見出し画像

人のカタチ 一部 第六話


 籠が山田浅右衛門の屋敷に近づくに従って、伊木は深いため息を吐く。一種の敵愾心に似た照れが原因なのか、彼は衣紋を気にしたり、束髪の形を直したりした。 木造の長屋群が辺りになく、漆喰塗りの頑丈な塀が続いている。
「どうぞ」と門番が言った。伊木が門をくぐると、広い庭があった。その庭を横切って玄関へ向かう途中、花菖蒲が咲いているのを見つけた。玄関で伊木は履物を脱いだ。
「お待ちしていました」
 そう言いながら奥から現れたのは、初老の男。彼は伊木より背が高く、体格も良い。白髪まじりだが、黒々とした眉の下には切れ長の目があり、鼻筋が通っている。男にはどこか陰険な雰囲気があるものの、良い顔立ちをしている。浅右衛門の妻は数年前に病死した。また、伊木の母親もこの世にいない。
「こちらへどうぞ」と言って男は歩き出した。
 屋敷の奥まった場所まで行くと襖があって、開けると中は大きな座敷になっていた。床の間に掛け軸がかけられている以外は何もない部屋。隅々にまで手入れが行き届いていて、塵ひとつ落ちていない。
 男は座布団を用意して「こちらでお待ちください」と言った。涼しい風が部屋を抜けて、彼はじっと坐ったまま顎をさする。髭が伸びており、その事を気にするような仕草だった。
「久しぶり」
 背後から声をかけられた時、伊木は大袈裟に振り返る。そこには伊木よりも少し年上の女が立っていた。如秋の姉の由比が、まっすぐな目で伊木を見ている。
「あぁ、はい」と言って伊木は姿勢を正す。
「三か月ぶりだね」
「うん」
「なにそれ」伊木を弄ぶような口調で、由比は微笑む。まっすぐ大きく開いた瞳は薄茶色で、綺麗に澄んでいた。妹の如秋のような奇抜な化粧と違い、由比は落ち着いた雰囲気を纏っている。結った髪のせいで、形のよい耳が見える。彼女は紺色の着物を着ていて、帯の色は鮮やかな赤紫だった。
「いえ……別に」伊木は顔を伏せる。
「緊張しているの?」
「え?」
 伊木は俯いたまま顔を上げない。しばらくして襖が開き、さっきの男が盆を持って入ってきた。盆の上には、酒の入った徳利と猪口が乗っている。
「どうぞ」と言いながら男は酒を注ぐ。伊木はそれを丁寧に受け取った。
「そこに置いといて」由比は、二人だけにするように、男に暗に告げる。そして彼は、何も言わずに座敷から出て行った。
「如秋は道場に行っている」
「そうか」
「なんか守一、雰囲気変わったね」
「そうかな」
 由比は、空になった伊木の猪口に酒を注ぐ。ぎこちない空気の原因は、堀田の事件だけではない。二人の関係性にある。
「何も返事しなくてごめんね」
「うん」
「怒っている?」
「いや」
 三か月前から由比は伊木を避けるようになった。理由は定かではない。会う事を拒み続けた由比に、伊木はその間に手紙を送った。その返事の事を由比は言っている。
「なかなかいい文章だったよ」
 伊木は黙って酒を飲む。そして自分の猪口を彼女に渡そうとした。しかし由比はそれを受け取らず、静かにそれを見つめている。
「もう会えないと思った」伊木は、話の糸口を大雑把に探るように、そうポツリと口にした。落ち着いた様子に見えるが、軽い混乱が彼の中に起こっている様子を、由比は見て取っているようだ。思いどおりにならない事は世の常。その原因は、片方が知っていて、片方は知らないという、不十分な意思疎通によるもの。
「私はもう会わないつもりだった」
「なんで?」
「理由なんてわからないよ。好きだけど、会いたいと思わなくなった」
 二人がこうして向かい合うのは、三か月ぶりである。その間に由比の中で何か変化が起こったのか、それとも変わらないのか、それは伊木にはわからないのだろう。言葉を失くした二人に沈黙が訪れる。
「どうして俺を避けたの?」伊木は思いついたように尋ねた。
「避けてないよ。ただ、なんか気まずかった」由比の言葉に、嘘は含まれていないのだろう。伊木は、自分が今、どういう感情を抱いているのかを上手く説明できないようだ。彼女は何も言わずに徳利を手に取り、猪口に注いだ。そして彼と同じように酒を飲んだ。
「ねぇ」
「ん?」
「関係を続けたいの?」
 伊木は、由比の顔を見据えたまま何も言わなかった。
「答えて」
「うん。好きだ」
 二人は視線を合わせる。彼女の目は真剣で、伊木は目を逸らさない。やがて、どちらからともなく笑い始めた。緊張がほぐれて、お互いが肩の力を抜いていく。伊木は安堵のため息をつくように、これからこの屋敷で浅右衛門の管理下に置かれる事を明かした。
「そう。逢い引きなんてしなくてもいいね」
「いや。浅右衛門様の目が一番怖い」
