海の国再興譚 ー悪女と腹黒王の契約ー36
第36話 ビジネスパートナーが理詰めで口説いて来るので全力で拒否する(前編)
体が鉛のように重い。
昨夜、周囲には散々反対されながらも無理矢理夜会に出席したせいだろうか。
「親切な王弟様に一言お詫びするだけだ」
ご心配をおかけしました、それだけを言う為に化粧をした。
無駄にならなくて良かった、なんて一人ほくそ笑みながら進水式の夜のためだけに誂えたドレスに袖を通したのだ。
レオンはそんな婚約者の手を取り、残る手は背中に添えて支え続ける。
婚約者の身を案じて献身的な素振りを見せるオーシアン国王と、外交のために無理を押して出席する海の国の黒真珠。
実際シーアはそこまで弱ってはいなかったが、二人は体面を取り繕うために演者となった。
北の台地の王弟に挨拶を済ませると、シーアは宣言通り非礼を詫びて退席した。
こいつらは本当にいい性格をしていると、グレイは思う。
そこまで嫌がらせまがいの事をして大丈夫かと心配になるほどだった。
それが昨夜の事。
翌朝目を覚まし、シーアはこれまでにない感覚に襲われた。
見覚えのある天井。
オーシアン王城の自分に割り当てられた寝室だ。
重い━━
はっきり覚醒しない頭で、一つ一つ、体の機能を確かめる作業に入った。
首は動く。
足首も回せたが、膝を立てたりは出来なかった。
ああ違う。不自由なのは右半身だ。
そして重いのは自分の体ではない。
何か重い物が乗っている。
左腕は簡単に布団から出す事が出来た。
ふわふわとした高価な羽毛布団を左手で押さえて視界を広げると、自分の自由を奪うそれの正体を確かめ━━一瞬不測の事態かと慌てて起き上がろうとしてやめる。
「そりゃ重いわ」
寝息に気付いて寝台に体を沈め直し、シーアは呆れて呟いた。
右脇に錆色の毛玉。
緊張が緩み、そこでやっと大きく安堵の息をつく。
布団の上にこの国の王がうつぶせの状態で寝ているのだ、起き上がれない筈である。
しかもその片腕はシーアに乗っていた。
ひどい話だ。
功労者へのありえない仕打ちに不満を覚える。
そう言えば昨夜この男が来室した気はする。
彼が布団代わりにしている上着は、昨夜の夜会で彼が纏っていたものだった。
夜会の後、その足でこの部屋を訪れた彼はシーアの無事を確認し、そのままここで力尽きたらしい。
こんな状態になるまで起きなかった自分も自分だと、さすがに疲れていたのかとシーアは他人事のように考えていた時。
小さな小さな、実に控えめなノックとともに侍女頭が部屋に入った。
室内に国王が在室している為、若い侍女二人が入るに入れず侍女頭に相談したらしい。
侍女頭と目が合うとシーアは人差し指を唇に当てて見せた。
眠れる時に睡眠を取る。
彼のような仕事をしている人間にとって、それはとても重要だと彼女は考えている。
それは愛情や優しさと言うより合理的かつ実戦的な思考に基づくものであったが、国王を気遣う婚約者のその姿に古くから国王を知る侍女頭はいたく感銘を受けたのだった。
◆◇◆
「いや、もうほんとに、勉強になったよ」
シーアは力なく言った。
次の仕事に活かすとでも言っているかのようなその発言に、国王は喉で笑う。
「引退するんじゃなかったのか」
「まぁ、そうなんだけど」
重ねたクッションに背を預けて上半身を起こした彼女は、歯切れ悪く答える。
やはりその声に力はない。
こんなに落ち込んだ様子の彼女は実に珍しい。
この先お目にかかれるかどうか怪しいほどに貴重だと判断したレオンは、寝台に腰を下ろしてその姿をじっくりと堪能していた。
次にどうすればもっとうまくやれるのか。
意識せずともついそれを考えてしまうシーアは、仕事がしたいという強い欲求に駆られていた。
今ならいくらでも仕事が出来そうだった。それも新しい手法で。
けれどそれを実践する機会がない事は、彼女自身が誰よりも分かっている。
もどかしい。
最後の大仕事と考えていたのに、大した働きは出来なかった。
レオニーク・バルトンという男を見くびっていたつもりはない。
しかし、想定していた以上だったと言わざるを得ない。
自分がいなくてもこの男は自力でどうにか出来ただろうと思う。
実力を見せつけられた。
特に人材を活かす手法には目を見張るものがあった。
人を正当に評価し、信頼し、最も適した場所に置く。
こんなやり方もあるのか。
そう思うと、まだ━━
