まると、厳しい表情の彼等に一転して軽い調子で問いかけた。
『前金はどの位もらったの? へえ、半分は領収済みか。しっかりしてんじゃん。奴らとの取引はここまでにしときな。ここからはわたしと組みな』
シーアの横暴な態度に、集まった数人の各一家の首領達は鼻で笑った。
『請け負った仕事を途中で反故に出来ると思うか?』
男の言葉に、シーアもまた馬鹿にしたような笑いを返す。
『本当にオーシアンの港を包囲するだけで済むと思ってるのか?』
彼らがオーシアンの港を包囲するだけの簡単な仕事だと言われている事を、レオン達は把握していた。
もちろん今回もレイスノートは素性を隠して依頼をかけていたが、これだけ多くの海賊や半商半賊に依頼を出したのだ。
彼等も疑ってかかり、下調べや背後関係は調査している。
当然、海賊達も依頼者がレイスノートである事は薄々把握していた。
『ずいぶんとおめでたい頭だね。レイスノートはオーシアンに恩を売りたいんだよ。オーシアンに砲弾の無償提供を申し出る気だろうな。砲台も何機か港の倉庫に運んでるのは確認済みだ』
シーアは海賊達の疑問に答え、反論を順に論破していく。
『こっちが撃たなきゃ向こうは撃って来ないと思ってるだろ。レイスノートの手がかかった船が混じってるぞ。こっちから撃つ手筈になってるだろうな。そうなりゃむこうは一斉砲撃してくるぞ』
楽しそうに告げ。
『万が一の事態になっても港には傷つけるな、とか言われなかったか? レイスノートにとっちゃ港が壊滅状態になるのは本末転倒だからな。随分と不利な話だと思うがね』
揺さぶりをかけ。
『わたしをレイスノートに売るか? いいぞ。そうなりゃお前達はオーシアンとドレファン一家を敵に回すことになるな。海で生きていられると思うなよ。この年で親の威光を笠に着るのも気に食わないが、うちの父は親馬鹿だぞ。今日も会場には父の名代で操舵士と、祖父代わりのセドリックが来てる』
脅迫する。
ドレファン一家の操舵士は海王の娘婿であり、ドレファン一家の船員セドリックとは稀代の砲撃手として名の知れた人物だ。
そして最後に、シーアは実に不敵な笑みを浮かべた。
『それに━━オーシアンにも人質が来てるんだよ』
