海の国再興譚 ー悪女と腹黒王の契約ー34
第34話 御託はいい。着替えさせろ。
「残念だな」
シーアは歯をかちかちと鳴らせながら、落ち着ちついた感情のこもらない静かな目でグレイを見上げる。
「一番、信用出来る奴を寄越せって言ったのに。あいつも人を見る目がない」
気丈に紡ぐ声は、歯が鳴る為いつもより小さい。
この女は本当に。
言う事がいちいち気に障る。
グレイは持ってきた分厚い外套を乱暴にシーアに投げつけた。
「行くぞ」
頭から被せられた外套の中でシーアは一人笑った。
「わたしを殺す気ならとっくに遠くから射殺してるだろうが。だいたいお前、間者が務まるほど器用な人間じゃないだろ」
震えながら、それでも愉快そうに喉を鳴らす彼女にグレイは舌打ちする。
「矢傷があれば間違いなく俺が疑われるじゃねーか」
無駄だと思いながらも一応言い返し、グレイは外套ごと荷物のように肩に担ぐと林の向こうに隠すように停めた荷馬車に向かった。
今日も幌付きの荷馬車で、乗り心地は最悪だ。それでも風がしのげるのだけでもありがたい。
冷めないように焼いた石と一緒に毛布で包まれていた水筒を口に添えられ、温められた砂糖入りのヤギの乳を飲まされて驚く。
こんな物まで用意しておいて自分が裏切り者などと言って人を試してくるんだから、こいつも複雑だな。
シーアは盛大な憎まれ口を叩きたいところだったが、それさえ出来ないほど疲弊していた。
濡れた状態に冷たい強風が吹きつけた事で、わずかに残されていたなけなしの体力も全て奪われてしまった。
「……ほんっとーに申し訳ないんだけどさ。着替え、手伝ってくんない?」
手足の感覚はとっくになかった。
「てっめぇ! 女手がいるなら先に言っとけ!」
グレイの怒号にシーアも怒気を込めて反論する。
「お前がうだうだ言ってるから冷え切ったんだろうが。女の服脱がすなんざ初めてでもないだろ? 責任は取ってもらうからな」
低い声で言って、恨みがましくグレイを睨んだ。
「こっのアバズレっ」
思わず罵ったグレイに、シーアは小さくため息をつくように力なく笑う。
「まさかこんなに体がなまってるとは、思ってなくてさ」
情けないもんだ。
この半年、ほとんど泳いでいない。
勘を取り戻すため、ここ数日少しは泳いだがやはり不十分だった。
体が重い。
腕が上がらず、着替える気力さえ沸かない。
紫色の唇の奥でカチカチと歯が鳴り続け、自身で抱きしめるような体勢の体も震えていた。
そんな彼女の様子を見て、グレイは眉間に皺を寄せる。
まずいな。体が冷え切っている。
山賊からの護衛をしていた頃、北の山岳地帯の冬の寒さに慣れない商人達が低体温で体調を崩すさまを幾度も見てきた。
逡巡し━━
「だぁっ! くそ!」
一吠えし、頭を掻きむしってから着替えを手に取った。
彼は三人の姉を持つ末っ子長男である。幸か不幸か、異性だと思えない女の扱いには人一倍慣れていた。
背後に回ったのは極力見ないよう気を遣っているのだろう。
苛立ちの頂点を極めているらしく、シーアは恐ろしく雑に扱われた。
背後から憮然とした声がかかる。
「お前ら、いつもこんな仕事してんのかよ」
そうだと言うのなら、海王率いるドレファン一家が海姫を船から降ろしてまで仕事を整理したがるのもうなずけた。
こんな依頼が来るのであっては、命がいくらあっても足りない。危険すぎる。
しかしシーアは馬鹿馬鹿しいとばかりに否定する。
「こんな依頼なら絶対断るって。誰が仕事でここまでするかよ。そんな訳ないだろ」
シーアは実に嫌そうに言った。
養父ウォルターの教えは『命あっての物種』である。
グレイは訝しむように眉間に皺を寄せ、目を細めた。
━━?
じゃあなんで、ここまでした?
海姫がこの国のため、ここまで動く義理はない。
朴訥なグレイも、さすがに嫌な想定が浮かぶ。
あいつのため、とか言うのか━━?
聞きたくはないが、思わず口をついて出た。
「……お前、結局あいつのことどー思ってんだよ?」
「どいつ?」
ややぼんやりとした口調で、疑問は疑問で返された。
「レオンしかいねーだろうが」
「あぁ……」
納得したようにシーアは唸った。
そして、口を開く。
「すごいやつだと思ってる」
疲労のためだろう。それは深い吐息とともにそれは紡がれた。
もとより誤魔化されるのは分かっていた。よってグレイはそこで追求の手を緩める気は無かったのだが。
「寝てもいいと思ったのは、あいつくらいだ」
「は━━?」
グレイは思わず彼女の濡れた後頭部を見た。
え、お前、それ━━
鼓動が大きくなり、激しい動悸を感じる。
そもそもその言い方って、お前まさか。
海賊まがいの職業なのに━━
あぁ違う、今はそこじゃなくて……
「━━お前。それ、あいつに言ってやれよ」
「言ってどうなる」
動揺を抑え込んで告げたグレイの言葉に、彼女は力無く笑った。
そんな状態でも馬鹿にしたように笑うのだから大した根性だとも思うが、低体温のため軽い意識の混濁が現れ始めているように見えた。
いつになく正直に話しているような気がするのはそのせいだと思った。
護衛隊隊長は知らなかった。
シーア・ドレファンという人間は、極限まで眠くなると途端に言動が素直になる事を。
本音がだだ漏れになる性質である事を。
この女は、仕事脳かと思っていたが実は考えが深いのだろうか。
男のためにここまで体を張って、しかし真意を伝える気はないというのならば、それはとてもけなげな事ではないだろうか。
けなげ、とはどうしても表現しにくい女ではあるが。
かと言ってそれを知った他人があれこれ手を回すのは本人の望むところではないだろうし、それをする気にもなれない。立場的にも。
しかし、人としての良心がざわざわと不愉快に歪む。
海姫の愛情表現はとても湾曲していて、恐ろしく危険で激しい。
こんな物騒な話は聞かなかった事にする。
それが得策だ。そう自分に言い聞かせた。
そして一つだけ、誤解を詫びる意味で言った。
「お前、意外とアバズレじゃないんだな」
「なんだそれ」
シーアは力なく鼻で笑った。
それが彼の詫びだとは、当然分かるはずもなかった。
着替えを済ませた後、頭のてっぺんからつま先まで顔以外を蛹状に毛布で巻かれ、毛布で包んだ焼けた石を抱かされる。水筒を温めていた石は適温になっていた。
「きついだろうが寝るなよ。寝たら震えが止まる」
自分自身で体温を上げる機能を止めれば、命にかかわる。
それは冬の海の経験があるシーアも理解していた。
グレイに道中何度も声を掛けられるのに感謝しながら、彼女は猛烈な睡魔と奮闘する羽目になる。
