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海の国再興譚 ー悪女と腹黒王の契約ー25

第25話 そうだ、チーズ買いに行こう その3

 翌朝の出発もまた早かった。カリナの生家までは距離があり、酪農家の家だ。また荷馬車での移動となった。
 事前にカリナに外で火をおこしていいかと確認していたシーアは、上機嫌で道すがらチーズとソーセージを調達する。

 カリナの生家は小さな石造りの、この地方ではごく一般的な家だった。
 馬車を降り、三年振りになる景色を見渡して少女は自然と表情をほころばせる。
 どこまでも続く斜面の遥か向こうの、羊の群れらしき点の集合に向かって大きく手を振った。

「姉と弟です」
 彼女はそう言ったが、海育ちで目がいいはずのシーアにも、人らしき点は見えても性別までは分からなかった。

 感動の再会の邪魔をするつもりはなかった。
 家から離れた場所に木々を焼いた跡を見つけたシーアは、カリナに許可を取りそこで火の準備を始める。
 火をおこすにはコツがあるが、彼女のあまりの手際の良さにグレイは呆れた。
「実に庶民的な婚約者様だな。こんな野生児が国王の婚約者とは、笑わせる」
「お前達には無理を言ったからな。お詫びにレオンからせしめて来てやったぞ」
 そう言って取り出したのは、酒瓶。

「……黙って持って来たのか」
「まっさかぁ。ちゃんと聞いて、ここのチーズに合うのを持たせてもらったぞ」
 シーアは弾むような口調で言って笑った。
 滅多にない、けれどここぞとばかりの婚約者のおねだりに、国王があっさりと応じた結果である。

 彼は『浮気はしないように』そう軽い口調で本心を述べつつ、シーアに棚から酒を選んでやった。
『今そんな事したら契約違反だろうが。わたしがそんな真似すると思うか?』
 見くびるなと言わんばかりに返され、レオンは安心と落胆の入り混じった複雑な感情を抱いた。
 彼女がグレイを気に入っている事にレオンは気付いていた。もちろん人として、であるがだからこそ「身の安全を確保するため」に彼の寝室を狙わないとも限らない。
 奔放な婚約者を国王は時折持てあましていた。

 カリナの姉弟が戻り、三人は家へと向かう。
 さっすが、姉ちゃんも可愛いなぁ。
 こちらに向かって会釈するカリナの姉を見たシーアはそう、にやにやと口元を緩めた。
 それとはなしにその背を見送り━━━手を止める。
 作業の手を止め、体を起こしたシーアの様子に気付いたグレイはその視線の先を追い、そこでカリナが老父に締め出される光景を見た。

「おじいちゃん!」
 木の簡素な扉を叩き、カリナは声を張る。

「おい」
 黙ってそちらへ足を向けるシーアをグレイが低い声で呼び止めたが、彼女は止まらなかった。
「おい」
 再度呼び止められ、やや強い力で肩をつかまれる。
「蹴破ったりしないって」
 シーアはカリナに視線を向けたまま、グレイの手をすり抜けて行った。
 
 ドアに両掌を当てたカリナの背後に近寄れば、困ったように彼女は振り返る。何か言いかけたが、その代わりに美しい目元から涙が浮いた。
 ドアが開いて姉が同じように困った顔で出てくる。
 カリナの祖父は、会いたくないという。
 帰れと、言うのだと。

 国王レオニーク・バルトンにつき従うオズワルド・クロフォードがカリナの父親と知り合ったのは、先代の国王が崩御する以前の事だ。
 北方貴族に招かれ、狩りの行事に訪れた。
 不慣れな北の大地にて斜面を滑落したオズワルドを救助したのが、羊飼いであるカリナの父親であった。
 怪我を負ったオズワルドを自宅へ連れ帰ったのが始まりだった。 
 羊飼いは彼の両親と、カリナ達四人の七人で暮らしていた。カリナの母はすでに亡かった。

『カリナは本当に賢いな』
 親交を深めるうちにオズワルドはカリナの知能の高さに気付き、訪れるたびに本を贈り、言葉や数字を教えるようになった。
 息子しかいない彼は、自分になついた羊飼いの二人の娘達を可愛がった。
 その後、国王が崩御し国が乱れる中、彼等との親交は途絶えた。

 レオンが帰国後、彼の母の元を使いで訪れた際、羊飼いの家にも寄ったオズワルドはそこで友とその母親が事故で亡くなったことを知った。
 残された老翁と孫4人の生活は第一子である長男が働けるようになったとはいえ苦しく、12歳だったカリナはオズワルドに王都にて徒弟として働くことを希望した。
 彼女の才知を知るオズワルドは後見人となる事を了承したのだった。
 
