花火が上がった瞬間、手を握った。あの夏がまだ鳴ってる

恋のアーカイブ

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8月の第1土曜。隅田川の花火大会。


Pairsで出会ったヒナとは、まだ3回しか会っていなかった。


1回目は表参道のカフェ。2回目は新宿の映画館で新海誠の新作を観た。3回目は中目黒のイタリアンで晩ごはん。3回とも、帰りの改札で「じゃあまた」と手を振って別れた。手を振る距離。つまり1メートルくらいの距離。それ以上近づけなかった。


4回目のデートに花火大会を選んだのは、正直、下心じゃない。いや、少しはある。少しはあるけど、それより浴衣が見たかった。ヒナの浴衣姿。プロフに「お祭り好き」って書いてあったから、浴衣持ってるかなと思って。


「花火行かない?」とLINEしたら、「行く!!!」とびっくりマーク3つで返ってきた。


当日。待ち合わせは浅草駅。16時。


改札を出て、雷門の方に歩いていたら、人混みの中にヒナがいた。


紺色の浴衣。白い金魚の柄。髪をアップにしていて、うなじが見えた。うなじに汗が一筋、光っていた。8月の東京は溶けそうに暑い。アスファルトから立ち上る熱気で視界が揺れる。


「暑いね」


彼女が笑った。団扇で首元を扇いでいる。扇ぐたびに、浴衣の襟元がわずかに揺れた。目をそらした。そらしたのに、残像が消えない。


仲見世通りを歩いた。人が多すぎて、肩がぶつかる。彼女を人波から守るように、無意識に車道側に移動した。手を引いた方がいいのか。でもまだ手をつないだことがない。4回目で手は早いのか。遅いのか。正解がわからない。


「あ、金魚すくいやりたい」


路地裏の縁日。金魚すくいの屋台。ヒナが目を輝かせた。


「1回300円ね」


おっちゃんがポイを渡してくれた。ヒナは浴衣の袖をまくって、真剣な顔で金魚を狙い始めた。


1匹目。ポイが破れた。


「あーー!」


2回目。300円。今度は慎重に。赤い金魚が泳いできた瞬間、すっとポイを入れて——


破れた。


「も~~!」


「俺がやろうか」


「いや。もう1回」


3回目。900円。金魚すくいに900円。でも彼女の横顔が真剣すぎて、何も言えなかった。


奇跡が起きた。ポイの端っこに赤い金魚が乗った。


「とれた! とれたとれたとれた!」


ヒナが跳ねた。浴衣で跳ねた。下駄がカランと鳴った。袋に入った金魚を掲げて、こっちを見た。顔がくしゃくしゃになってる。


胸の真ん中が、熱くなった。


「名前つけよ。なんにする?」


「……花火?」


「それ安直すぎない? 笑」


「じゃあヒナが決めて」


「うーん……タマ」


「猫じゃん」


「可愛いからいいの」


河川敷に移動した。場所取りのブルーシートがびっしり敷いてある。俺たちは遅れて来たから、端の方。斜面に座る形。


ビールとたこ焼きを買った。彼女はりんご飴を選んだ。真っ赤な飴がテカテカ光って、彼女の唇に赤い色が移っていた。


19時。まだ明るい。空がオレンジから紫に変わっていく。河川敷は人であふれていて、隣の人との距離が近い。必然的に、ヒナとの距離も縮まった。肩が触れてる。


彼女の浴衣の生地が腕に触れるたびに、鳥肌が立った。綿の浴衣。薄い。その向こうに体温がある。


「そろそろかな」


ヒナが空を見上げた。




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19時15分。


最初の一発が上がった。


ドン。腹の底に響く低い音。遅れて、夜空が割れた。金色の光が放射状に広がって、ゆっくり落ちていく。歓声が上がった。数千人の「おー」が重なって、地面が震えた気がした。


連続で上がり始めた。赤。青。緑。銀。火薬の匂いが風に乗って降りてくる。煙が空を覆って、その中を次の花火が突き破る。


ヒナが空を見上げている。花火の光が彼女の顔に映っている。目が光を受けて、キラキラ——いや、違う。濡れていた。泣いてる?


「……きれい」


彼女が呟いた。


俺は空を見ていなかった。彼女を見ていた。花火より、こっちの方がきれいだと思った。気持ち悪いくらいベタだ。でも本当にそう思った。


ひときわ大きな花火が上がった。一瞬、昼間みたいに明るくなった。ドン、ドン、ドンと連続で腹に響いて、群衆が「わあ」と叫んだ。


その瞬間、手を伸ばした。


彼女の右手に、自分の左手を重ねた。


花火の音がうるさくて、自分の心臓の音が聞こえない。でも指先は震えていた。彼女の手は小さくて、少し汗ばんでいて、温かかった。


彼女の指が、ぎゅっと握り返してきた。


見上げたまま。空を見たまま。お互いの顔を見ずに。花火の光の中で、手だけが繋がっている。


火薬の匂い。汗の匂い。りんご飴の甘い匂い。夏の夜の、湿った空気。全部がこの瞬間に圧縮されて、手のひらに集まっている。


フィナーレ。数百発が一斉に上がった。夜空が白くなるくらいの光。音が割れて、もう音じゃなくて振動になっている。空気が震える。地面が震える。手が震える。俺の手じゃなくて、彼女の手も。


花火が終わった。


煙が空を覆って、星が隠れた。歓声が拍手に変わって、ゆっくり収まっていく。


静けさが戻ってきた。


手は、まだつないでいた。


彼女がこっちを向いた。目が少し赤い。花火で泣いたのか、別の理由なのか、わからない。


「……手、離さないで」


小さな声。花火の後の静けさの中で、はっきり聞こえた。


「離さない」


帰り道。浅草の雷門。人混みの中を、手をつないだまま歩いた。彼女の下駄がカラコロ鳴っている。金魚のタマが入ったビニール袋が、彼女のもう片方の手で揺れている。


駅の改札前。


「タマ、ちゃんと育ててね」


「うん。……でも1匹だと寂しいかな」


「じゃあもう1匹すくいに行こう。来年の花火で」


彼女が笑った。浴衣の袖で口元を隠す仕草。金魚柄の袖の向こうで、目が三日月みたいになっていた。


来年。来年の花火。1年後。その約束を、何の躊躇もなく口にしている自分に気づいた。


あの夏から半年以上が経つ。タマは俺の部屋の水槽で元気に泳いでいる。ヒナは週末になると「タマに会いに行く」と言って俺の部屋に来る。タマに会いに来てるのか俺に会いに来てるのかは、あえて聞かない。


来年の夏が待ち遠しい。花火と、金魚と、浴衣の袖と、つないだ手。あの夜の全部を、もう一度。


手のひらは、一度握ったら忘れない。あの夜の温度を、ずっと。



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