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「凍れる価値」を、腐りゆく紙幣に溶かさずに使うために。通貨が死んだ土地の証言から


紙幣がただの紙切れになる日を、多くの人は映画の中の出来事だと思っている。しかし、それは現実に、しかも繰り返し起きてきた。アルゼンチン、メキシコ、そして包囲下のサラエボ。通貨が死んだ土地を生き延びた人々の証言には、驚くほど共通した知恵が刻まれている。この記事では、経済崩壊を実際にくぐり抜けた人物たちの言葉をたどりながら、「価値をどう保存し、どう交換するのか」という古くて新しい問いを考えてみたい。

なお最初に断っておくと、以下は歴史的な証言と経済史の紹介であって、特定の投資などを勧めるものではない。あくまで「人は通貨が死んだときどう振る舞ったか」という記録として読んでほしい。

現金は王である──フェルナンド・アギーレの証言

フェルナンド・アギーレ、通称フェルファル(FerFAL)は、2001年のアルゼンチン経済崩壊を現地ブエノスアイレスで生き延びた人物である。彼はその経験を『The Modern Survival Manual』(2009年)にまとめ、崩壊後の生活の実像を克明に書き残した。

彼の証言でまず印象的なのは、崩壊の初期においては貴金属より現金が物を言った、という指摘である。銀行口座は凍結され、コラリートと呼ばれる引き出し制限が敷かれ、ATMもカードも当てにならなくなる。そんなとき最初に価値を持つのは、手元にある「まだ受け取ってもらえる現金」だった。彼はこれを「現金は王である(Cash is king)」と表現している。

その上で、彼は金と銀の役割の違いを語る。金は単位あたりの価値が大きすぎて、パンや卵を買うような日々の少額の買い物には向かない。釣りの問題が生じるからだ。一方、銀は単位が小さく、日常の生活費や小口の決済にちょうどよい。金は大きな価値の保存に、銀は日常の少額取引に──これが彼の一貫した主張である。

そして重要なのは、貴金属の使われ方だ。彼の記述によれば、崩壊下のアルゼンチンには両替商(彼の言う「クエバ」)や金銀・宝飾の買取業者が存在し、「彼らはペソ、ユーロ、ドル、ブラジルレアル、金、銀、さらには宝飾用の金まで売買し、常にすべての市場価格を持っていた」。つまり人々は、貴金属を店でそのまま使ったのではなく、まずこうした業者でその日のレートで通貨に換え、その通貨で買い物をしたのである。

銀が家族を養った──ロボ・ティグリの証言

もう一人、投資アナリストのロボ・ティグリの証言は、銀の力をさらに生々しく物語る。彼は幼少期をメキシコで過ごし、1977年のペソ切り下げを体験した。「ペソが100%切り下げられた。手元の現金の山が半分の価値になった。物価は倍になった。何の警告もなかった」。一夜にして起きた、通貨の突然死である。

決定的だったのは1999年だ。彼は妻と三人の子を車に乗せてコスタリカへ向かう途中、移住先の仕事が消滅する。外国で無収入・無現金という窮地に陥った彼を救ったのが、子どもの頃から集めていた銀貨だった。彼は言う。「私は文字通り、古い銀貨を売って家族を養った」。「コインをその時のペソに換えて食料品店に行った。その日、文字通り家族のために食料を買った」。

ここでも使い方は同じだ。彼が銀貨を持ち込んだのは質屋(pawn shop)であり、そこで現地通貨に換金してから食料を買っている。彼が持っていたのは1950年代のメキシコ・ペソ銀貨と古いモーガンダラー。傷だらけでくすんだ、収集価値のない代物だった。にもかかわらず売れた理由を、彼はこう言う。「代わりに私は、ほんの少し銀を含んだあのペソ貨を持っていた」。古いペソ一枚が現代ペソ一枚で売れたのは、収集価値ではなく銀の含有量ゆえだった。もし紙のペソを持っていたら、その後の度重なる通貨単位の切り下げで、価値は一ペニーの何分の一まで消し飛んでいただろう。

彼はまた、貴金属の本質をこう言い切る。「ビットコインには依然としてコンセントが要る。金と銀は要らない」。停電や通信途絶の下でも、物理的な銀は手渡しで価値を移せる。この電力・通信への非依存こそが、崩壊時に銀が機能した理由だった。

「凍れる価値」というジレンマ

アギーレとティグリの証言から浮かび上がる事実は、実は少し逆説的である。銀は確かに家族を救った。だがその使われ方は、ほとんどの場合「銀を店で直接モノと交換する」のではなく、「まず通貨に換金してから買う」形だったのだ。

ここに、貴金属を持つ者が突き当たる根本的なジレンマがある。金銀は「凍れる価値」である。価値をがっちり保存できる代わりに、そのままでは飲み込めない。一度、通貨という液体に溶かさなければ使えない。ところが崩壊時の通貨は、溶かした瞬間から腐り始める。まして世界同時の危機であれば、ドルもユーロも円も、どれもが腐っていく。

この問いに対する、証言の中から見える現実的な答えは三つある。第一に、換金した通貨を持ち続けず、その日のうちにモノに変えてしまうこと。溶けた氷が滴り落ちる前に飲み干す、という発想だ。第二に、大きな価値の金を、より小さな単位の銀に分割しておくこと。極小単位の銀貨であれば、それ自体が「釣りのいらない小さな価値の塊」として、紙幣を経由しない交換の媒体になり得る。第三に、そもそも世界中の紙幣が腐るなら、金銀は相対的に価値を上げていくのだから、急いで全部を換える必要はない、という逆説だ。必要な分だけ、必要なときに換える。凍れる価値の強みは、凍ったまま置いておけることにある。