 シーアは声を殺して涙を堪えるカリナの肩をそっと抱くと、優しく胸に引き寄せた。
 そんなシーアの様子に心を許したカリナの姉は、妹にも聞かせるようにシーアに向かって口を開く。

「お爺ちゃんはカリナに苦労させたくなかったけど、カリナは強引に出稼ぎに出て、養女になったから、今顔を合わせたらつらくなるんじゃないかって気にしてるんです。養女として上手くいってるならそれでいいって」
 シーアは木の扉を見詰めたまま黙って聞いていた。 
「話をさせてもらってもいいかな」
 返事を待たず、カリナを姉に託すとシーアは右手を木の扉に当てる。そして静かに語りかけた。

「ずっと戻ってないって聞いて、無理に連れてきたのはわたしなんだ。すまない。あの子を責めないでやってくれ」
 シーアはゆっくりと紡ぐ。独白のように言いたいことを言いたいだけ述べ、話の終了を伝えるつもりで沈黙する。
 内部で人が動く気配を悟って扉から離れれば、ややあって扉は開かれた。
 おずおずと姿を現した老翁は、新たに涙を溢れさせたカリナを抱きしめたのだった。

「お前、何言ったんだよ」
 抱き合い、家に入る彼等を背に焚火に戻ったシーアに、グレイは怪訝そうに尋ねた。
「大したことじゃないよ。先は長くないんだから今のうちに会っとけ、みたいな?」
 ひでぇ。
 身も蓋もねぇ━━
 普段あまり表情の変わらないジェイドでさえ少しだけ目を眇め、グレイは聞くんじゃなかったと思った。

 こんな女とこれから酒盛りとか、出来る気がしない。
 そうは思ったが、癖のあるチーズと、シーアが持参していた炭で焼いたソーセージ。
 そして何より王室御用達の酒。それも三本もだ。
「グレイは大酒飲みだから」とレオンが気を利かせた。
 シーアとグレイの好みを考慮しつつ、チーズに合うものを選んだ国王の功績は大きい。おかげで二人の酒宴は食を楽しむ事で思いのほか滞りなく執り行われたのだから。

 若いジェイドは酒に強い方ではなく、任務に差し支えるからと酒量はかなり控えめだった。
 その代わりに、実によく食べた。
「お前、細いのによく食うなー。もっと買っときゃ良かったな」
 それはシーアが感心するほどで、カリナの姉が差し入れにパンを届けてくれたのが本当にありがたかった。

「あいつはもうずっとこんな事してないんだろうな」
 炎を見詰めたままシーアは不意に呟き、その思いがけない発言に完全に不意を突かれたグレイは思わずむせ込む羽目に陥った。

 あの時カリナは、姉に抱かれながらシーアの言葉を聞いた。
『なぁ、爺さん、部外者のわたしが言うことじゃないんだけどさ、今のうちに会ってやってくれないかな。爺さんもあの子の為を思ってのことなんだろうけどさ』
 扉の向こうに人の動く気配が無いことが、話を聞いているもの受け止めてシーアは続けた。

『最近わたしは父を亡くしてね。ほんとに突然のことでさ、もっと話しとけば良かったとか、もっと色々してやりたかったとか、すごい考えたよ。誰でも、いつどうなるかなんて分かんないだろ。あんたに何かあったら、あの子は苦しむことになると思わないか? あの子は王都ですごい頑張ってるよ。そんなあの子に、わたしみたいな思いはさせないでやってほしいんだ』
 彼女のそれは、とても穏やかな声だった。

 のちにグレイは機を見てカリナに尋ねた。
「あいつ、なんかとんでもない事言ったんだって?」
 聞かれたカリナは首をかしげた。
「とんでもない、と言えばそうなのでしょうか……」
 戸惑い気味に内容を説明してから、最後に心底困惑した顔になる。

「シーア様の御父君は……」
 確かに一度は死んだとされていたが。
「若い嫁さんもらって元気にやってるはずだな」
 グレイは苦虫を嚙み潰したような顔で、唸るように言ったのだった。

 祖父や姉にシーアの身分を尋ねられたカリナは説明に大変苦慮した。
 国王の婚約者であり、その父君は海王でご健在、などと言えようはずがなかったのである。

#創作大賞2025 #恋愛小説部門

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