京都カフェ巡り #2|下鴨神社|かき氷、今昔

下鴨神社は、京都でも最も歴史が古い神社のひとつです。五月に行われる「葵祭」は平安時代の王朝文学にも登場し、境内の糺の森は、縄文時代から続く原生林の面影を今に伝えているとも言われています。
古代から受け継がれる文化・自然を肌で感じることができる下鴨神社、表参道を歩いて楼門へ向かう途中に、参拝客が休憩できるお茶屋さん「さるや」さんがあります。さるやさんのメニューは下鴨神社の神事に因んだものが多く、ここのかき氷がずっと気になっていました。
実はかき氷のご先祖様たるものが、枕草子にも登場しています。平安時代、人々(といっても高貴な身分の人だけですが)は夏の暑気払いに氷を口にしていました。
電気がなかった時代、どうやって暑い時期に氷を手に入れたのか。そしてどんな気持ちで食べていたのか。今日は美味しいかき氷を紹介しながら、少しだけその歴史についても触れていきたいと思います。
◆ まずは、かき氷レビュー
お伺いしたのは6月中旬。最高気温は30℃を超え、日差しが強い一日でしたが、木々に包まれた下鴨神社の参道は少しひんやりとして、時々吹く風が心地よく感じられました。
この日にいただいたのは、鴨の氷室の氷 抹茶小豆。

なんといっても、最初はシロップがかかっていない真っ白な状態で提供されるのが、氷であることを実感できて好きです。少し背の低い”かまくら”みたいで、とても美しい。
さっと写真を撮ったら、別添えの抹茶シロップを回しかけていただきます。
思えば子供の頃、家でかき氷を作って食べていたときも、シロップは自分で好きなものをかけていましたね。(カルピスをかけて食べるのが好きでした^^)お店のかき氷は、色々な具材やソース、シロップが最初からかかっていることが多いけど、久しぶりに自分でかけながら、なんとなく懐かしい気持ちにもなりました。

氷は雪のようにふわふわで口溶け軽やか、抹茶のシロップはあっさりとしていて、とても上品です。小豆も優しい甘さ。シロップを少しずつ足しながら、小豆で味変しつつ、サクサクといただきます。

さるやさんは、半分屋外なので、外の空気を感じながらいただけるのも嬉しいです。この日は日差しが強く暑い日でしたが、木陰なので暑すぎず、かき氷を食べても身体が冷えすぎずで、丁度よい温度感でした。

お店の方に聞いたわけではないのですが、「なぜ素焼きなんだろう?」と思って調べたら、素焼きの器には保冷効果があるそうです。氷が溶けにくいように、考えられているのでしょうか。

というわけで、最後まで美味しくいただきました。氷と抹茶のシロップ、トッピングに小豆、というとてもシンプルな構成ですが、食べていてとても心地良く感じるかき氷でした。
この心地良さ、なかなか難しいもので、途中で頭が痛くなったり、お腹いっぱいになったり、冷房が効きすぎてて寒くなったりすると、「心地良い」からどんどん離れていってしまいます。きっと氷の温度やひき方、シロップの濃さ、量、器やスプーンに至るまで、色々と試行錯誤されて完成したものではないかと想像します。
色々な具材が乗ったパフェのようなかき氷もワクワクして楽しいけれど、さるやさんのかき氷は、シンプルで心地良い「定期的に食べたくなるかき氷」。またお参りの折には、立ち寄ってしまいそうです。
◆ 下鴨神社の氷室
そしてこのかき氷、商品名は「鴨の氷室の氷」といいます。氷室(ひむろ)というのは、古代から存在する天然の冷蔵庫。下鴨神社では復元された氷室を見ることができます。(※有料拝観で外観のみ 中は見ることができません)


氷室自体は『日本書紀』にも記載が見られるほど、古くから存在したと伝えられています。冷涼な場所に建てられ、2枚目の写真の構造略図のように地下のスペースに冬の間にとれた氷や雪を保管して、食材の保存等に使われていたようです。
以下、さるやさんのかき氷の由来は、下鴨神社のホームページから引用させていただきます。
京の真夏の伝統行事、下鴨神社氷室神事は、氷の朔日(※)とも呼ばれ、氷を宮中へ献上したり、無病息災を祈願し、氷を口にしてお祓いをしていました。さるやでは、古事にならい、暑い夏を平穏無事にお過ごし願いたいと、初雪のような純白の氷をかき、「鴨の氷室の氷」と名づけました。
※旧暦六月一日、氷室を開く神事の日。
京都に住んでいると、こういった伝統的な風習や食文化が、今も大切にされ続けていると感じます。こちらのさるやさんでも、六月一日に氷室開き神事が執り行われた後から、メニューにかき氷が登場します。
四、五月でも夏のように暑い日があるのにも関わらず、かき氷は六月から提供開始、というお店が京都では多い気がします。こうした伝統行事が「かき氷は六月から」という古都の季節感を支えているのかもしれませんね。
◆ 枕草子に登場するかき氷
今は当たり前に手に入る氷ですが、科学技術が発展する前はとても貴重なものでした。『枕草子』には、「あてなるもの」の段にかき氷のご先祖様(?)が登場します。あてなるものというのは、高貴で洗練されたもの、という意味です。
あてなるもの 薄色に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)。雁の子。削り氷(ひ)に甘葛入れて、新しき鋺(かなまり)に入れたる。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじううつくしき児の、いちごなど食ひたる。」
⚫︎削り氷に=削った氷に
⚫︎あまづら入れて=甘いつゆをかけて
⚫︎あたらしき鋺(かなまり)に入れたる=新しい金の器に入れたの
まさにかき氷ですね!氷も甘味料も当時は貴重なものだったはず。透き通ってキラキラとした氷はその美しさもあって、高貴で洗練されたものとして清少納言の目に映ったのでしょう。
◆ かき氷、今昔
ここまで読んでいただいたらもう伝わっているかもしれませんが、私はかき氷が大好きです(笑) キラキラと宝石みたいに光る氷や、積もった雪のようなかき氷を眺めていると、つい心がときめいてしまいます。
千年前の人たちも氷を見て、同じように涼感や美しさを感じていたのかもしれない。そんなことを想像すると、遠い時代が少し身近に感じられます。
もちろん、今と千年前では一杯の重みはまったく違います。衛生観念も異なった当時、夏を無事に過ごしたいという願いは、人々にとってもっと切実なものだったのでしょう。
それでも、こうした歴史や風習が今に伝えられ、気軽にかき氷を楽しめることは、とても幸せなことだと思います。
下鴨神社の静かな木陰でいただく一杯は、初夏の心地良さを感じただけでなく、千年前の夏にも思いを馳せる、少し特別なごちそうでした。