通貨が消えた街──サラエボの証言

では、通貨が完全に死に、貴金属すら日常の小銭には使いにくくなったとき、人々は何を「お金」にしたのか。その極限の実例が、1992年から続いたサラエボ包囲である。

バーバラ・デミックが一つの通りの住民を追った取材記録には、こうある。「通貨は存在しなかった。ユーゴ・ディナールは崩壊した。労働人口の75%が失業し、働いている者も無給だった」。包囲下で操業を続けた数少ない工場が、ビール工場とタバコ工場だった。そして「ドリナ・タバコ会社が、よろめく経済の大黒柱だった。ドリナのタバコは瞬く間に通貨の基本単位になった」。極めつけは、給与を払う金がないため、ボスニア政府がタバコを給与代わりに配ったという事実である。紙不足のため、タバコの包装は捨てられた本のページで巻かれた。

価格は包囲の締めつけ具合で激しく揺れた。戦争二度目の冬には、卵一個が3ドル相当した。売られる食料の多くは国連の空輸物資で、トマトソースのニシン缶には「ドイツ連邦共和国からの贈り物」と書かれていた。市場での売買は建前上は違法で、警察が巡回するたびに売り手は商品をコートの下に隠した。ある女性は、マーガリンの缶一個を35ドルで売ろうとしていた。

最も切実な富は、燃料だった。凍える冬、間に合わせのストーブが人々の持ち物を次々に食い尽くした。夏のサンダル、椅子のカバー、子どもの古い教科書、庭の桜の木、寄木張りの床。かつて町一番の富豪だった男は、朝五時に起きて燃やせるゴミを探しにゴミ捨て場をあさり、割れたプラスチックのバケツを拾って「見ろ、ガソリンみたいによく燃える」と自慢した。崩壊が深まると、金銀よりも「燃えるもの」が切実な価値を帯びる。価値の序列が根こそぎ入れ替わるのだ。

もう一つ、通貨であり社交でもあり薬でもあったのがコーヒーだ。ボスニア戦争を生き延びた別の人物はこう書いている。「コーヒーがあれば、誰かが必ず買ってくれる。どれだけ缶詰があっても、十分だと感じることは決してない。何か技能を持て」。ただし燃料が貴重すぎて、コーヒー一杯を淹れるための二十分ぶんの薪さえ惜しまれ、人を招くことも減っていったという。

実物通貨もまた病にかかる

タバコが通貨になる、と聞くと理想の解のように思える。だが歴史は、実物通貨もまた紙幣と同じ病にかかることを教える。第二次大戦の捕虜収容所を記録した経済学者R.A.ラドフォードによれば、タバコ通貨は金属貨幣のあらゆる機能を果たした一方で、赤十字の小包が大量に届けばタバコが供給過剰になって物価が上がり(インフレ)、補給が途絶えれば物価が下がった(デフレ)。さらに、美味しい銘柄は吸うために退蔵され、まずい銘柄だけが支払いに回された。良貨が悪貨に駆逐される、グレシャムの法則である。中身をくすねた細い手巻きタバコが横行し、人々は一本ずつ検品するようになった。

つまり、実物であっても供給と品質が乱れれば価値は乱高下する。卵一個が3ドルに跳ね上がったサラエボの光景は、この原理が市民の日常として現れたものにほかならない。裏を返せば、供給が急に増えず、重さと純度が規格化されて改竄しにくい小額銀貨は、実物通貨の弱点にもっとも強い部類だといえる。

証言が最後に指し示すもの

アルゼンチン、メキシコ、サラエボ。時代も場所も違うこれらの証言は、最後に同じ一点を指し示す。崩壊のさなかで本当に人を支えたのは、金でも銀でもタバコでもなく、それらを融通し合える人間関係と、自分の手が生み出せる技能だった、ということだ。サラエボの取材で、多様な民族が暮らす一本の通りの住民たちが、困窮しながらも比較的うまく助け合って生き延びたことは、その何よりの証左である。ただし、この手の話が出てくるたびにいつも言っているように、自分からは何も差し出さないくせに、要求ばかりしてくるクレクレ(テイカー)の存在には十二分に注意する必要がある。

「凍れる価値」を腐らせずに使う方法を突き詰めていくと、結局たどり着くのは、腐らない魔法の媒体を探すことではなく、腐る媒体を必要としない持ち方を整えておくことだった。金は長期の保存に、小額銀貨は真贋の分かる交換材に、そして日々を回すのは実物と、人と、技能である。ボスニアの生存者が残した「何か技能を持て」という一言は、貴金属をめぐる長い考察の、最も実践的な結びにふさわしい。


補足しておくと、本稿で引用したアギーレとティグリの言葉のうち、換金業者に関する記述や体験の骨子は著書・公開インタビューに基づくが、一部は本人の発言の要約であり逐語ではない。サラエボの描写はバーバラ・デミックの取材記録と個人の回想に基づき、価格などの数字は特定の時期・場所の一例である。また、日本では酒やたばこの反復的な売買に酒税・たばこ税や免許規制が関わり、貴金属の売却益にも課税があり得る。備えを具体的に検討する際は、税制や法規制を踏まえ、必要に応じて専門家に相談されたい。


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