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✨第1回:過敏性膀胱と「恥」にまみれた日々。絶望した私を越えて。

「生きていること自体が恥ずかしい」

そう思ったことはありますか?

私は、小学校5年生の時から、
そんな「消えてしまいたいほどの恥」
と共に生きてきました。

原因は、身体に現れたある症状でした。
過敏性膀胱(頻尿)
過敏性腸症候群(下痢)

それは単なる体調不良ではありませんでした。
授業中、いつトイレに行きたくなるかわからない恐怖。
静まり返った教室で、
自分の身体がコントロールできないという絶望。

私は常にビクビクと怯え、
不安の波に呑み込まれ、
いじめや仲間外れ、
不登校も経験しました。

当時は「心身症」という言葉も浸透していなかった時代です。
私の苦しみは、大人たちからこう片付けられていました。

「仮病じゃないの?」
「嫌なことから逃げているだけでしょ?」

誰にも理解されない孤独の中で、
何度も自分の人生を終わらせたいと願いました。


まな板の上に置いた、最後の手紙


ある夜、追い詰められた私は、
震える手で母に手紙を書きました。

「膀胱を人工のものに手術で変えて、
こんな人生を終わらせたい」

家族が寝静まったのを確認し、
夜中にこっそりと台所へ向かいました。

そして、手紙をまな板の上にそっと置きました。

明日の朝、母が真っ先に目にする場所に、
自分の命の叫びを託しました。

翌朝、その手紙を読んだ母は言いました。

「身体に原因がないのに、そんな手術は受けられない」

ここから、私の「心身症との闘い」が
始まったのです。


母の病が連れてきた「レイキ」との出会い

大学卒業後、社会に出ても病を隠しながら
働く日々は綱渡りでした。

理解のある上司に出会えたことは一度もなく、
症状が悪化しては仕事を辞めざるを得ない。

私の居場所は、どこにもないように
感じていました。

そんな私が「レイキ」に出会ったのは、
29歳のとき。
母が、肺がんを患ったことがきっかけでした。

「何かできることはないか」
その一心で、私は兵庫県姫路市まで足を運び、
初めての伝授を受けました。


静かに始まった、こころの「ほどけ」

講師の方は言いました。

「まずは、21日間のセルフヒーリングをしましょう」

正直なところ、私は期待していませんでした。
あまりに長く、否定され続けてきた人生の中で、
自分を信じる心は擦り切れていたからです。

ところが、セルフヒーリングを続けていくうちに、驚くべき変化が起こり始めました。

固く縮こまっていた心と体が、
少しずつほどけていったのです。

この「こころのほどけ」を感じたとき、
私はようやく自分にこう声をかけられるようになりました。

「情けない自分も、恐れている自分も、
大切な自分の一部なんだ」と。

母を救うために手を伸ばしたレイキは、
実は、ボロボロだった私自身を救うための「光」だったのです。

(次回へ続く)
母へのヒーリング、
そして同じ悩みを持つ人々への発信。

少しずつ歩み始めた私の前に、
新たな「試練」が訪れます。

それは、10年間に及ぶレイキの封印でした。




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