「もう少し、やりたいんだろう?」
国王は確かめるように尋ねた。
そう、引退するにはまだ惜しい。
それはきっと、彼女の養父である海王ウォルター・ドレファンも同じ心境だろう。
しかし島のために彼はその言葉をのみ込んだ。
娘の本心を知りつつ、島の存続を取らざるを得なかった海王。
ならば。
「引退にはまだ早いだろ。うちでもう一仕事しないか? レイスノートにはもう少しおとなしくしていてもらいたい」
シーアは少し目を見張った。
それはなんとも━━魅力的な口説き文句だ。
「悪くない」
さすがはかつて相棒として認めていた男である。
それはシーアの心情を把握した、実に甘美なお誘いであった。
だが。
シーアの表情が険しくなったのを見て国王は苦笑して口を開く。
「これだけ国に貢献したお前を切れば、いくら当人同士が納得していると言っても世間じゃ俺はとんだ下種男だ」
「海の国の王がゲスってのは確かにキツいな……」
シーアもまたつられて苦笑した。
「だいたい、あれだけの事をしてお前……」
レオンは本当に嫌そうに嘆息する。
砲撃などせずとも、シーアは海賊団から脱出できた。
陸で見ていたレオンはそう断言で来た。小舟からそっと海に入ればそれで済んだはずだ。
それでもあれをしたのは━━
「目撃者は多いほどいいじゃないか。あれだけしたのに捨てられりゃ、流石にわたしも落ち込むはずだろ?」
命がけで献身した。それなのに捨てられたとなれば、さすがの「海姫シーア」も「島に引きこもって使い物にならなくなる」という展開に信ぴょう性を持たせられる。
シーアは嫣然と笑む。勝ち誇ったような笑みだ。
「言ったろ? 派手にやらせてもらうって」
「本気で俺を外道にするつもりか」
シーアは声を上げて笑った。
「海賊につかまった女なんか、オーシアン王が娶るワケないだろ」
それが狙いかとレオンはすべてを理解した。同時に内心ひどく苛立つ。
海賊だらけの船に一人捕らえられたのだ。
何をされたか知れない女など、娶ることなど出来ようはずもない。
婚約など当然、破棄する他ない。
シーアとしてはそうならざるを得ないよう、整えてやったも同然だった。
だというのにレオンは心底呆れたように再度息を吐く。
「これまで海で好き勝手してきたお前に、誰が純潔求めるか」
シーアは肩を竦めるに止めた。どうでもいい、どうぞご勝手にと言わんばかりだ。
さすがは海の国の王の二つ名で呼ばれる男だ。
海のごとく広い器と、海のごとく深い情を持つ王である。
だからこそ、瑕疵のない人間を迎え入れるべきだ。
そのためにシーアは派手な脱出劇を演じたのだ。
お互いきれいに清算して、終わりに出来るはずたった。
それなのに━━
「それに、ここまで国民や臣下に慕われた婚約者の後釜になる人間のことも考えてみろ」
追撃とばかりにレオンは茶化すように笑う。
それは━━
「確かに軽率だったな」
反論もすることもなくシーアは素直に大きなため息をついた。
女性を悲しませるような事はしたくない主義のシーアにとって、それはゆゆしき問題である。
「なんかものすごい悪女の噂でも流しといてくれ」
どうせ、海の国の黒真珠はこの世からいなくなる存在だ。
痛くもかゆくもない。
「そんな事をすればますます俺が批判されるだろうな」
彼女を切るために、虚偽の噂を流して海姫を貶めるのか━━そんな流れになろうものなら、目も当てられない。
いまや国民の多くが、国王レオニーク・バルトンと海姫は五年以上想い合った上での婚約だと妄信しているのだ。
今回もまた、彼女の派手な活躍を国民は目の当たりにした。
この世論の中、彼女との婚約解消はもはや不可能な状況になっている。
海姫との関係の抹消を強行すれば、国王レオニーク・バルトンに国民が寄せる威信も人望も地に落ちるだろう。
「嫁の来手がない。責任を取ってもらうぞ」
男の強く断言する口調にシーアは眉をひそめた。
責任とは。
さすがに痛い所をついてくる。
しかし。
「駄目だ」
シーアもまた、はっきりと断った。
「いい加減、真面目に考えろ。わたしは犯罪者なんだぞ」
お前はこの国の王で、その責任があるのだ。
そして自分は王妃に据えてはならない人間の筆頭だ。
はじめからそう言っている。
自分の存在を起因とする障害にこの国や民が巻き込まれ、自分のせいでこの男が不要な災厄に見舞われる。
そんなのは、たまらないのだ。