「間違いない。ところで、今日は何があったの?」
 どこから話すべきか、伊木は少し躊躇った。自分が人形だというを、そのまま明かしてもいいのかという逡巡の欠片を顔の上に乗せ、堀田が殺された事を話した。
「マジで? なんかヤバいね」
「それで、俺の事なんだけど……」
「なに?」
「俺、先週の事があってから人形にされているかもしれないんだ」
「え? なにそれ! マジ?」
 由比は大きな声を出して笑い始めた。伊木が明かしたことを冗談だと受け取っているのかもしれない。
「いや。マジで」
「は? 守一が人形?」由比の笑い声が止まない中、襖が再び開く。浅右衛門はいつも突然やってくる。
「なんじゃ、騒がしいのう」そう言いながら座敷に入ってくると、伊木の隣に座って酒を飲み始める。全ての始末をつけて、浅右衛門が帰ってきたのだ。
「おどれも、いっちょ前に酒なんぞ飲むようになったか」
「えぇ」
「呑め。喧嘩はいつでもできるがの、酒はめったに呑めん」
「はぁ」伊木は酒を口に含み、喉の奥へ流し込む。由比は笑っていた。
「おどれは人形の事や、可児の国の事は何処まで知っとるんや?」
「それが、詳しい事は知らないのです」
 父の種冬が失踪した出来事を、伊木は覚えていない。また、人形の事に関しての知識を思い出せない事を浅右衛門に告げた。すると由比が横槍を入れた。
「あれ?  人形の事なんて誰でも知っているんじゃないの?」
「何を?」伊木は眉間にしわを寄せて由比を見る。浅右衛門の方を見てから、由比は伊木に説明した。それは、武士だけでなく、町人の子供までが知っている事だ。
「可児の国では、人間に代わり、人形が田んぼや畑を耕していたの。人々は楽に暮らしていたけれど、人形が人形を造るようになたわけ。それで、人形師や人形遣いを除いた人間は、人形に殺されていったって話」伊木はそんな話を、初めて聞いたという顔をする。また、可児の国は毒によって汚染されており、立ち入ると病気になる事も由比は告げた。そして、伊木は「そうなのか」と言った。
「おどれ、ほんまに何も知らんのやの」呆れた様子の浅右衛門だったが、厳しさはなく、むしろ優しい表情をしている。
「あれ? 誰か来ているの?」襖の向こう側から聞こえてきた声に、由比は座ったまま振り返る。
「もりっち!」
 部屋の中に入ってきた如秋の髪は乱れていた。稽古着を着ていて、額には薄っすらと汗の跡がある。
「もりっち、うちで何やってんの?」如秋は大袈裟に驚いて見せた。
「まぁ色々あって……」伊木の答えを聞いていないのか、伊木と浅右衛門の間に割って入り、如秋は伊木の隣に坐った。
「なんかあった?」如秋は、由比に尋ねる。
「なんか、守一がウチで暫く泊まるみたい」
「えっ!? もりっちが? なんで?」
 如秋は本当に何も知らないような顔で聞いている。堀田が自宅で殺された事などを伊木が説明した。
「えー!  マジで?  堀田さんが?」伊木と由比は黙っている。
「あの人、強かったじゃん。一度手合わせしたけど、勝てる気しなかったもん」
「うん。でも殺された」
「うそ……なんで? 誰が殺したの?」
「やかましい」浅右衛門がそう言って、三人の会話を遮り、酒の入った猪口を口元に当てた。そして、自分の目の前にある徳利を手に取り、それを如秋に差し出した。
「呑め。話はそれからでもええじゃないの」
「え? なに? とと、なんかあたし気まずい事聞いた?」如秋は猪口に酒を注いでもらう。
「もうちょい静かにせんかい」
「はぁ」如秋は頭を掻く。
「種冬じゃ。種冬が堀田様を殺したんじゃけぇ」
「え? もりっちのととが?」伊木は無言で首肯いた。
「なんで?」
「そがな事、わしが知るかい。ただ、こいつが坊主の人形に襲われた事と合わせて考えたらの、辻妻が合うんじゃけぇ」
「どういうことですか?」伊木が尋ねた。
「種冬が乗っ取られという事じゃけぇ。こいつの番屋に来とった坊主の人形が『眼木札が入っとらん』言うとったらしいのぉ。つまり守一も乗っ取ろうという魂胆が、人形共にあるんと違うんかの。ほんで、こいつの記憶が曖昧なんは、眼木札を入れようとして何かが起こったとワシは考えとる」
「なるほど」伊木は顎に手を当てて考える。浅右衛門が言う事は、突拍子もない事ではない。しかしながら、種冬が罪を犯したと考えたくない、浅右衛門の理屈にも聞こえた。
「とにかく、おどれは監視下に置かなあかん。奉行所のモンも、何人か今日からこの屋敷に泊める」
「はい」伊木はそう返事をして、再び由比を見た。

いいなと思ったら応援しよう!

中島亮 一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!